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201001【くだらない高校生活の文化祭の中に】

高校生活というのは実に難しい。自分は1回だけ、3年間しか高校生活経験がないのだが、もう少し知恵や、情報を得ることができれば、もっと有意義な高校生活だっただろう。彼女を作って、おもいっきりデートをしたかった。高校時代の恋愛って、結構将来への人間形成において大事よ。あと、子どもと大人の端境で、ちょっと悪いことをしたり、踏み込んでみたり。そういうのをまったく経験せず、大人になった今、色々モヤモヤするし、未だに布団の中で蠢いている。大人になっても、どれが正しい選択か、誤りか、真実は何なのか、このウワサはどっちなんだ等、日々迷い続けている。それは、生きている証拠かもしれないけど。

高校時代、色んなウワサが自分を取り巻いた。その頃からだろうか、ゴシップ好きなのは。皆がジャンプを買う中、自分はFRIDAYを買っていた。今は文春砲という言葉が毎週のように放たれているが、当時の芸能ゴシップと行ったらFRIDAYだった。野球部の遠征時、土曜日の朝、バスに乗り込む前に買っていた。プロ野球選手の遠征時の新幹線じゃないんだから。でもそれが1つのルーティンで楽しかった。芸能関係だけでなく、校内、アイツとアイツのウワサみたいなのにも敏感だった。ただ、恋愛ネタばかりで羨ましいだけで、自分は何もなく毎度終わってしまう。

「お前は彼女作らないよな、オレたち一緒だよな。」とマラソン大会で一緒にゴールしよう。みたいなテンションで話していたヤツも、こっそり付き合っていて、放課後の付き合いが悪くなったのを何度見てきたか。

まあ、勉強はできないし、部活動は中途半端な感じ、お付き合い程度でダラダラと過ごしていた。今となっては「もったいないなぁ」とも思っている。

甲子園なんて行けるはずもないのに、本気で目指しているヤツはいたし、まあ、良いところまで行ったのはホントのとこなんだけど、後半は流していたなぁ。勉強もそう。東大なんて行けるはずもないのに、本気で目指しているヤツがいた。でも、学歴社会は日本の未来、まだまだ続くから、難関大学、ベタに言えば良い大学に行けば、大手企業、安定した企業への就職の道は開けるはず。

それを当時は考えもしなかったから、親には、国公立大学は諦めて、何処か東京の私立大学に行く。と頭を下げ、受験勉強に本腰を入れたのは、高校3年生の秋くらいだったろうか。その頃、部活動は既に引退していて、何をしていたかな、思い出せない。思い出せないということは、大して思い出がないってことなんだろうけど。

そういえば、文化祭というコンテンツがあったな。ただ、高校3年生は、母校の文化祭では特にクラスでの出し物、模擬店等はなく、受験勉強に充てて、フリーな1日だった。適当に何処かの大学の赤本でも捲りますかと思ったが、高校3年生の文化祭、何故か自分は体育館のステージに立った。

文化祭の3週間ほど前。校内のヤンキーに、バンドの転換時間を漫才で繋いでくれと言われた。基本、自分はヤンキーが怖い。とりあえず、怖い人間がキライだ。どんな田舎の高校でもヤンキーはいて、ギター一本で女の子を酔わせ、自分のものにする。とんでもない野郎だ。自分もバットを捨てて、ギターを持とうかと思ったが、サンボマスターそっくりのルックスじゃあ、世界はそれを愛と言ってくれるかも分からない。髪の毛は物理学では現せないくらい異方向に伸び、細いガリガリな身体に、たぶん、もうそのニオイはタバコ吸ってるやろ。と思う口臭に詰められ、自分は逆らえず、役割を受け入れた。そして、ヤンキーと仲が良い、同じ野球部だったヤツがノリノリに相方となった。

最初は、「この受験勉強の中で面倒だなぁ。」と吐いたが、受験勉強は全然捗らず、模擬試験は良い結果が出ず、偏差値も上がらないので、「まあいいか。」とネタ作りを進めた。ネタ合わせなる時間を昼休みに校舎の屋上で設けたが、そこは昼休みにデートするカップルのたまり場で、イチャイチャしている後ろから落としてやろうと何度か思ったことがあった。そんな中でもネタ合わせを行ない、文化祭当日を迎えた。

ステージ上では、ダンス部のパフォーマンスがあった。ダンス事情をよく知らないのだけど、こんな田舎の高校でもブレイクダンスをするヤツは何人かいて、クルクル回ってはステージ下の女子たちから黄色い声援を浴びていた。自分は、体育館2階のギャラリーから見ていた。

「こういうのだよね、青春って。いいなぁ。」

たぶん、20歳になったらタバコ吸うなぁ。と思いながら、似合わない缶コーヒーを飲んでいた。そして、バンド演奏の時間が始まった。ステージ上手舞台袖に待機し、20分くらいの演奏のあと、自分たちがステージに立った。高校3年間、ステージ上に立つことって、なかったなぁ。初めてだよ、この舞台。優秀生徒じゃないし、生徒会長でもない。何処にでもいるブサイクな一高校生だ。バンドするヤンキー目当てに集う女子生徒だらけのステージ下を見下ろすように、バンドの転換に合わせて漫才、コントをした。どんな台本だったか、覚えてないけど、ルーズリーフに書きなぐったネタはたぶん、成仏したんだろう。ウケていたのかよく覚えてないけど、最後に披露したネタはよく覚えている。

最後のネタでは、ワイシャツの胸ポケットに仕掛けを仕込んだ。おもちゃの拳銃で撃たれるシーンで、自分は胸ポケットに、インターネットで仕入れた映画制作サークルの情報から、血糊袋を入れていた。コンドームに血糊を入れ、縛る。そして、豆電球を割ったものと爆竹の火薬を小さく切ったストローに入れて、そこから導線を設け、乾電池を用意する。乾電池をセットして通電した瞬間に爆発して、コンドームが破れ、血が飛び散る仕掛けだ。これをワイシャツも破れて外に血が出るように配置して、コントに挑んだ。そして、ピストルの音に合わせて、スイッチとなる乾電池を通電させた。映画で見るような爆発音が鳴り、ワイシャツは破れ、ソコから血が出る。そして、自分は倒れていく。ホントにバカなんだけど、このシーンは今でも覚えている。笑えるコントの中で衝撃的なシーンを入れる感じ。この前のキングオブコントでのニューヨークのネタのような。でも自分は血も出てるよと。

倒れながら、ステージ下の観客の女子生徒たちが驚いている表情も思い出す。それで暗転してコントは終わったのだが、その後、ステージに飛んだ血糊を処理することになった。そんな、ヤンキーたちのバンドに一石を投じる、文化祭だった。この文化祭で、少しは有名になったかな、女の子にモテるかなと思ったが、そんな事は叶わず、また学校と自宅、捗らない受験勉強の日々に戻っただけだった。

あの時、一緒に漫才をしてくれた相方は、受験勉強は失敗し、一浪したけど、おかげで難関大学に進学、その後大手企業を渡り歩き、今は独立して自分の会社を経営している。大出世よ、同期の。ちょこちょこメディアにも取り上げられて、最近は本を書き出版をしたらしい。頼むから、エピソードトーク、高校時代の話題になったら、文化祭で血糊をステージに飛び散らかした自分の事を話してほしい。彼の活躍を見て、自分も頑張ろうかと思うが、まあ、自分のペースでやらせていただきます。

あと、あの時、爆竹を多めに用意したようで、左胸にキズができた。心臓近いのに、なにやっているんだ、我。あの時、誰か動画回してなかったのかな。あれば、ほしいです、絶対ないけど。

そうそう、次回は高校生活もう一つの大コンテンツ、体育祭の話で。「コンテンツ」というか、「行事」ね。とりあえず、残暑は落ち着き、秋になってきた。高校時代の文化祭の風が吹き始める。

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