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210722【出産祝いと大学の先輩】

こんな、冴えない父である自分ではあるが、周りから出産祝いをいただく。有り難い、感謝しかない。ありがとうございます、こんな父を、赤ちゃん以上にやさしくしてほしい。仕事先の取引先にて、見たことないブランドの紙バックにて出産祝いをいただいた。その中身を開けるのは、自宅に帰って、妻とワクワクしながら開けることにする。初めての女の子のパンツを脱がす時くらいのドキドキ、それは例えが違うが、そんな感じ。仕事中にいただいたため、その紙バックを地面に置くことは申し訳ないと思い、デスク上に置き、会議に追われた一日の終り、周りからしたら、「アイツ、何もらったんだろう。」と注目の的になってしまった。ちょっと失敗したが、いただいたものを地面にフローリングに置くのはやっぱり申し訳ない。その日の仕事を終え、会社事務所から出る際、「誰からもらったの?」と局長に聞かれたため、「局長の彼女です。」と伝えたら、きっと上司は動転して泡を吐いて倒れるかもしれないから、そうは言えなかった。「取引先からです。」と簡単に返し、帰路に就いた。最近、局長に彼女ができたことは、とあるルートから仕入れた。それを吹っ掛けようと思ったが、止めておいた。局長は40代に入り、まだまだ独身。そんな身にできた久しぶりの彼女、おっと、その話はまたどこかの機会で。

さて、出産したことを、恥ずかしながら細々とSNSで報告すると、「出産祝い、何が良い?」という有り難いメッセージ、連絡をいただくことがあった。その一人が大学の先輩で、その先輩について書き出すのだが、まずは何から書こうか。名前は、“ロックブック”先輩とでもしておこう。

大学時代、所属していたサークルの2つ上である先輩は、4学年合わせて100人近くいるサークルの中でも異質な存在だった。出身高校は大学附属の高校だと聞き、エスカレーター式に上がってきた身であり、これも周りからの話によるが、親が会社を経営している言わば“いいとこの子”、しかも一人っ子で贅沢に、可愛がられて育ってきたんだろう、そんな印象だった。いつでも贅沢ができる身なのに、大学で過ごす平日のランチは、500ミリリットルのロング缶の炭酸飲料にカップ焼きそばで決まっていた。また、野球のボールもバットも持ったことがないくらい運動音痴、運動経験はないのに、プロ野球、根っからの巨人ファン、そして、メジャーリーグもテリトリーにする、言ってしまえばクセのあるお方だった。そんな先輩だから、同期や後輩、先輩からは少し距離を取られていたが、サークル内では唯一無二の存在である意味孤高な存在だった。恥ずかしながら、大学祭の実行委員会サークルだったのだが、彼が居なくても大学祭は無事執り行えていたであろう、大学祭当日における彼の役割は、卒業した今でも分からない。ただ、功績としては、毎年プロ野球シーズン前に発行される選手名鑑に倣い、サークルのメンバー達の自己紹介なるスタッフ名鑑を毎年作っていたことだ。自分も入部した4月に、フォーマット化されたアンケート用紙のような記入用紙を渡された。それが先輩との初めてのコンタクトだった。

「どこファン?」

主語もジャンルもない質問に、「巨人です。」と答えた自分は、「握手だ。」と返され、それから格好のいいターゲットになってしまった。先輩の評価を別の先輩に聞くと、「あいつは、、、」、「あの先輩は、、、」と煙に巻かれた。とりあえず、程よい距離を保ちつつ、先輩との関係値を築こうとした。なんせ、イジれるモノ(者)をゲットしたのだから。

イジりまくって、先輩の逆鱗に触れてしまい、何回か先輩と取っ組み合いのケンカをしたことがあった。良い大学生がケンカとは、恥ずかしいし、その様子をサークル単位で見られて、自分も浮いた存在になってしまったのはここだけの話だ。ケンカはいつもサークルの合宿先が定番で、きっかけは覚えていないが、スキー場、雪原でケンカをしたのを覚えている。柔道技を掛けてすぐに一本を取ったのだが、ひっかく攻撃で自分は首元をヤラれ、雪原が多少血に染まった画を覚えている。また、ある年の合宿の最終日、バスに乗る前、宿舎の畳の上でだらだらしている際、先輩は白目混じりのアホな顔で寝ていて、「ヤグチ、今だ。」と別の先輩に指示され、携帯電話で隠し撮りをしようとしたら、ムクっと起き出して、「何を撮っているんだ!」と怒り出し、そのまま喧嘩に発展、自分の携帯電話は修理するまでにヤラれたが、また先輩は大外刈りを喰らい、受け身の仕方が分からず、頭から落ちていった。毎度、ケンカの際は、「ごめん、俺が悪かった。」と先輩から謝ってくるのが定番だった。それは、謝罪の念と、「数少ない相手をしてくれる後輩だから、これからもよろしくな。」というのが目に見えていた。

そんな先輩は、当時リーマンショックの煽りを受けて就職氷河期の真っ只中ではあったが、おそらく親のコネクションを最大限に活用し、要領よく就職先を決めていた。クセのある先輩ではあったが、何かしら自分たちの記憶には残る先輩ではあった。サークル卒業とともに社会人へ、もう先輩は大学、サークル、大学祭等のイベントにも顔を出さないだろうと、後輩一同は胸を撫で下ろすと、当時に思っていたが、あれから10年以上経つが、未だに自分は交流があるし、自分が大学当時つるんでいた戦友、後輩たちも、先輩とは引き続き交流が続いている。うーん、珍味なんだろうね、先輩は。そして、先輩にとっては、自分たちは貴重な友達なんだろうなと。これ、卒業論文にまとめてみようかと思ったが、自分は心理学専攻ではなかったため、止めた。

先輩が社会人になってから2年後、自分も大学を卒業し、社会人になった。
久しぶりにメシでも行くかとなった際、自分も先輩も戦友も、スーツ姿、草臥れたYシャツでご馳走になった新宿での焼肉を覚えている。社会人になった先輩は、相も変わらず運動音痴だが、お金を貯めて買った結構なお値段の自転車でサイクリングすることが土日の趣味のようだった。車の免許は持っていない。まあ、車の運転、めっちゃ下手そうだから、ドライビングスクールに通ったところで、国が免許発行の許可は一生出さないと思う。電車が好きなのだから、それでどこにでも行けばいい。また、先輩は結構な酒が入り、恋愛事情にも質問を向けてみることにした。

自分たちの情報では、大学時代は彼女なんてできず、童貞のまま卒業、社会人デビュー、今はどうしている?というステータスだった。すると、彼女の有無ははっきり言わないくせに、いつでも遊べる女の子が複数居る、みたいなことを言い出すのだ。自分はロジカルに詰問をしようとしたが、いい塩梅に酔っ払っている先輩の目がいつもならクリクリなのに、トロトロしていて、このままでいいか、と大人の対応をした。その日の帰り、新宿駅西口、今は改修工事が進んだ広場の前でお別れになったが、自分と戦友は「ガードレールにでも当たれ。」と願ったのはここに記しておく。

そんな先輩と、幕張メッセの音楽フェスに行ったことがあった。ホントは女の子と2人でデートで行きたかったのだが、断られ、宛がなくなった時、先輩に声をかけたら、「行く行く、行ってみたい。」と即答をいただいた。そっか、音楽フェスも童貞か。その時、何故か先輩は世田谷区に住んでいて、自分も世田谷区、フェスに行ったのは今から6年以上前だから、その時からご近所さんだった。別に先輩に合わせて世田谷区に住んでいるわけじゃないけど、住みよいので、都心へのアクセスもしかり。音楽フェスといっても、洋楽邦楽のメロコア、パンクロックバンドが集うフェスで、ステージ下はモッシュにダイブのカオスな空間だった。その場へ先輩を誘い、どうなるかのケミストリーを見たく、意中の女の子ではなく、クセのある男性先輩の腕を引っ張り、モッシュピットに突っ込んだ。モッシュに紛れ、先輩をボコボコにしようかと思ったが、そんな余裕もないモッシュで、先輩の行方を見失った。30-40分のパフォーマンスのあと、モッシュから出てきて再会した、先輩の姿が面白かった。蛭子さんの漫画以上に汗をかいていて「ビール、ビールが飲みたい。」と懇願していた。人生初のモッシュ、また、ぐうたら生活の中で瞬間最大風速なる運動量に、興奮していたのだろう。その際に飲んだビールの味、自分はもう忘れています。

また、先輩から巨人戦のチケットが手に入った、観に行こう、と誘われたことが多々あった。先輩との野球観戦、何がイヤかって、野次がスゴいの。たぶん、放送禁止的な言葉も使ってくる。「こいつ、性格悪いな。」って都度感じた。そして、絶妙に詰まらないのだ。そんな先輩からのアツい巨人戦観戦の誘いで一番良かったのは、2018年9月、東京ドームでの巨人対横浜の一戦だった。その日は、村田修一選手の引退セレモニーを兼ねた試合だった。こういう日くらいは、巨人打線奮起しろよと思ったが、序盤からゼロ行進で、隣にいる先輩の機嫌はどんどん悪くなり、野次の言葉はエッジが効いてきた。そして、0対0で迎えた9回裏、当時まだ巨人だった長野選手のサヨナラホームランで勝利が決まった際は、ライトスタンドは優勝したような盛り上がりだった。試合序盤は「金返せ。」的なことを言っていたのに、試合終了後は「村田―、長野―、ありがとう!!」と手のひらを返していた。東京ドームを後にして、混雑の中、神保町まで歩き、牛丼屋に入ろうとしたのだが、後楽園から神保町まで、先輩はご機嫌でスキップ、そして巨人が得点をした際に歌うチャントをヘビロテで歌っていた。自分はその時、スマホでなんJを見ていた。

そんな先輩が結婚した報告を受けた際は、ホントにびっくりした。単純に「あんな先輩でも結婚できるんだ。」と大学のサークル関係者は誰もが思ったのに違いない。そして、奥さんはどんな人なんだろうか、彼の素顔をちゃんと理解しているのだろうか、何故か人様の結婚を心配していた。SNSでの報告を見る限り、戦略的な結婚ではなく、恋愛結婚のようだ。そこまで調べなくてもいいのだが、どうしてもこの珍味なる先輩の様子は気になるのだ。結婚報告に続き、挙式日が決まったようで、自分は結婚式の二次会のお誘いをいただいた。大学の同期、後輩と行くことにした。どんな先輩であろうと、結婚式は特別なものだ。当時、自分はまだ結婚していなかったし、二次会であろうと、そのような席は楽しみであるし、大学時代の先輩、同期や後輩に会えるいい機会であった。

二次会は、新宿から歩いても行ける初台の高層ビルの54階の会場で行なわれた。ビルエントランスに着いた際、「さすが、いいところで挙げるなぁ。」とビルを見上げ、受付開始時間までは1階のHUBで力を貯めていた。

受付時間になったところで、54階まで上がった。少し高山病になりそうだ。54階のエレベーターを降り、会場までは真っ直ぐ、会場入口には受付が設けられていた。受付にて、名前を申す。その時から感じた違和感を、自分は忘れない。

クセがある先輩だが、ハロウィン時期はSNSにコスプレパーティで盛り上がっている写真を投稿していたし、まあ、100人くらいは堅いだろうと踏んで望んだ二次会、もしかしたら、男女の出会いもあるかもしれないと踏んで望んだ二次会。自分はいつもより髭を整え、整髪剤はベットリ付け、大事なプレゼンの時に着用するスーツで決めてきた。

会場に入る。大きな窓からは東京の夜景が一望できた。それは良しとして、自分たちは少し早く会場入りしたのだろうか、なかなか会場が賑やかにならない。ぼちぼちの客入り、20人くらいか。まあ、これから大勢入ってくるだろう、また、その中には可愛い子も居るだろう、そう思って、ジントニックをちびちび飲んでいた時だった。

「それでは、エントランスにご注目ください、新郎新婦の入場です。」

え、この状態で始まるの。自分は疑った。二次会会場に受付の幹事が戻ってきても20数名、これで今日やるの??

少し時間を遡る。受付時、テーブル越しに二次会幹事となる方が受付をしていて、参加者リストにチェックを付けるのだが、その時リストの数に目を疑っていた。自分の偏見かもしれないが、二次会の参加者リストって、披露宴以上に多数のゲスト、新郎新婦の関係者が集うため、該当者を見つけてチェックを済ませ、参加費を徴収し、中に通すって結構時間がかかるものだ。それが、スムーズに「お待ちしておりました。」と一言添えられた。自分も反対に見えるリストから「あー、自分これですね。」と指を差し、参加費を渡して、会場に入った。

おや、何だかおかしいぞと。

当たり前の演出で、新郎新婦が深く礼をして、会場に入ってきたMAROON5の「Sugar」が流れる。うんうん、ベタな演出なんだけど、会場、100人くらい入れるところに、20人ちょっとなのよ。

その二次会は、新郎新婦のゲストは20人ちょっとしか集まらなかった。あんなに床が見える二次会は初めてだった。今日の世界を脅かすコロナウイルスより先に、ソーシャルディスタンスを敷いていたのは、この二次会だったのかもしれない。いや、ソーシャルディスタンス敷いてももっと入るぞ。

乾杯の後、皆はビュッフェに群がる。ただ、あんなに優雅にビュッフェを楽しめる二次会も、もう経験しないと思う。ビュッフエで人気があり、すぐに無くなるであろうローストビーフまでもが、この二次会では余っていた。ゆっくり食事を摂りつつ、歓談できた二次会は初めてだった。20人なので、新郎側、サークルの先輩後輩も限られていて、これは何かの罰ゲームなのか、裏で誰かの結婚式が被っていたのか、いや待て、結婚式披露宴は何人集まったんだと、頭の中でいろんな質問が浮かび上がってきた。この人数なのに、100人以上が集ったように堂々とする新郎新婦も、ちょっと笑えてきた。

二次会は進み、新郎が回答者を指名できるクイズなる出し物が始まった。自分は何故か「巨人の今の背番号2は誰?」というクイズで解答権が与えられ、直ぐに「陽岱鋼」と答え、景品くじに進んだ。そのくじで手に入れた景品は映画チケット2枚だった。その映画チケットをエサにして、女性との会話のきっかけ、距離を詰めたいのに、会場内に、声を掛けたくなるような女性は、誰もいなかった。

二次会を終え、一緒に参加した戦友、後輩と飲み直す。たぶん、その年の「なんだったのか大賞」は、この二次会だと確定する。そして、自分が結婚した際の二次会は、絶対に100人は呼んでやろうとその時決めた。

そんな先輩も息子ができて、可愛がっている様子をSNSに上げている今日この頃。今も同じ世田谷区に住んでいる。落ち着いたら、また、東京ドーム行きましょうか。

あと、「出産祝い、何が良い?」と聞かれた際、「玩具が良いです。」ってリクエストしたら、海外仕様の玩具をいただいた。さすが、いいとこの子だ。あと、新生児中に余ったミルクや清浄綿もいただいた。有難うございます。先輩、これからも程よい距離で、お願いいたします。

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