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世界経済を支える"箱"の歴史「コンテナ物語」

2年ほど前に読んだ本ですが、とあるきっかけで思い出したのでメモを残しておこうと思います。

海上コンテナの発明と普及がいかに世界経済を飛躍させたか、いかに革命的だったかをその歴史と共に記した一冊です。

今や海上コンテナ輸送はグローバルサプライチェーンを支える根幹ですが、わずか数十年前までは大勢の港湾労働者が人力で荷役作業をしていた歴史があります。コンテナの発明と普及によって輸送の効率化が飛躍的に進む様子が描かれていますが、その過程では様々な障壁があり、一筋縄ではいかなかったことがよくわかります。

スケールが大きくロマン溢れるコンテナ輸送の誕生秘話は、読んでてめちゃくちゃ面白いです。特に示唆深かったのは、コンテナが発明された後の社会実装の過程でした。「発明」と「社会実装」はまったく別物で、後者を泥臭くやりきったからこそ人の生活が変わるんだなというのがよくわかりました。

印象に残ったところを一部抜粋してコメントしていきます。

コンテナの登場で、モノの輸送は大幅に安くなった。そしてこのことが、世界の経済を変えたのである。かつてはどの港にも、安い賃金と劣悪な条件の下、貨物の積み下ろしで暮らしを立てる労働者の一群がいた。だがもうその姿を見かけることはない。

最大の出費は、沖仲仕の賃金である。これは、一航海にかかる総費用のゆうに半分に達した。そうなると、港湾設備の改善や大型船の建造に投資するのはほとんど意味がない。人力で荷役をする限り、作業時間を短縮し港と船を効率よく使うことは到底望めなかった。
終戦直後の港湾労働者の数はきわめて多く、一九五一年のニューヨーク港では五万一〇〇〇人以上、ロンドンでも五万人の登録労働者がいたという。

Beforeコンテナの世界では海上輸送コストが極めて高く、その大部分が港湾で働く労働者の人件費だった。

その有用性が確かめられてからも、普及には時間がかかることが多い。それは、誰しも旧製品への投資を回収したいからである。たとえば、エジソンが白熱電球を発明したのは一八七九年だが、二〇年後になっても、アメリカの一般家庭での電球普及率はわずか三%だったという。

荷役にかかる高いコストを解決する方法は、はっきりしていた。何千もの袋や箱や籠を積み込み、下ろし、移動させ、また積み込むのではなく、大きな箱に貨物を詰めてその箱を運べばいい。 「箱」の発想はずいぶん前からあり、一九世紀後半にはイギリスとフランスの鉄道が家具を木箱に詰めて運んでいる。先見の明のある専門家は当時すでに「サイズを統一したコンテナをトラックで運び、クレーンを使って無蓋貨車、トレーラー、倉庫、船に積む」ことを提案している。

箱を使う発想自体は、実は1920年代からあった。

埠頭の非効率を根本的に解消するアイデアはなかなか出てこない。まったく新しい解決策を持ち込んだのは、船のことなど何も知らない一人の門外漢だった。

マクリーン運送の誕生である。一九三四年三月のことだった。ガソリンスタンド運営の傍らマルコム青年がたった一人の運転手として働く小さな会社である。

マクリーンがさらに大胆なアイデアを思いついたからである。トレーラーを船で運ぶのは効率がわるいと気づいたのだ。トレーラーには車輪がついていて、これが貴重なスペースを無駄にしてしまう。それなら車輪をとってしまえばいい。政府が戦時中の使い古しのタンカーを安く民間に払い下げていることも好都合だった。それを二隻ばかり買い入れ、トレーラーの「ボディ」を積むようにしたらどうだろう。つまり、トレーラーからシャーシ(車台)を外してただの「箱」にしてしまうのである。

マルコム・マクリーンがすぐれて先見的だったのは、海運業とは船を運航する産業ではなく貨物を運ぶ産業だと見抜いたことである。今日では当たり前のことだが、一九五〇年代にはじつに大胆な見方だった。この洞察があったからこそ、マクリーンによるコンテナリゼーションはそれまでの試みとはまったくちがうものになったのである。輸送コストの圧縮に必要なのは単に金属製の箱ではなく、貨物を扱う新しいシステムなのだということを、マクリーンは理解していた。

海上輸送を変えたのは、陸送業出身のマルコム・マクリーンだった。

コンテナが登場してから六年が過ぎた一九六二年の時点では、貨物取扱量に占めるコンテナの割合は微々たるものだった。そもそも海運大手の経営者たちは、コンテナに輸送産業の未来がかかっているとは思っていなかったのである。

だが、マクリーンにとってほんとうの勝利が訪れたのは、コスト計算をしたときだった。中型の貨物船に一般貨物を積み込む場合、五六年当時はトン当たり五・八三ドルかかった。だが、アイデアルX号ではトン当たり一五・八セントしかかからなかったのである。これほどのコスト削減効果があるなら、コンテナの未来は明るいとマクリーンは考え た。

コンテナのメリットを最初に実感したのは、エレクトロニクス・メーカーだった。電子製品は壊れやすいうえ盗難にも遭いやすく、まさにコンテナにあつらえ向きの商品である。エレクトロニクス製品の輸出は一九六〇年代前半から伸びていたが、コンテナ化で海上運賃が下がり、在庫費用が圧縮され、保険料が安くなると、日本製品はアメリカ市場を、続いてヨーロッパ市場を席巻するようになる。

1956年コンテナリゼーション最初期、貨物の積み込みコスト削減率は驚異の90%以上。戦後日本の製造業もこの恩恵を受ける。

工場でコンテナをいっぱいにできる場合には、厳重な梱包は不要になる。またコンテナそのものが動く倉庫のようなものだから、保管費用も大幅に切り詰められた。盗難は急減し、輸送中の損傷も九五%という劇的な減少を記録している。これを受けて、保険料は三〇%引き下げられ た。航海日数と荷役時間の短縮により、輸送在庫のコストも圧縮された。 マルコム・マクリーンが一九五五年の時点で早くも見抜いていたように、荷主にとって問題なのは、船がいくらでトラックがいくらか、また保険はいくらか、といったことではなく、自社の工場から最終目的地までのトータルコストである。

アメリカン・プレジデント海運がのちにあきらかにしたところによれば、「コンテナリゼーションにより、アジアから北米向けの貨物運賃は四〇〜六〇%下落した」という。経済学者のダニエル・ベルンホーフェンらの調査によると、一九六六〜九〇年にコンテナが国際貿易量の増加に果たした役割は、政府による貿易障壁撤廃の努力の二倍の効果があったという。ただの「箱」は、世界経済の規模をとてつもなく大きくしたのだった。

コンテナは輸送コストを引き下げるだけではない。時間の節約と正確性の向上も実現する。荷役の時間は驚異的に短縮され、保管の手間もかからない。また事前に正確な計画が立てられるから、鉄道の貨物基地あるいは港の倉庫で長々と待つ必要もない。トヨタやホンダがジャストインタイム方式を採用できるのも、コンテナとコンピュータの組み合わせがあればこそ、である。

ジャストインタイムに代表される定時輸送は、コンテナなしには到底実現できなかっただろう。貨物を一個一個人力で運び、港に何日も停泊し、船からトラックへ、トラックから鉄道へ、と受渡しに煩雑な手順を要する時代には、「いつ着くか」を予想することは至難の業であり、遠くのサプライヤーから予定通りぴたりと貨物が到着することはまず期待できなかった。したがって生産ラインを滞りなく稼働させるためには、安全在庫を十分に抱えざるを得ない。

二〇世紀末に起きたグローバリゼーションは、だいぶ性質がちがう。国際貿易の主役は、もはや原料でもなければ完成品でもなかった。一九九八年のカリフォルニアに運ばれてきたコンテナの中身をもし見ることができたら、完成品が三分の一足らずしか入っていないのに驚かされるだろう。残りはグローバル・サプライチェーンに乗って運ばれる、いわゆる「中間財」である。

この「箱」の歩んできた道をたどってみて何とも驚かされるのは、専門家や先駆者でさえ繰り返し予想を誤ったことではないだろうか。コンテナは、触れるものすべてを変えるという点でも、その変わり方が誰にも予測できなかったという点でも、まことに一筋縄ではいかない存在だった。 ただの箱が輸送革命を起こすとは、当時は誰も考えていなかった。

個人的に印象に残ったポイントは以下でした:

  1. コンテナリゼーションを推し進めたのは、当時ある種アウトサイダーだった陸運業者のマルコム・マクリーンだった。

  2. コンテナというプロダクトの発明だけでは輸送革命には至らず、その後、専門家を強引に口説くなどの採用力、海運業者を買収するためのファイナンス、規制当局との交渉/Bizdev、という長期にわたる総力戦を経て社会実装をしていった。

  3. 当初はシンプルな輸送コスト削減・効率化と思われていたコンテナ輸送が、結果的にグローバルな経済成長を後押しし、企業の在り方をも根幹から変え、富をもたらした。

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