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いったい誰が消費するのか?

ポジティブorネガティブ…

新しく生み出されたテクノロジーに対してポジティブな見解を語る人とネガティブに語る人がいるが、ポジティブに語るほうが儲かり、ネガティブに語るほうが儲からない。だから、ポジティブに語る人ばかりが増えることになる。


嬉々として語る

嬉々としてAIについて語っている人たちをたくさん見かける。企業人やAI開発者がAIの未来をポジティブに語るのは理解できる。企業人は社員1人に毎月100万円の給料を12ヵ月払うよりも、1000万円の機械を導入する方が200万円得するからだ。AI開発者はAIの話題が盛り上がれば投資を受けられる。

しかし労働者がAIについて嬉々として語るのは少し理解が難しい。労働者の場合、自分が今後も今までどおりに同じ給料をもらえるorより高い給料をもらえるという前提に立っていないとAI開発には喜べない。もしくは、自分の勤めている企業がAIを導入することによって「より多く儲かる」と思わないと喜べないはずだ。

なぜ儲かるのか?

ここで問題となるのは「AIを導入すると、なぜこれまでより多く儲かると言えるのか?」ということだ。基本的に、AIは人間の代替でしかなく、代替できるからこそ企業としては利益が上がるのだが、代替される労働者は、代替されたあとに行き先がない。だからこその学び直しだという議論もあるが、イノベーションは基本的に人間の代替なのだから、労働者100人必要だったものが10人でOKになれば、90人分の仕事はなくなる。90人分の仕事が新たに生み出せていたのは、まだ生活必需品が人々に行き届いていなかった時代の話だ。機械をつくる人は不要になれば事務員が必要になっただけで、事務員が不要になれば事務員の行き先はどこにもない。あるとすれば10人分の事務をこなせるハイパー事務員くらいである。

かつて…

日本が高度成長を成し遂げているころ、エネルギーは石炭から石油へと移行した。日本の各地には炭鉱があり、そこには炭鉱労働者がいたが、石油は日本では掘れないので、炭鉱は次々に閉じられていく。石炭よりも石油のほうが安く、安いなら企業はそれを使う。それで炭鉱労働者はクビになるわけだけど、ここで抵抗したのが三池炭鉱の労働組合だった。抵抗したところで石炭は掘っても売れないのだから、最初からある程度諦めて退職金を早々にもらい、新しいことをはじめるべきではあった。
しかし最近はその石油もエネルギーシフトの流れがきており、中東の産油国に育つ若者たちは「どうしようかな」と悩んでいると聞く。石油に依存しすぎて、石油ビジネスがなくなったらどうしようかなというわけだ。

こういう労働者たちの「どこへ行くか」問題は、誰も知ったこっちゃないといえばそれまでである。ただ、重要なのは、こういう労働者たちこそが企業人の大好きな「消費者」だということだ。

消費者の軽視…

ぼくたちはあまりにも消費者を軽視しすぎている。
消費者はどこかで自然発生的に生まれるのだと考えてはいないだろうか?消費者は自然には生まれない。消費者は大抵の場合は労働者であり、その人たちも仕事がなければ消費はしなくなる。

無料のビジネスモデルのほとんどは広告で運営されているが、広告を出す企業は無料のビジネスモデルは基本的に展開できない。誰かが我が社のサービスやモノを買ってくれるという期待で広告は出稿されるからだ。
もしくは、広告を出す企業も、また広告によるビジネスモデルを運営しているケースもある。「いつか誰かがお金を出してくれるだろう」という期待のもとに無料のビジネスモデルが連鎖していく。

誰が消費するのか…

誰かが消費しなければ、いくら労働生産性を上げても無意味だ。
AIはどこまで性能があがっても、何も消費してはくれない。
日本の労働生産性が低いのは事実だが、それは社会全体の仕組みに問題があるのであって、AIでは何も解決できないだろう(言い過ぎ)。

それでも「AIが未来を明るくしてくれる」という期待を持たせる人がいる。しかし、「それで結局、誰が消費してくれるのか?誰が我々のサービスやモノを買ってくれるのか?」という問題が解決しない限り、未来は明るくならないと思う(言い過ぎ)。


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