東京五輪エンブレム問題

1.課題設定 

 本ブログでは東京五輪エンブレム問題を扱う。この問題を取り上げた理由は、当時メディアで大々的に報道されていたけれど、問題の本質が何だったのかを知らないと考えたことから選択した。今回は商標に関する法令の基準について論じると同時に世論の知財に対する認識にも注目して論じていきたい。

2.争点はなにか 

 そもそも、東京五輪エンブレムは何が問題だったのだろうか。それは、東京五輪のエンブレムがベルギーにあるリエージュ劇場のロゴを盗作が疑われたことである。ロゴやエンブレムは一般的には「商標登録」を行うことで法的な保護を図ることができる(商標法第1条)。ベルギー側は自国において劇場のロゴを商標登録していなかったので著作権侵害で争うと主張した。商標権は登録を行った国のみで権利が生じるが、著作権は作品が創作された時点で付与される権利で登録は必要ないからである。

 では、東京五輪エンブレムはリエージュ劇場のロゴと比較して著作権の侵害にあたるのだろうか。当時、このエンブレムは国際的な商標登録の調査をクリアしていた。その上で著作権侵害が成立するには以下の条件が満たされていなければ侵害にはならない。まず、作品が思想や感情を創作的に表現したものであること。次に、元作品と侵害された作品が酷似といえるほど似ていること。そして、問題となる作品が先行作品に依拠して作られたものであることである。しかし、本件は過去の著作権の判例と照らしてみても、著作権を侵害したという基準は満たしておらず法令上では問題ないという結論にいたっている。私が参照した資料にも以下のような論拠がなされていた。

 アルファベットを使用した「ロゴ」は,出所やサービスの内容,質などを示す「ロゴ」本来の機能と離れて、独自に鑑賞の対象足りうると評価されない限り著作権法によって保護される著作物とは認められません。「ロゴ」の著作権法による保護に制限を加える理由は、万人共通の財産である文字の自由利用が過度に制限されることがないようにするという基本的な考え方が根底に存在するからです。視点を変えてリエージュ劇場のロゴの著作物性について検討すると,問題となる「ロゴ」は,表現されたものを見る限り非常に単純と評価せざるを得ず、著作物と評価されるに足りる創作性が欠けるともいえます。なお,リエージュ劇場のロゴは,様々なコンセプトを前提に完成に至るまで試行錯誤を尽くした上で完成されたものであろうと推測します。しかし,著作物性の判断においては,あくまで表現の結果(完成した「ロゴ」)を基準に判断することになりますので,創作の過程は創作性の判断に直接的に影響を及ぼすことはありません。

3.著作権法

  他の専門家の意見も同様に佐野氏のロゴと劇場のロゴを比較して類似点はあるものの、盗用とまでは言えないという認識で一致している(註3)。同様に私も著作権法2条1項1号に照らして、リージェ劇場側が主張する著作権の侵害は認められないと考える。その一方で、世論は「類似している」との意見が多数を占めていた。なぜこのような認識のズレがおこったのであろうか。

4.無意識のバイアス

  そもそも人間には、似たものを同じものと判断する傾向があるという。ある前作に「似たもの」があるとそれを「同類」であると認知する特性があるので、その無意識なバイアスが本件に影響を与えている可能性があるだろう。それに加えて、佐野氏の事務所がデザインしたイラストが著作権侵害にあたることが発覚し社会的な信頼を失ったことも関係しているだろう(註4)。いずれにしても、原告側が被告である著作者がある作品を依拠して制作を行なっていたかを証明することは困難なことから今後も議論する余地があるだろう。

5.今後の課題

  東京五輪エンブレム問題の教訓は、その作品とある作品とが質的に何が違うのかが広く議論されたことである。著作権は非常に強い権利を有するのでこれからも一般の人々が知財について理解することが必要であろう。そのためには教育などによって知財の重要性を訴求する取り組みが不可欠ではないだろうか。

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