近所の犬達と目が合わない。

私は犬が好きだ。
犬なら基本何でも好きだが、取り分け白くてふわふわした犬を好んでいる。もっと言うならマルチーズという犬種を心から愛している。
というのも、昔マルチーズを飼っていたということが大きい。初代愛犬である。その愛犬が亡くなった後、とある事情で預かった犬もマルプー(マルチーズとプードルのミックス)だった。このマルプーは私が実家を出た後に預かったので、残念ながらほとんど面識はなかった。それでも帰省のたびに盛大に出迎えてくれたし、視力と聴力を失った後も私が近付くと気配を察して尻尾を振ってくれた。とても可愛い二代目愛犬だった。

話は変わるが、私は去年引っ越しをした。引っ越し前に住んでいたところはほとんど犬を見かけない不毛の地だった。公園のような場所が近くになかったせいもあったと思う。
そんな環境にいたこともあり、引っ越し先が犬犬パラダイスだったことには大いに喜んだ。私は散歩が趣味なのでうまくいけば毎日犬と遭遇できる。こりゃあ犬モクが捗るぜ、といった心境であった(私は散歩中に犬を見つける行為を犬モクと呼んでいる。非常に気持ち悪い)

外に出ると案の定、散歩中の犬がたくさんいた。私好みの白っぽくてふわふわの子もいた。大歓喜である。そのままルンルンとしばらく歩いて、ふと気付いた。
犬、全然こっちに興味示さない。
私の地元はド田舎のため、知らないおばさんに「あらおかえり!」と声をかけられることが日常茶飯事だった。連れられている犬が遊んでほしいとばかりにグイグイとリードを引き「あらまりんちゃんダメよ~」「いやいや大丈夫ですよ、まりんちゃんって言うんですか可愛いですね」と撫でさせてもらうのがお決まりのパターンだった。お決まりって何だよ。
次に移り住んだのが例の不毛の地だったゆえに、私は犬観は地元(ド田舎)のまま固定されていたのだ。そのことに気付き衝撃を受けた。いやでも、前に住んでたところだって横断歩道で信号待ってた犬がファンサくれたことあるし……

それにしてもご近所の犬達、マジで人間に興味を示さない。
考えてみれば当たり前だ。こっちも犬を連れているとかおやつをくれるとかならまだしも、映画シャイニングのおっさんのような面構えの不審者に愛想を振りまくメリットなど皆無である。
ちなみにこのシャイニングジジイフェイスは私の自称ではなく、仲の良い友人に「本当にそっくり!」と太鼓判を押されたものだ。ジャックニコルソンには悪いがめちゃくちゃ不名誉だなと思う。

地元の犬達と違い、近所の犬達は颯爽と歩く。人とすれ違うたびに立ち止まったりリードを引っ張ってこっちに来ようともしない。ただ飼い主の顔をチラチラと伺ったり、お気に入りっぽい街路樹に向かって突撃したり、実に犬らしい仕草をする。とても可愛い。
こんなことを書くとつぶさに観察しているように見えるかもしれないが、実際はそこまで凝視しているわけではないので安心してほしい。幸いこのご時世ということもあって、キッショイ顔もマスクで半分以上隠れている。

なぜこんな記事を書いたのかというと、今日が初代愛犬の命日だったからだ。9回忌になる。いまだに喪失感を抱えているし、あの子と可愛さでタメを張れるのは二代目愛犬くらいだな、と思っている。
きっともう犬は飼わない。というか多分生き物全般飼わない。二代目愛犬のように巡り合わせがあればあるいはだけども、自主的に迎え入れることは二度とないだろう。
喪失とは、本当にしんどい。出会わなければよかったなんて思うわけがないけど、経験せずに済むならそれに越したことはない。

だけどやっぱり犬は好きだ。だからこれからも犬モクと称して近所を徘徊するだろうし、SNSでフォローしている犬はマルみを帯びている子ばかりだ(私はマルチーズの血が入っている犬をこう呼んでいる。本気で気持ち悪い)
そしてあの二匹も、何台スマホが変わってもデータフォルダにひっそり居続けるのだろう。どんな声で吠えていたのか記憶は薄れてしまったけど、あのふわふわの毛の感触は、いつまでも私の手に残っている。


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