はじめての政治哲学 「正しさ」をめぐる23の問い 第3章 14 フェミニズム

なぜどちらかの性が優位になるのか?

男女ともに、いまの社会では仮にどちらの立場になっても不合理な状況に甘んじざるを得ない。

大切なことは、なぜどちらかに有利な社会になってしまうのか、それを解消するためにはどうしたら良いのかを考えることではないだろうか?そのためには、男性優位の社会が変容してきた経緯と、そこで主張されてきた思想について学ぶことは不可欠といえる。以下、フェミニズムの思想を中心に見ていく。

第一波フェミニズム

一般論としてのフェミニズム

一般にフェミニズムとは、女性の権利を主張する思想であるとか、男女平等な世の中を目指す思想として定着しつつある。しかし、ここに至るまでに長い歴史がある。

女性版の人権宣言

1789年にフランスの『人権宣言』が出されたが、ここでいう「人」には女性が含まれなかった。

だからこそ、この宣言から間もない1791年、フランスの作家オランプ・ド・グージュ(1748〜93)は、あえて『女性および女性市民の権利宣言』を著さざるを得なかった。いわばこれは女性版の人権宣言であった。

第一波フェミニズム

その後、19世紀後半から20世紀前半にフェミニズムの運動が高まりを見せた。この時期彼女たちは、社会参加するために、参政権をはじめとした政治的権利や、財産権などの法的権利の獲得を目指して運動を展開した。

こうした盛り上がりは「第一波フェミニズム」と呼ばれる。代表的な思想としてはミルの『女性の解放』(1869)を挙げることができる。ミルは、「女性が男性に法律上従属するということは、それ自体において正しくないばかりでなく、いまや人類の進歩発展に対する重大な障害物の一つ」であると明言している。

ところが、第一波フェミニズムは、あくまで公的な領域での男女平等を求める運動にすぎなかったため、次第に限界を迎えることになった。そして、「第二波フェミニズム」へと向かうこととなる。

第二波フェミニズム

第二波フェミニズムのはじまり

第二波フェミニズムは、1960年代アメリカにおいて、ベティ・フリーダン(1921〜2006)が全米女性機構を結成し、『新しい女性の創造』(1963)を著すところから始まった。
そして、新たな女性解放運動を展開し、日本をはじめとした先進各国で、ウーマンリブ現象として大きな高まりを見せた。

「ラディカル・フェミニズム」

近代的家族の中は、なお男性優位主義ともいえる家父長制が残存していて、それが家庭という私的領域を超えて、外の社会である公的領域における権力関係に影響を及ぼしているという。
したがって彼女らは、男性中心の近代的家族制度を解体し、社会構造全体の根源的な変革を目指そうとする。

「マルクス主義フェミニズム」

家事や育児といった再生産労働が、女性による無償の労働によって担われてきた点を問題視し、そこに資本主義との共犯関係を見る。

再生産労働(さいせいさんろうどう)とは、直接生産活動に結びつかない、従って直接に報酬を受け取ることのない労働(間接的に報酬を受け取る労働)。
Wikipedia

ただ、この立場も、

  • フェミニズムの本質を女性への権力関係としてとらえる点

  • 私的領域での不平等が公的領域における不平等につながっていると理解する点

では、ラディカルフェミニズムと基本姿勢を同じくするものといえる。

フェミニズム理論の今日的継承

さて、以上のフェミニズムの二つの波を受けて、その後の議論を担っている二つの立場を紹介する。

  • リベラル・フェミニズム(第一波フェミニズム)を継承・発展させているスーザン・M・オーキン(1946〜2004)

  • ラディカル・フェミニズム(第二波フェミニズム)を継承・発展させているジュディス・バトラー(1956〜)

オーキン

オーキンが再編しようとしているのは、私的領域の範囲である。彼女は、女性の個人としての生活が権力によって侵害されることのないよう、プライバシーの概念に着目する。そしてそれが従来、家族単位で理解されていたことを非難し、個人単位で把握することを訴えるのである。

しかし、オーキンの主張は私的領域への国家の介入を否定するものではない点に注意が必要である。

さらに、オーキンは、家族における男女間の権力格差を考慮しないロールズの正義論を批判し、私的領域における正義を唱える。

バトラー

次にラディカル・フェミニズムの継承者バトラーの理論に移る。
「主体」の概念を所与のものとしない点が新しい。

人はあらかじめ備わっている自らの主体性にかかわらず、規範によって定められた境界線のもとに規定されると主張。

フーコーの権力論は、権力に従属することにやってはじめて、それに従う主体という存在が可能になるというものであった。それと同じで、まさに権力による法によって対象として呼びかけられ、それに応じることができる者だけが、「法の前の主体」として認められているというのである。

しかし、あらかじめ権力によって定められた境界線に普遍的な構造があるわけではなく、それは抗争を通じて常に変化にさらされる運命にある。この点にこそ、不合理な権力関係を打開する可能性を見出すことができるのではないか?

ケアの倫理

さて、最後にキムリッカが「現代のフェミニズムには、女性に特有な道徳を真剣に採りあげるべきだと論じる重要な潮流もある」と表現する「ケアの倫理」について見ていく。

男性の道徳が権利やルールに基づく「正義の倫理」であるのに対して、女性の道徳は、責任や関係性に基づく「ケアの倫理」だということができる。

この発想に立てば、男女は決して反目し合う存在にはならないだろう。

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