【武器になる哲学】12 権威への服従ー人が集団で何かをやるときには、個人の良心は働きにくくなる

私たちは一般に、人間には自由意志があり、各人の行動は意志に基づいていると考えています。しかし、本当にそうなのか?という疑問をミルグラムは投げかけます。この問題を考察するにあたって、ミルグラムが行った社会心理学史上、おそらくもっとも有名な実験である「アイヒマン実験」を紹介しましょう。

実験には広告に応じて集まった人から選ばれた二人の被験者と白衣を着た実験担当者(ミルグラムの助手)が参加します。被験者二人にはクジを引いてもらい、先生と生徒の役を決める。生徒役は単語の組み合わせを暗記し、テストを受けます。生徒が回答を間違えるたびに先生役は罰として生徒に電気ショックを与えるという実験です。

この実験で生徒役を務めているのはあらかじめ決まっているサクラでした。常にサクラが生徒役、応募してきた一般の人が先生役になるようにクジに仕掛けがしてあり、電気ショックは発生しておらず、あらかじめ録音してあった演技がインターフォンから聞こえてくる仕掛けになっていたわけです。しかし、そんな事情を知らない被験者にとって、この過程は現実そのものでした。

ミルグラムの実験では、40人の被験者のうち26人が、生徒に最高の450ボルトの電気ショックを与えました。

これほどまでに多くの人が実験を最後まで継続してしまったのはなぜなのか。一つ考えられる仮説としては「自分は単なる命令執行者にすぎない」と、命令を下す白衣の実験担当者に責任を転嫁しているから、と考えることができます。

「自らが権限を有し、自分の意思で手を下している感覚」の強度は、非人道的な行動への関わりにおいて決定的な影響を与えるのではないか。ミルグラムは仮説を明らかにするため、先生役を二人にして、一人(サクラ)にはボタンを押す係を、もう一人には回答の正誤の判断と電圧の数字を読み上げるという役割を与える実験を行いました。果せるかな、最高の450ボルトまで実験を継続した被験者は、40人中37人、つまり93%となり、ミルグラムの仮説は検証されました。

この結果は、逆に責任転嫁を難しくすれば、服従率が下がることを意味します。

ミルグラムによる「アイヒマン実験」の結果は様々な示唆を私たちに与えてくれます。

一つは官僚制の問題です。ミルグラムの実験では、悪事をなす主体者の責任が曖昧な状態になればなるほど、人は他者に責任を転嫁し、自制心や両親の働きは弱くなることが示唆されます。

その典型例がホロコーストです。政治哲学者のハンナ・アーレントは、ナチスによるホロコーストは、官僚制度の特徴である「過度な分業体制」によってこそ可能だったという分析を示しています。ドイツ以外の国民であっても、ナチス以外の組織であっても、あのような悲劇は再び起こりうるのだ、というのがアーレントの指摘です。

もう一点、ミルグラムによる「アイヒマン実験」はまた、私たちに希望の光も与えてくれます。権威の象徴である「白衣の実験担当者」のあいだで意見が食い違ったとき、100%の被験者が150ボルトという「かなり低い段階」で実験を停止した、という実験結果を思い出してください。この事実は、自分の良心や自制心を後押ししてくれるような意見や態度によって、ほんのちょっとでもアシストされれば、人は「権威への服従」を止め、良心や自制心に基づいた行動をとることができる、ということを示唆しています。 

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