【武器になる哲学】15 マキャベリズムー非道徳的な行為も許される。ただし、よりよい統治のためなら
愛されるリーダーと恐れられるリーダー、どちらの方が優れたリーダーなのか、というのは人類の歴史が始まって以来、連綿と議論されてきた問題です。マキャベリは、著書『君主論』の中で、端的に「恐れられるリーダーになるべきだ」と主張します。マキャベリズムとは、平くまとめれば「どんな手段や非道徳的な行為も、結果として国家の利益を増進させるのであればそれは許される」ということになります。この本が、当時も今も私たちに衝撃を与えるのは、これほどまでにあけすけに「タテマエとホンネ」のうち、ホンネでリーダーのあり方を語る言説が、ほとんどないからです。
「どのようなリーダーシップのあり方が最適なのか」についての答えは、状況や背景によって変わります。したがってマキャベリの主張もまた、当時のフィレンツェの状況を知らずに鵜呑みにすることは危険だと思います。
当時、フィレンツェは列強諸外国からの介入を受けていました。諸外国の軍勢と比較して、フィレンツェの軍事的脆弱さは如何ともしがたく、外交官として働いていたマキャベリは10年以上に渡って、諸外国・諸都市を訪問し、なんとか共和国を支えようと奮闘し続けたのです。
なかでも、マキャベリはチェーザレ・ボルジアに強い感銘を受けたようです。
マキャベリは、チェーザレの特に「結果を出すためには非常な手段も厭わない」という態度に大きな感銘を受け、ひたすら道徳的・人間的であろうとするために戦争にからっきし弱かったフィレンツェのリーダーたちに、チェーザレの思考様式・行動様式を学んでほしいと考えました。
一点、注意しなければならないのは、マキャベリは「どんなに非道徳的な行為も権力者には許される」などと言ってはいない、という点です。つまり、その行為が「よりよい統治」という目的に適っているのであれば、それは認められると言っているだけで、憎しみを買い、権力基盤を危うくするような不道徳さは、これを愚かな行為として批判しています。
リーダーの立場にある人であれば、状況しだいで歓迎されない決断、部下を傷つける決断を迫られる時があります。それでもリーダーは、それがビジネスであれ、他の組織であれ、家族であれ、自分が長期的な繁栄と幸福に責任を持つのであれば、断じて決断し、あるいは行動しなければならない時がある、ということをマキャベリズムは教えてくれます。
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