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ちょっとだけ朝に起きられた

 思いのままに書き綴っていたら、違う意味に読める気がしたので長々しい説明文を書いてみました。

 でも、なんかいろいろと間違えた気がします。

久しぶり

 今日は午前中に起きられました。久しぶりです。

 最近は薬の影響もあって午前一杯寝てばかりいました。

 夜更かしもあります。午後から起きることが多いので、ついつい夜更けまで起きちゃうんですよね。

 とくに、この数日は眠くなるまでゲームで遊んでいました。

 楽しいです。でも、どうしようかとちょっと悩んでいます。夜更かししてもできないことが多くてあまり生産性がないんですよね。

 今はゲームが楽しいけど、この先ずっとゲームばかりしているかというと、飽きるのが目に見えています。

 ゲームに飽きたら夜更かしを止められるのか、昼間にゲームするか、が悩み処です。

 実は私、お米があまり好きではありません。正確にはお米がというより水の味が好きじゃないんです。

 だから、水の影響が強いお米も好ましく思えなくて、たまに嫌になるときがありました。それが現在です。

 そんなときはお米以外のものを食べます。麺とか、栄養ブロックとか、最近はシリアルばかり食べてました。

 別にシリアルに飽きたわけではないんですけど、今日はお米が食べたいなって思えたんです。

 美味しかったです。久しぶりに食べるとちゃんと美味しいと思えるのが不思議ですよね。

 散歩では少し遠出してきました。家の周辺を30分くらい歩きました。

 頑張ったというわけではなく、昨日は外に出ても10分くらい歩いて終わりにしたんです。外に出ただけで満足してしまったんですよね。

 今日がいつも通りです。

 帰宅後はお洗濯です。昨日は、前前日に張り切り過ぎて干場がなかったことと、意外と散歩で疲れてしまったのもあってお見送りしました。

 紫外線を避けての部屋干しなので、2日くらい干さないとちゃんと乾かないんですよね。

 散歩時間を増やしたので、ちょっと不安でしたが大丈夫でした。このまま外出後や入浴後は、お洗濯する習慣をつけていきたいです。

読書

 ひと月ぶりでしょうか。実用書を読みました。お米を炊いている間だけと思ったら、2時間も集中していて驚きました。

 読んだのは、両@リベ大学長の「本当の自由を手に入れるお金の大学 一生困らない5つの力が身につく実践型ガイドブック」です。

 樺沢紫苑の「ブレインメンタル強化大全」と一緒に買った本です。

 「ブレインメンタル強化大全」を読了してから、少しだけ目を通したところで夏の不調が始まってしまいました。

 実用書とか、頭使う本ってちゃんと調子が整っていないときは読みづらいです。文字は読めても理解ができないんですよね。

 貯める力の章を途中まで読むことができました。

 今回は、まとめながら読んでいるので、「ブレインメンタル強化大全」のときよりタイムラグを小さく公開できると思います。

 でも、その前に香月美夜の「本好きの下剋上」の感想をまとめて公開するか、が悩ましいですね。

 批判はいいことが何もないんです。何をどこにこだわり、向上心を持つか否かは作者が決めることであって、読者が求めることではありません。

 だから、惜しいとか不満に思うことはあっても、改善してほしいとか憤りなんかはないです。

 一方で、批判だろうが、感動だろうが、心に思ったことや考えたことは私の一部でもあるんですよね。

 いいものではないから、と偏った内容にするのは自分を否定しているようにも感じてモヤモヤしてしまいます。

 ネット小説は物語が面白くても、文章としての基本がないので、単純に好みではないとも言えません。

 なかなかよい落とし所が見つからないので悩んでいます。

心の悪さ

 去年、MBTIという性格検査の勉強をしていました。今もしている途中ではあるんですけど、脇に置きがちです。

 その中で、SとNでは説明の仕方が違うことに気づきました。

 SNというのは、MBTIの4つある指向の中で、経験上何を重要視するかという指標です。

 Sの感覚機能が優位な人は、事実やデータなど客観的なものを重要視し、情報の正確さを求める傾向が強いです。

 Nの直感機能が優位な人は、出来事に対して自分が何を思い感じたか主観を大事にしているため、情報の全体像やパターンを探す傾向が強いです。

 そのため、Sの感覚機能が優位な人は専門用語を使った説明を、Nの直感機能が優位な人はたとえ話や擬音語による説明をする傾向が見えました。

 ただ、私の周りの人にそういう傾向が見られたという話なので、本当にそうかというと、ちょっとデータとしては弱いです。

 客観性を大事にするSの感覚機能が優位な人が正確さを重要視するのはわかるんです。

 一方で、主観を大事にするNの直感機能が優位な人が、なぜ全体像やパターンを掴むのがうまいのかは我ことながら疑問です。

 感想を考えるときに全体を俯瞰する傾向があるのか、事実には全体性がないのか、などと考えてはいますが繋がりが見えないんですよね。

 ちなみに私はNが優位ですが、NとSどちらが良いかということではありません。両方大切です。

 でも、専門用語を使って正確に説明したがる人と、たとえや擬音語を使って自分の感覚で説明したがる人がいるのは確かです。

 このことに気づいたとき、私が思い浮かべたのは天野明の「家庭教師ヒットマンREBORN!」でした。

 主人公に勉強や運動を教える、友人たちの説明が個性として描かれていたんです。

 それとは別に、人の説明を批判する人がいます。専門用語ばかり使って偉ぶっているとか、擬音語ばかりで説明になってないとか。

 でも、専門用語を使うのは頭の良さに酔いしれているわけではありません。擬音語を多用するのもバカだからというわけでもないんですよね。

 専門用語も擬音語も、相手が何を重視して経験しているのかということが説明の中に表れているだけだったんです。

 結局のところ、相手の説明に対して自分がわからなかったということを、相手のせいしたい心の悪さがする批判なんですよ。

 で、ですね、なぜ私がこんな長々しい話を書いたというと、ネット小説に対する批判も結局は同じ私自身の心の悪さなんですよね。

 だから作者に何も求めてはいないし、私の心の悪さを押し付けるなんてお門違いじゃないですか。

 でも、感想は良いことだけ書けばいいとも割り切れないんです。

 良いことしか感想に書かないのは、ありのままの私ではなく、良い子の私しか認めないと言っているようなものでもあります。

 かといって、ありのままの私でと批判を書くのも、やっぱり私を否定することになるんですよね。

 脳は主語を理解できないので、他者への批判も自分の批判として認識してしまうそうです。

 もちろん小説が書けるのかといえば、noteの記事をご覧の通り、私は作文の延長でしか文章を作れません。

 小説が書けない、という批判は私自身にも当てはまることではあるんですけど、いや違う、そういう話ではないんですよ。

 つまり、自分の心の悪さとどう向き合うのかということで悩んでいるんですよね。

 批判なんてしない良い人間になれたら理想ですが、これが等身大の私です。悩ましいですね。

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