第四章 訓練の終わり①

目次とあらすじ
前回:第三章 双頭の獣④


 オルトロスを封印できるようになると、スコロペンドラという魔物を指定されるようになった。

 百足に似た魔物で、つがいで活動し、年を経るごとに巨体になり、胴の節の数は増え、甲殻は硬くなっていくという。

 ユナヘルは、オルトロスを封印して高くなった鼻はぽっきりと折られるほどに苦戦した。

 特に厄介だったのはスコロペンドラの持つ毒だった。

 体からいくつも生えている脚で引っかかれると、たとえ小さな傷でも体が動かなくなる。

 そうなればスヴェがやってきて、訓練は終了してしまう。

 いかに無傷で封印するかが大きな課題だった。

 スコロペンドラの次は、コカトリスという、雄鶏の体に蛇の尾を持つ魔物だった。

 口から吐く息には石化の魔法がかかっており、体の一部が徐々に石になっていくという恐ろしい体験を味わった。

 その次のドリュアスは木の魔物だった。

 一見すると何の変哲もないただの古木だが、魔法具を近づけると、無数に別れた枝や根を突き出して攻撃してくる。

 地下から迫る攻撃を見切れるようになり、そろそろ封印できるだろうと予想をつけたころに、スヴェから「きみが訓練するには、大森林に住む魔物では力不足だ」という言葉をもらった。



 集落の中央にある広場では、炎が煌々と明かりを放ち、その周囲で踊る亜人種たちを照らしている。

 動きに合わせて影が歪むさまを、ユナヘルはぼんやりと眺めていた。

 踊っているのは、猫の亜人種たち。

 頭部から猫の耳を生やしており、腰の辺りから伸びるふさふさの尾は自由に動くようだった。

 男女一組になって踊る亜人種たちが、隣で踊る相手と尾を絡めて遊んでいる様子が良く見えた。

 離れた場所で、木の器の中の白濁した液体をぐるぐると回していると、先ほど戦った魔物――ライカンが、液面で走り回る光景が目に浮かんだ。

 奴らの武器は連携だ。

 ライカンたちは一頭の長の下に完璧に統率されている。

 右から来たのは囮。

 正解は背後、と見せかけて、本命は頭上だった。

 前衛と後衛できっちりと役割が分かれており、動きを強化する補助の魔法から、遠距離から飛んで来る直接攻撃用の魔法など、その行動は多岐に渡る。

 ユナヘルは人差し指で地面に絵を描き始めた。

 覚えている地形や敵の位置を記していく。

 敵の土俵で戦ってはいけない。

 一頭一頭順番に対処する必要がある。

 ユナヘルの腰には、<篝火>のほかに、<双牙>も差されていた。

 セドナの大森林を抜ける途中、片手間で封印したものだった。

 オルトロスと戦うのも慣れたもので、今ではセドナの大森林に入れば、オルトロスがどの辺りにいるのか、漠然と分かるようになってきた。

 旅路が長くなり、課題となる魔物が強くなるにつれて、ユナヘルはスヴェから封印具を一つ貰い、装備を充実させることにしていた。

 さすがに低位の魔法具である<篝火>だけで戦い続けるのは――<篝火>の扱いに慣れ、封じられているイグニスの魔法の力を最大限まで引き出せる実力を得た現状でも――無理があったのだ。

 この二つの魔法具で挑戦するのは数度目だった。

 あと三回試して無理そうなら、別の魔法具で戦おう、と考えていると、スヴェが近寄ってきた。

 いつものスヴェは、この時間、この集落の族長と話をしているはずだ。

 ユナヘルは慌てて砂の絵を消した。

「飲めなかった?」

「お酒はちょっとね」

 ユナヘルはいつも通りの答えを返した。

 スヴェは魔物領を経由しながら、北へ北へと旅を続けていった。

 セドナの大森林を抜け、ゴートの湿地帯、巨人の丘、ウェナザン山峡――。

 ウルドの高階梯の兵士でも尻込みするような名立たる魔物領を慣れた様子で渡り歩くスヴェを見るたびに、彼女はこれまでどんな人生を送ってきたのかと疑問に思った。

 途中で立ち寄る亜人種の集落では、スヴェは歓迎されていた。

 村人からは旅の話をせがまれ、無償で宿を提供され、出発時には持ちきれないほどの食料を渡された。

 スヴェにくっついて歩くユナヘルにも、亜人種たちは注目した。

 どこから来たのか、一体誰なのか。

 そのたびにスヴェは「私の弟だ」と紹介した。

 その言葉だけで、ユナヘルはあっさりと集落に馴染めてしまった。

 最初は亜人たちとも言葉を交わしていたが、何度も何度も通い、同じ話を繰り返すうちに気が滅入ってしまい、今では口数が少ない人物だとそれとなく主張することで、人を寄せ付けないようにしていた。

「きみ、本当は、ずっと魔物と戦ってた」スヴェはユナヘルの横に腰掛けてそう言った。「『訓練で少しだけ』なんて、うそでしょ?」

「まあね」ユナヘルは小声で答えた。

 最近、この類の質問をされるようになった。

 一度、馬鹿正直に現在の状況を説明したことがあった。

 時間を繰り返し、何度もスヴェに会い、魔物と戦っているのだと。

 当然ながらまるで信用されず、そのときは一緒についていくことすら拒まれたため、二度と言わないようにしようと決めていた。

 ユナヘルは自分に実力がついていることを自覚しつつも、決してうぬぼれることは無かった。

 魔物と戦えるようになればなるほど、スヴェとの実力差を理解できるようになっていったからだ。

 スヴェは複数の魔法具を完璧に使いこなしている。

 ユナヘル自身も複数持つようになったから良く分かるが、一つのときよりも格段に扱いが難しくなる。

 まるで自分の体が二つに分裂してしまうかのような感覚は、何時まで経っても慣れることは無い。

 まして、スヴェのように別の魔法具で別の魔法を同時に使うことなど到底無理だ。

 また、スヴェの魔法は恐ろしく静かだった。

 引き起こされた現象を見なければ魔法が使われたかどうか分からないほどに、その発動の気配が読めない。

 スヴェを見習って、少しでも近づけるように努力しているが、ユナヘルの魔法は相変わらず魔物たちには丸分かりのようだった。

 まずは、魔法具を手で持たず、鞘に収めたままの状態――「無手」で魔法を使う訓練をしているが、スヴェの足元に及ぶには、まだまだ時間が必要だった。

 このまま魔物と戦いを続けていけば、スヴェのようになれるのだろうか。

「本当に、ここで別れるの?」

「うん。ここまでありがとう」ユナヘルははっきりと答えた。

 ユナヘルは、ある二つの制約を自分自身に課していた。

 一つは、王都襲撃後の二十日目の昼を迎える前に、どんな状況だろうと必ず「やり直す」というもの。

 二十日目の昼とはつまり、メィレ姫の処刑が行われる時間帯。

 たとえ時間が巻き戻り、全てがなかったことになるとしても、メィレ姫が殺され自分だけが生き残るなどという現実を認めるわけにはいかなかった。

 もう一つは、スヴェの指定した魔物を封印できなければ、そこでスヴェと別れる、というもの。

 この「やり直し」の力は、メィレ姫を助けるためのもので、それ以外の目的に利用してはならない。

 ユナヘルの心には、いつの間にかそのような考えが染み付いていた。

 もしもそれをしてしまえば、取り返しがつかない事態になるような、一番大切なものを駄目にしてしまうような、そんな漠然とした不安と、確信があったのだ。

 スヴェと別れたら、来た道を戻り、一人でライカンに挑むつもりだった。

 今はまだ「十日目」だから、じっくりと戦う時間がある。

 倒せれば進歩に繋がるし、負けても「やり直し」の手間が省けるだけだ。

「きみの故郷、本当にこの辺りなの?」

 ユナヘルは曖昧に返事をした。

 スヴェには嘘や誤魔化しばかり言っている気がする。

 こんなに世話になっているというのに、申し訳なく感じた。

「それより」ユナヘルは立ち上がった。「時間空いてるなら、付き合ってほしいんだけど」

「またやるの?」

「今夜で最後だし。だめかな?」

「しょうがない」

 スヴェは少し上機嫌だった。

 最近になってようやく、スヴェの感情が読めるようになってきた。

 相変わらず表情の変化は乏しいが、機嫌が良いのか悪いのかくらいは判別できるようになった。

 スヴェは立ち上がり、ユナヘルから距離を取って向かい合った。

 ユナヘルは腰の<篝火>へ意識を向けた。

 狙いはスヴェと自分の間の空間。

 そこへ、特大の炎を出現させようと、魔力を集中する。

 だが、できない。

 <篝火>は一切応えず、わずかな熱も発生しない。

 スヴェの干渉が強すぎるのだ。

 <篝火>の支配権は、完全にスヴェへ移っている。

「魔法具抜いて」スヴェが両手を広げて言った。「無手でやろうなんて、甘いよ」

 ユナヘルは素直に<篝火>の柄をしっかりと握り、鞘から引き抜いた。

 赤く燃えるような刀身が姿を現す。

 魔法具の切っ先に小指の爪ほどの火が灯った。

 せいぜい枯れ草を燃やすのが精一杯の、僅かな魔法だった。

 スヴェの干渉下では、これが限界だった。

 魔法具の柄を握るユナヘルの額には汗が滲み、呼吸は徐々に乱れていく。

 これは魔法具の支配権を奪い合う訓練だった。

 旅の途中、こうして亜人種の村に立ち寄ったときや、移動中の僅かな休憩時間にもスヴェに頼み込み、これまで何度も訓練を行ってきた。

 このスヴェとは、確か八回目だったはずだ。

 スヴェの干渉を受けると、底の抜けた桶で水をすくっているような気分になる。

 いくら力を入れても、入れた端から抜けていく。

 疲労感だけ増していき、まるで手ごたえを感じられない。

 スヴェは離れた場所からこちらを見ている。

「それじゃだめだよ」

 ユナヘルは必死の思いで抵抗する。

 この魔法具は自分のものだと強く念じ、スヴェの干渉を振り払おうとする。

 ユナヘルは、ぎゅっと目を閉じた。

 そう、スヴェは「手」を伸ばしている。

 現実には存在しない、見えない手だ。

 ユナヘルはそれをはっきりと感じた。

 スヴェの「手」は、ユナヘルの持つ<篝火>に辿りつくと、中に封じられている魔物に、その魂に触れている。

 「見えない手」は、「見えない手」でしか触れない。

 ユナヘルはスヴェの「手」を掴んだ。

 魔法具の先の火が、少し大きくなる。

「お」スヴェが声を上げた。「やるじゃない」

 スヴェの「手」を遠ざけていくと、さらに火が強くなった。

 <篝火>がユナヘルに応えようとしているのが分かる。

「そうそう」

「……こう?」か細い声でユナヘルは聞いた。

「合ってる」スヴェは頷いた。「はい、じゃあ、もうちょっと頑張ってみよう」

 突然、スヴェの「手」が増えた。

 悪寒が走る。

 ユナヘルの「手」では数が足りない。

 たちまち<篝火>は絡め取られ、奪われてしまう。

 ユナヘルが目を開けると、魔法具の火は完全に消えていた。

 大きく溜息をつき、額の汗を拭う。

 息は絶え絶えだ。

「ここまでだね。でも良かった。うん」

「ちょっとは、進歩、したかな」

「今までで一番良かった」

 ユナヘルにとっても、これまでで一番良かった。

 もちろん最後は支配権を奪われてしまったが、進歩が感じられて、ユナヘルの表情は自分でも気付かないうちに明るくなっていた。

 そして、スヴェの顔を見て、呼吸が止まった。

 ほんの一瞬だったが、確かに見た。

 スヴェが嬉しそうに綻んだ笑顔を浮かべているところを。

 その瞬間に、鋭い針がユナヘルの胸を突いた。

 心臓の鼓動に合わせて痛みが脈打つ。

 脳裏に浮かぶのは、処刑台の上の姫。

「どうしたの?」スヴェは首を傾げた。

 ユナヘルは首を振った。


次回:訓練の終わり②


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