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売れない作家ができるまで

そもそも、自分は漫画原作者を目指した時、『ガロ』で描くような作家になりたいと思っていた。
『ガロ』という漫画雑誌に出会ったのは、確か高校生の頃だったと思う。
青森市内の本屋さんに一冊だけ置いてあったその雑誌をたまたま手に取り、「こんなジャンルの漫画があったのか!」と衝撃を受けた。

ヤンキー漫画と柔道漫画ばかりを読んでいた自分にとって、山野一先生や逆柱いみり先生、古屋兎丸先生(まだ読者コーナーに投稿されていた頃かもしれない)の漫画は、「ああ、自分はずっとこういう漫画が読みたかったんだ」と気づかされた、心と頭が痺れる作品だった。
自分はその後、『ガロ』や『アックス』を欠かさず読むような典型的な(ただし薄い)サブカルな人として育っていった。

そしてそのまま大学生になって就職した数年後のこと。横浜で働く夫と結婚するため、東北の総合スーパーの仕事を辞めることになった。
その時、ちょうど就職活動を始めようとしていた大学3年生の妹から、「就職しないで漫画家になろうと思う」という恐るべき人生設計を打ち明けられた。

妹は昔から友達が多くて頭も良くて、自分と比べるとよほどまともな人間なのだが、高校時代に柔道に打ち込みすぎたせいか、少しおかしくなっていたらしい。
「だから、お姉ちゃん原作やらない?」と、ごく自然に持ちかけられた。

自分は中学時代に文芸創作クラブに所属し、主に短歌を作ることに情熱を注いでいた。その片手間になぜかSF的な物語を書いたりもしており、妹に得意げに読ませていたのだ。
それはレイ・ブラッドベリの短編『霧笛』を完全にパクった孤独な恐竜の物語だったが、妹はそのせいで自分のことを軽めの天才だと思い込んでいた。そして自分自身も、その『霧笛』をパクった物語を「パクったんじゃない。インスパイアされて作ったオリジナルだ。オリジナルなんだ」と強く自身に言い聞かせたことにより、自分には創作の才能があるのだと思い込んでいた。

それで、当時はまだ婚約中だった夫に「仕事を辞めたあと、妹と組んで漫画原作者になろうと思うんだけど」と相談してみた。 夫は、山野一先生の漫画に出てくるアレな人のようなきらきら輝く瞳で自分を見つめ、「きっとなれると思うよ。君のことは天才だと思ってるから」と言った。当時の自分は、この夫のセリフにかなりグッときた。

しかし、結婚を控えて同棲を始めると、夫は「漫画原作者を目指すのと生活費を稼ぐのは別だから」と一定額を家計に入れることを要求し、なんでもいいからアルバイトをしろと命じた。
携帯ショップで携帯電話を売ったり工場のライン作業をしたり出版社で校正のアルバイトをしたりと漫画の作業と並行して頑張って稼いだつもりだったが、夫は「とにかく正社員並みに稼いでくれないと話にならない」と自分を穀潰し扱いし始めた。
さらに夫は天才であるはずの自分の投稿用のギャグ漫画のネームを無表情で読み終えて「これの何が面白いのか全然分からない」と突っ返してきて、逆上した自分に太腿をハサミで刺されたりするのだが、その辺りのことは話の本筋と外れるのであまり触れないでおく。ちなみに当時は自分の行為を「血は出なかったからセーフ」と思っていたが、今考えると完全にアウトだ。

で、夫が何が面白いのか分からないと言っていた投稿作は、受賞はしなかったものの担当さんがついてくれて、自分と妹は投稿から半年後に新しく描いた合コン(二人とも一度もしたことがない)がテーマのギャグ漫画でデビューした。

『ガロ』と『ガロ』に載っている漫画作品が大好きだったが、職業としてやっていく以上はきちんと原稿料の出る商業誌を目指さなければいけない。
自分には、自分の好きなガロっぽい漫画を、大手の雑誌に通用するレベルで描き上げるセンスがなかった。
ギャグ漫画を描こうと思ったのは、当時の自分は長く複雑な話を組み立てることができず、短いギャグなら形にできそうだったのと、それに加えて自分も妹もギャグ漫画が大好きだったからだ。
しかし残念なことに、自分にはデビューは出来てもそれで人気を獲れるほどのギャグ漫画の才能はなかった。自分達の読み切りギャグは載るほどにアンケートの順位を落とし、煮詰まった自分は持ち前のガロっ子精神を発揮して、「実の兄と恋人との行為を押し入れに隠れて見守る妹の話」とか、「電車の中で席を譲れとしつこく言ってくるおばさんの女性用かつらを毟り取る話」などの、ギャグと言えないようなネームを提出した。

自分では面白いと思っていたのだが、ネームを受け取った担当さんは「ちょっとこれは、何が言いたいのか伝わってきませんね」と困った顔になった。そして追い討ちのように「増刊誌の方針が変わって、新人賞で受賞したことのある作家さんしか載せられなくなってしまったんです。なのでまずは再投稿して受賞を目指してもらえますか。もちろん、別の雑誌に移るという選択肢もありますけど」と告げられた。事実上のクビの宣告だった。

ギャグ以外の漫画で、しかも受賞を狙うために、どんな作品を描いたらいいのか。
見当がつかなかったが、とにかく自分の「ガロっぽさ」は通用しないことは理解できたので、その方向だけは避けるようにして、読み切り用の様々な作品を書いた。書きたい物語はたくさんあったので、その中のどれかが受け入れてもらえればいい、と思っていた。そしてそれらのうち、最初に描いたSFっぽいストーリー漫画が、奨励賞という下から二番目の賞に引っ掛かった。

受賞の電話は、ギャグの時の担当さんがかけてきてくれた。腐らずにちゃんと描き続けて賞を獲ったことを褒めてくれた。ただ、ジャンルがギャグではなくストーリーなので、そちらを得意とする別の編集者さんが担当としてついてくれることになった。

そして、ここからが本当の戦いだった。

新しい担当さんは自分より少し年上の女性で、外見はとても可愛らしいのだが、中身はドSな方だった。
自分の書くストーリーは「主人公の目的が定まっていない」、「物語の最初と最後で主人公の内面に変化が起きていない」と、ことごとくダメ出しを食らい、直させられた。

今ならそれが読み切りのストーリー漫画として当然備えていなければならない体裁だということは分かるのだが、根っこに『ガロ』が染みついている自分は「なんの目的も持っていない主人公がダラダラ何も変わらず生きていく話があってもいいんじゃないの?」と心のどこかで反発しながら、でもドSの担当さんに怒られるのが怖いので、素直にリテイクに応じていた。

そうして可愛いドSの担当さんの指導を受けながら書いては直しを続けるうち、自分達は増刊の新人の掲載枠に読み切りを載せてもらえるようになってきた。しかし、ここから担当さんの求めるものが、もう一段階高くなった。
「この先、提出するものは、ただの読み切りではいけない。連載を狙えるようなシリーズ作品の第一話を、読み切りとして描いてください」と言い渡された。

連載を狙えるような作品――。

そう言われて、物凄く肩に力が入った自分は、考えに考え抜いた。
そして今こそ、自分が一番描きたい、好きな話に挑戦するべきだと思った。漫画に対する様々な思いを込めて提出した『ガロ』臭の漂う渾身のネームは、あっさりボツになった。

今となっては当然の結果だと受け入れられるが、自分の《作家性》が『ガロ』からきているものだと、当時は信じたかったのだ。
『ガロ』の作品が(自分ではそんなものを描く才能がないのに)とても好きだったから。

「矢樹さんの描く話は、小説的なんです。もっと分かりやすくないと読者には受け入れられません」

担当さんに、そう叱られた。
心から面白いと思うものを受け入れてもらえないことに、自分は拗ねたような気持ちになっていた。そして「じゃあ結局、どういう作品が求められているんですか」と投げやりに尋ねた。

担当さんはすぐには答えなかった。しばらくどう切り出すか迷うように黙り込んだあと、「読者が求めているかどうかは分かりませんが」と前置きをして、きっぱり言った。

「編集部が求めているのは、ドラマ化や映画化されるような作品です」

この一言で、自分は「じゃあ、そういうやつをやってやるよ」と開き直った。
そして自分が思う「ドラマ化や映画化されそうなシリーズ作品」を恥ずかしがらずに描いた。
それは異常なまでに純真な闇ブローカーを主人公にした作品だった。

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『イノセントブローカー』はすぐに連載が決まり、初めての単行本にまとめられ、映画化とドラマ化の話の両方が来た(結果的にどちらの話も実現には至らなかったが)

あれ以来、自分が漫画作品のシナリオを作る時、担当さんに言われた一言が常に頭にある。映画化やドラマ化の話が来るような作品にするのだ、と強く意識してキャラクターを作り、プロットを描く。

で、ありがたいことに、自分の作品は結構な確率で映像化の話をいただいてきた。

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唯一、実現したのは山崎育三郎さん主演でテレビ朝日でドラマ化された『あいの結婚相談所』だけで、基本的には途中で立ち消えになるのだが、そういうお話をいただくたびに、自分の方向性は間違っていない、と、なんだか安心できる。

現在書かせてもらっている漫画原作の連載も、小説も、アニメ化やドラマ化や映画化の話がもらえるように、願いながら、意識しながら書いている。
そうやって十年以上仕事をしてきて、売れてはいないが、なんとか生き残ってこれた。ということは《常に映像化を狙って書く》という自分の卑しい作家性も、そんなに大きく間違ってはいないと思うのだが、どうだろう。

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