見出し画像

世田谷代田、下北沢。

街が好きだ。
特に、時の流れにそって街が表情を変えていくところが好きだ。

上京して初めて住んだのが、世田谷代田という街だった。
下北沢から小田急の各駅停車で1駅。
初めて降り立った時、「閑静な住宅街」という言葉はこういうことを言うんだな、と妙に納得したのを覚えている。

私は高校を卒業したタイミングで上京することになったが、そもそも東京の土地勘などないし、受かると思っていなかった大学に合格してしまい、そこからわずか1〜2週間で上京しないといけないスケジュールで、何の計画も知識もないまま、東京に乗り込んでしまった。
今となれば、地方からの新参者を歓迎する大学の仕組みではなかったと文句を言えるけれど、当時はそんな余裕さえなかった。
両親とニトリ(地元で定番の家具屋)に駆け込んで家具一式を買い、直前だから恐ろしく高値になった航空券を予約し、スーツケースに詰め込めるだけの荷物を詰め込んで、気付いたら上京していた。

ずっと実家の一軒家暮らしだったから、もちろん家探しなんてしたことがない。
「大学推薦!(何か怪しそうな響き)」と勧められた不動産のお店に行って、「7万」「2階以上」「オートロック」「バストイレ別」「大学沿線」のような条件を伝えていった。
担当してくれた、小太りのメガネお兄さんは、「わかりました」と言ってプリンターの方に行き、候補の物件情報をいくつか印刷して見せてくれた。

1枚ずつ紙をめくって見ていくのだけど、見事に我々が伝えた条件を満たしていない。
同行していた母は、「オートロックだけは絶対!」と意気込んでいたのに、もはやオートロック付きの候補は1つも出てこなかった。
「その予算だとそもそもないんですよね…」「もういいところは埋まっちゃって…」と申し訳なさそうなお兄さんを責める元気もなく、あれほどオートロックと譲らない姿勢を見せていた母も、「防犯グッズを買おうか…」と意気消沈。
そうして、全く納得はできなかったけれど、いくつか内見した中で、「もうここでいっか」と決めたのが、世田谷代田のアパートだった。

6畳ほどのワンルームで、ユニットバス、一応2階ではあるけれどセキュリティは皆無(なので自己責任、玄関と窓ガラスに100均で買った防犯ブザーみたいなのを付けた)の部屋だった。
薄暗くて、じめっとして、クローゼットにかけていた服が80%くらいの確率でかびてしまう部屋だった。
お世辞にも快適とは言えない住環境(むしろ不快)だったけれど、仕方がなかった。

あまり長い時間を過ごしたい部屋ではなかったので、できるだけ外にいたかったし、大学にはたいして馴染めず楽しくなかったので、以前から夢見ていたパン屋でのアルバイトを始めることにした。
下北沢で40年ほど営業していたまちのパン屋さん(残念ながらもう閉店してしまった)。
入り口に貼ってあった「アルバイト募集」のチラシを見て、働きたいと伝えると、「重たいもの持てる?」と聞かれ、「持てます」と言ってここで働くことになった。
料理のセンスはないが、パンやお菓子を作ることは小さい頃から大好きだったので、本当に楽しい仕事だった。
自分の作ったパンにお金を払ってくれる人がいるというのが、この上なく嬉しかったし、「もっと上手くなりたい」と努力していたら、あっという間に1日が終わる。
好きなことを通して誰かの役に立てること、それがとても幸せだった。

パン屋の仕事は朝が早い。
私は朝一ではなく途中参戦組だったけど、それでも朝の5時前には起きて、隣駅の下北沢まで歩いて出勤していた。
世田谷代田から下北沢までは、徒歩で10分ちょっと。
特に冬だと、外はまだ真っ暗で月や星が見えるくらいの空だった。
遠くに新宿のビル明かりが見えて、シュッと静まり返った街を、一人スタスタ歩いて下北沢まで向かう。

下北沢が近づいてくると、24時間営業の居酒屋に入っていく若者グループや、缶チューハイを枕元に置いて路上で寝てるおじさん、夜の仕事を終えたギャルお姉さんなど、夜を引きずった人たちが姿を現す。
アルコールの匂いと、タバコの煙、どこか自暴自棄なムードが漂った、澄んだ明け方。

そんな空気を切り抜けてお店に向かい、タイムカードを差し込んで出勤。
いつもの朝の業務を始める。
まずは銀の大鍋で茹でられた30個ほどの卵の殻を剥く。
次に、昨日仕込んだサンドイッチの具材を取り出して、サンドイッチを6種類作る。その次はじゃがいもの皮剥き。

この辺りで外に出て、店前の掃除をする。
向かいの定食屋のおじいちゃんとお姉さんに挨拶をすると、「ああ、明るくなったな」と、さっきまではなかった柔らかい日差しが差し込んで、少しずつ朝が近付いていることに気付く。

自転車で駆けていく丸刈りの高校生、ごみ収集の人、野菜を運ぶ業者さん、お散歩中の白タンクトップおじいちゃん。
「朝の人たち」が現れて、名実ともに、街は朝になっていく。
同じ街なのに、人が変わり、空気が変わり、風景が変わる。
その一部始終を見ていると、街は生きているんだなとつくづく思った。
生きたままの街に、私もまた生かされて、知らぬ間に街の風景の一部になっている。

今はもう世田谷代田から引越して、別の街に住んでいるけれど、変わっていないように見えて、いっときも止まることなく変化していく街に、自分はどれだけ付いていけているんだろうと、ふと不安になる。
そんな時はきっと、街に出て、そこにいる人を見て、そこにある風景を見ればいい。
私の不安さえも、街に溶け込んで、生かし生かされていくんだから。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?