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マッチング理論に何ができるか<後編>

前編はこちらです。


【第5回】 耐戦略性:正直者が損をしないために

今回は、参加者のインセンティブの観点から、マッチング制度の良し悪しを分析してみましょう。具体的には、各児童が志望順位を自治体に正直に申告するインセンティブはあるのか、順位を意図的に操作して得できる可能性は無いのか、といった問いに答えていきます。前々回の例をふたたび用いながら、議論していきたいと思います。

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上の表は、本人たちが心のうちに秘めた真の志望順位を表していると考えてください。実際に各家庭がこの順位をありのままに申告するかどうかは分かりませんし、自治体が真実を申告しているのかどうかを直接確認することもできません。参加者から本音を引き出すためには、自発的に本音を言いたくなるような仕組みを間接的にデザインしなければならない、という点に注意が必要です。

例に戻りましょう。いま仮に、表の順位がそのまま申告されたとすると、[パターン1]では「A保育所―太郎、Bこども園―花子」、[パターン2]では「A保育所―太郎、Bこども園―真彦」というマッチング結果が実現することは、前々回に確認しました。

この例において、順位を操作することでマッチング結果を改善できる参加者はいるのでしょうか。[パターン2]における花子は、そのような嘘をつくインセンティブを持ちます。正直に志望順位を申告すると彼女はどの施設にも入所できませんが、順位を偽ってBこども園を第1志望とすれば(真彦よりも保育指数が高いので)、入所が決まるからです。

マッチング理論では、すべての参加者にとって、他の参加者たちがどのように情報を申告した場合でも、「自分が仮に真実と異なる申告をしても絶対に得することができない」とき、その仕組みが耐戦略性を満たすと言います。[パターン2]は花子が志望順位を操作して得できてしまうので、明らかに耐戦略性を満たしません。

耐戦略性を満たす仕組みのもとでは、参加者は安心して自分の持つ情報を正直に申告できます。実は、[パターン1]は児童たちについて耐戦略性を満たすことが知られています。受け入れ保留方式は、常に安定マッチングをもたらすだけでなく、インセンティブの観点からも非常に望ましい性質を持つ、優れたマッチング制度なのです。


【第6回】 政策提言:志望順位の気にし過ぎにご用心

実際の自治体による児童と保育施設のマッチングでは、保育指数を重視する[パターン1]と、志望順位を重視する[パターン2]のうち、どちらかが採用されています。前者は受け入れ保留方式とも呼ばれ、安定性と(児童たちの)耐戦略性をどちらも満たす、非常に優れた仕組みです。それに対して、後者はどちらの性質も満たさないことを本連載において確認しました。マッチング理論の観点からは、[パターン1]の方が[パターン2]よりも優れた仕組みだと言えるでしょう。

[パターン1]を採用している自治体であっても、利用調整の方法を改善する余地は残されているかもしれません。保育指数が同じ児童たちの扱い方次第では、耐戦略性が満たされなくなるからです。いま、花子と真彦の保育指数が同じ9点だとしましょう。(図を参照)

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A保育所には、保育指数が一番高い太郎が入所します。Bこども園に、残った花子と真彦のどちらを入所させるかを決めるためには、何らかの基準で保育指数が同じ二人の同順位を解消する必要があります。解消の仕方は様々なものがあるのですが、その施設に対する「志望順位が高い児童を優先する」という基準を採用している自治体が、現実には少なくありません。(志望順位も同じ場合には抽選で決めるとします)

上の例では、Bこども園を第1志望としている真彦が、第2志望としている花子よりも優先されます。一見すると、これはもっともらしい同順位の解消に思えるかもしれません。しかし、もし花子が志望順位を偽ってBこども園を第1志望と申告すれば、真彦と同じ優先順位が与えられて抽選に残ることができます。つまり、彼女は戦略的に嘘をついて得することができるのです。

利用調整の仕組みが耐戦略性を満たさないとき、各家庭は「どのように志望順位を申告すれば有利なのか」を考えなければなりません。そのための情報収集は大きな負担となりますし、結果的に有利な形で申告できた家庭とそうではない家庭との間に、不公平感が生まれてしまいます。こうした問題を避けるために、同順位の解消に志望順位を反映させている自治体は、反映させないように仕組みを変更するべきでしょう。


【第7回】 新たな課題:外部性に目を向けよう

ここまでの連載で焦点をあてた安定性と耐戦略性は、参加者を組織・部門に割り当てるような一般的なマッチング問題において、最も重要な性質だと考えられています。おさらいすると、安定性はマッチング結果が参加者に正当な不満を生じさせないこと、耐戦略性は参加者に対して情報を正直に申告するインセンティブを与えることを保証するものでした。

受け入れ保留方式は、安定性と(参加者たちの)耐戦略性をどちらも満たす非常に優れた仕組みです。この学術知見がじょじょに広まって、受け入れ保留方式が現実に採用される事例が世界中で増えてきました。研修医の病院配属を決める医師臨床研修マッチング(日・米・英など)や、児童を希望する公立学校に割り当てる学校選択制(ニューヨーク市、ボストン市など)などが代表例です。

しかし、理論上はうまくいくはずでも実際にやってみると想定外の問題が発生する、というのは学術研究では珍しくありません。マーケットデザインにおいて、筆者が特に気を付けなければいけないと考えているのが、仕組みに直接参加しない人たちに対する影響です。経済学では、こうした間接的な影響のことを外部性と呼んでいます。日本で2004年度から実施されている医師臨床研修マッチングでは、まさにこの外部性の問題が起こりました。

受け入れ保留方式は、研修医と病院の双方にとって、正当な不満を生まないという意味では納得感のあるマッチングを実現します。一方で、多くの研修医が東京や大阪などの大都市にある病院を希望した結果、地方の病院へ配属される研修医が不足してしまいました。研修医が偏在することにより、医療サービスの質が低下するという負の外部性が生じたのです。

医療サービスの受け手である地域住民はマッチング制度に直接参加できないため、何らかの形で外部性を解決、もしくは緩和する施策が必要となります。実際に、2009年度からは大都市圏の病院が研修医募集定員を削減しました。大都市圏を選ぶことができる人数を強制的に減らして、あぶれた研修医を地方に配属しようという狙いです。ただし、この現行方式は安定性を大きく損ねることが分かっており、筆者を含め、研究者たちによって改善策がいくつか提案されています。


【第8回】 先端研究:安定マッチングの罠

現在、マーケットデザイン研究では、できるだけ「安定マッチングを追及するべき」という見方がほぼ常識となっています。実は最近、筆者はこの常識に挑戦するような研究を行っています。以下で簡単にご紹介しましょう。

男性2名と女性2名によるマッチング問題を考えます。各参加者の相手メンバーに対する希望順位は次の表で与えられるとします。二郎は、A子とペアになれないのであれば、(B子とペアになるよりも)独り身でいることを好む、という点に注意してください。

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この状況における安定マッチングは「一郎―A子」となり、ペアが一組しか成立しません。安定性を追求する限り、すべての参加者がパートナーを見つけることは不可能なのです。ここで、代わりに「一郎―B子、二郎―A子」というマッチング結果に注目してみましょう。一郎とA子が正当な不満を抱くため、この結果は安定マッチングにはなりません。他方で、全員が(独り身でいるよりも望ましい)パートナーを見つけることができます。

この二郎のように、マッチングを拒否する相手がいるような一般的な状況では、安定性とペア数の最大化は両立しません。そのため、受け入れ保留方式を用いて安定マッチングを実現しようとすると、ペアのいない不幸な参加者を増やしてしまう危険性があります。

マッチング制度が用いられていない分権的な市場でも、結果が安定マッチングに近い場合には同様の懸念が生じます。ひょっとすると、婚活ブームでも結婚相手がなかなか見つからない理由と関係があるかもしれません。情報量の増加による正当な不満の解消がペア形成を難しくするからです。

もちろん、安定性と比べて、ペア数をどの程度重視すべきなのかは明らかではないでしょう。ただ、結婚市場における成立カップル数や、労働市場における就業者数のように、ペアの数自体が大きな意味を持つ市場は少なくありません。こうした問題意識のもと、筆者は安定性とペア数との間のトレードオフに関する研究を進めています。成果の一部として、上の例のように参加者の好みが似ているときに、トレードオフがより深刻になることが分かってきました。今後の進展にぜひご注目ください!

【最後に】

前編・後編と少し長めの記事を最後までご覧頂きどうもありがとうございましたm(_ _)m 第8回の内容に関連する記事を、日経ビジネスオンラインに昨年寄稿しました。安定マッチングがペア数を減らしてしまう危険性があるのと同様に、競争的な市場も取引数(売買に参加できる人数)を減らす傾向があることを示唆する内容です。ご関心のある方は↓のリンクをぜひチェックしてみてください!

「市場で再分配が可能」という前提を疑え

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