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マッチング理論に何ができるか<前編>

9月8日~20日まで日本経済新聞の「やさしい経済学」に

「マッチング理論に何ができるか」(全8回)

という記事を寄稿しました。その草稿バージョンを前編・後編に分けて投稿させて頂きます。編集者の手が全く入っていない文章なので、掲載稿とは違った趣き(?)があるかもしれません。ちなみに、もともとの仮題は「マッチング理論の実践と新たな挑戦」でしたが、やや冗長だったせいでボツに…。関連する以下のブログ記事もよろしければぜひご参考ください!

やさしい経済学2017
全8回の連載が無事に終了!


マッチング理論の実践と新たな挑戦

【第1回】 イントロダクション:仕組み作りに使えるマッチング理論

筆者が専門とするマッチング理論は、あるグループのメンバーと別のグループのメンバーとをくっつけて(マッチングさせて)ペア形成を行うような状況を扱います。事例に応じて、男性と女性、受験生と学校、小売業者と卸売業者など、さまざまなグループが考えられます。そうした状況で、どのようにマッチングの望ましさを客観的に評価するのか、現実に使われているマッチング制度の問題点は何か、どうすれば具体的な仕組みを使って望ましいマッチングを実現できるのか、といった問いに答えていきます。

マッチング理論が誕生したのは今から半世紀以上も前のことです。蓄積された膨大な研究成果は長らく大学や研究機関の中でとどまっていて、現実の仕組みづくりに応用されることはほとんどありませんでした。ところが、今世紀に入るあたりから、経済学者が細部に至るまで設計したマッチング制度が実際に利用される、という事例が次々と出てきたのです。研修医の勤務先である病院配属を決める医師臨床研修マッチングや、児童が通う公立学校を通学区域から選ぶ学校選択制などがその代表例です。

2012年には、マッチング理論の進展と仕組みづくりへの応用という、理論と実践の双方への貢献が評価されて、アルビン・ロス氏(米ハーバード大学教授)とロイド・シャプレー氏(米カリフォルニア大学ロサンゼルス校名誉教授)にノーベル経済学賞が授与されました。ロス氏は、マッチング理論の発展とマッチング制度の実装の両面において、学会をけん引し続けているこの分野の第一人者です。シャプレー氏はマッチング理論の生みの親で、戦略的な状況を分析するゲーム理論の大家でしたが、残念ながら昨年3月に亡くなりました。

学術的な知見を活かして市場や制度を修正・設計する分野は、近年ではマーケットデザインと呼ばれています。本連載では、マッチング理論をどのような形でマーケットデザインに活用できるのかを、保育園の待機児童問題という具体例を通じて解説していきます。連載の後半では、マッチング理論の実践に立ちはだかる新たな課題や、筆者自身が取り組んでいる最近の研究内容についても、合わせて紹介したいと思います。


【第2回】 待機児童問題:マッチング理論で仕組みをデザイン

昨年のユーキャン新語・流行語大賞で、「保育園落ちた日本死ね」がトップテン受賞語に選ばれました。この怒りに満ちた流行語をきっかけとして、待機児童問題の深刻さが、子育て世帯を超えて幅広く浸透したことは記憶に新しいです。これから数回にわたって、社会的な関心も高い保育園の待機児童問題を、マッチング理論の視点から考えていきましょう。

待機児童問題を抜本的に解決するためには、保育施設の増設、保育士の待遇改善、保育料や認可基準の見直しなど、さまざまな政策を補完的に検討する必要があります。しかし、実際の政策変更には時間がかかりますし、新たな政策によって問題が完全に解消するとも限りません。マッチング理論を使って、待機児童が発生している地域において、児童と保育施設のマッチングの仕組みを少しでも改善することはできないでしょうか。

日本の現行制度では、児童と保育施設のマッチングは各自治体(市区町村)が行っています。保育施設の利用を希望する家庭は、(1)その理由と家庭事情、(2)保育施設の志望順位、という2種類の情報を自治体に提出しなければなりません。自治体は、まず(2)にもとづいて、各児童を志望順位の高い施設に割り当てようと試みます。入所希望者数が受け入れ児童数を上回る施設については、 (1)から算出される保育指数というポイント順に従って、児童を優先的に割り当てます。入所児童を選考する一連の作業は利用調整と呼ばれます。

個々の自治体は、保育指数と志望順位を尊重しながら利用調整を行わなければなりません。どちらの要素をより重視するかに応じて、少なくとも2種類の利用調整の仕組みが考えられます。内閣府は、保育指数をより重視する仕組みを[パターン1]、志望順位をより重視する仕組みを[パターン2]と呼んで、一定の条件のもとでどちらも認めています(内閣府2014年「子ども・子育て支援新制度における利用調整について」より)。

次回以降は、仮想的な具体例を用いながら、それぞれの仕組みが持つ特徴や問題点について分析していきます。少し結論を先取りすると、保育指数を重視する方が、志望順位を重視する場合よりも望ましい結果をもたらすことが、マッチング理論から導かれます。


【第3回】 利用調整:保育指数と志望順位はどっちが大事?

いま、3名の児童(太郎、花子、真彦)が2つの保育施設(公立保育所A、認定こども園B)への入所を申請している状況を考えます。各保育施設の受け入れ児童数は1名で、各児童の保育指数と提出された志望順位は次の表で与えられるとしましょう。

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自治体はまず、各児童と第1志望の施設とのマッチングを試みます。太郎と花子は同じA保育所を志望していますが、太郎の保育指数の方が高いので、太郎が優先的にA保育所へと割り当てられます。Bこども園には、そこを第1志望とする真彦が割り当てられます。

次に、この時点で割り当て先が決まっていない花子と、彼女の第2志望であるBこども園とのマッチングを試みます。これ以降に何が起こるかは、保育指数をより重視する[パターン1]と、志望順位をより重視する[パターン2]のうち、どちらの仕組みにもとづいて自治体が利用調整を行うかによって変わってきます。

[パターン1]の場合には、保育指数の高い花子が優先されてBこども園に入所することになります。真彦の第2志望はA保育所ですが、彼の保育指数はすでに割り当てられている太郎よりも低いため、こちらにも入所することができません。最終的に、「A保育所―太郎、Bこども園―花子」というマッチング結果が実現します。

第1志望の段階でBこども園を割り当てられていた真彦が、第2志望で後から応募してきた花子に席をゆずらなければならい点が、[パターン1]の大きな特徴です。保育施設側から見ると、各時点での割り当ては暫定的なもので、(最終的な)児童の受け入れを保留しながら利用調整を行っていくのがポイントです。一般に、この種のマッチングの仕組みは「受け入れ保留」方式と呼ばれています。

これに対して[パターン2]の場合には、受け入れは保留されずにBこども園に対する志望順位の高い真彦が優先されて、「A保育所―太郎、Bこども園―真彦」というマッチング結果が実現します。このとき、花子の方が真彦よりも高い保育指数が与えられている、つまり保育優先度が高いにも関わらず、保育施設に入所することができない、という問題が発生する点に注目してください。


【第4回】 安定マッチング:正当な不満を取り除こう

マッチング理論では、自分が望んでもマッチングできない相手と、(相手から見て)自分よりも優先順位が低い人がなぜかマッチングしている、という理不尽な状況が発生するとき、その結果を不安定なマッチングと呼びます。逆に、このような正当な不満を抱える参加者が一人も生まれないマッチング結果は、安定マッチングと呼ばれます。

マッチング結果が安定的になるかどうかは、仕組みの良し悪しに関する非常に重要な評価基準です。不安定なマッチング結果のもとで正当な不満を抱える参加者は、薦められたマッチング結果に従わずに、個別にペア形成を試みるかもしれません。すると、マッチングの仕組みが機能しなくなり、制度自体がまさに不安定になってしまう危険性があるからです。

安定性の観点から前回の分析を振り返ると、受け入れを保留する[パターン1]が安定マッチングをもたらした一方で、保留しない[パターン2]は不安定なマッチング結果を招いた、と要約できます。児童と保育施設とのマッチングのように、各参加者がたかだか一つの施設にしか割り当てられないような状況では、安定マッチングは必ず存在して、受け入れ保留方式が常にそれを実現することが知られています。この結果を数学的に厳密に証明したのが、ノーベル経済学者のロイド・シャプレー氏と共著者の故デビッド・ゲール氏です。

彼らが示した結果は、各参加者が施設ごとに異なる優先順位を与えられている場合でも成立します。現状の利用調整では、各児童の保育指数はすべての保育施設に対して共通の値(単一のポイント)ですが、理論上は保育施設ごとに指数を変えることもできるのです。例えば、各児童の家から近い施設や、兄弟姉妹が通っている施設に限っては保育指数を加点する、といった制度変更が考えられるかもしれません。

各児童が保育施設に対してどのような志望順位を持っていたとしても、各保育施設が児童に対してどのような(個別の)優先順位を与えていたとしても、受け入れ保留方式を採用して利用調整を行う限り、結果は常に安定マッチングとなります。安定性を重視する自治体は、[パターン1]を迷わずに採用すべきでしょう。


後編はこちらです。



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