ファンタジー小説「W.I.A.」1-3-②
そこに、ゴブリン討伐を終えた一行が、ピプロー卿に連れられて戻って来た。タレンは走って迎えに行き、ピプロー卿の手を引いてマールが改良を加えた水車小屋を見せた。
「これはすごい! これならブドウを無駄にせずにワインにすることが出来る!」
ピプロー卿も手放しで喜んでいる。マールの手をがっちりと握り、派手に上下に振ってその喜びを表現した。今までは摘み取ったブドウを全部潰す前に、ブドウが痛み始めてしまい、かなりの量を無駄にしていたらしかった。 だが、この改良水車でなら、収穫した全てのブドウを絞ることができる。さらにその作業がない時でも、粉作りの仕事を引き受けることまでできそうだ、と言う。そうしたら、ワイナリーの売り上げは飛躍的に伸びるだろう、と話を結んだ。
「いやはや! 在野には、まだまだ有能な若い力が眠っている! なあ、ノッティ! さあ、皆さん! もう午後も遅い。ぜひ、一晩、我が家へ逗留を。食事でもしながら皆さんの冒険譚をお聞かせください!」
ピプロー卿はそう言うと、タレンに何事かを告げて、先に屋敷へ走らせた。タレンの顔からして、一行を歓待しようと準備に向かわせたらしい。
屋敷への道すがら、ピプロー卿はカイルたちのゴブリン討伐の様子を、身振り手振りを交え、まるで演劇の場面を語るように話していた。その働きに、深い感動を覚えているようでもあった。
「いや、何度思い出しても、痛快痛快! 煙がシルフの力でどんどん洞窟に流れ込んで、あっという間にゴブリンどもをいぶり出した! それからのカイルとガルダン殿が、またすごい! ガルダン殿の斧が一振りで二匹のゴブリンの首を落とせば、カイルも負けずに剣を振るってひと際体の大きなゴブリンを倒す! そこに槍で突き掛かろうとしたゴブリンは、アルルの弓で串刺しだ! 私は何度もゴブリンやオーク退治を目にしているが、これほど手際の良かったためしはない! 見事。見事というほかない!」
まるで自分もゴブリン退治に携わったかのような興奮振りだった。時折カイルやエアリアが謙遜した遠慮気味の合いの手を入れるが、ピプロー卿の勢いは止まらず、話はいつまでも続くように思えた。
屋敷に着くと、エントランスで執事らしき男性を従えた、ピプロー卿の老いた母と若く美しい妻、子供と思われる男の子と女の子が、一行を出迎えた。ピプロー卿は妻の頬にキスをし、男の子を抱きかかえると、またさっきの話を始めた。エアリアとアルルが話に加わり、ピプロー一家からの賛辞を受け、丁重に礼を返した。
「さあさあ、ジャン。いつまでもシャトーの英雄を立たせたままにしては、申し訳もありませんよ・・・。フィリー、お客様方をお部屋にお通しして。それから、皆様をスパにご案内なさい。疲れを落としていただいて、晩餐の時に、ゆっくりお話を伺いましょう。」
いつまでも話の尽きないピプロー卿を、マダム・ピプローがたしなめる。フィリーと呼ばれた執事は、黙礼し、エアリアを左手奥の階段へと導いた。一行もそれぞれ礼をし、二階へと進む。
屋敷は広く、落ち着いた雰囲気の建物だった。隅々まで清潔に保たれ、華美な装飾などはどこにもないが、なんとも言えない上品さが漂っている。成り立ての名家と違い、歴史と重みのある豪華さだった。
一行が通されたゲストルームも、その雰囲気は変わらなかった。大部屋と、扉で隔てられた二部屋の寝室があり、大窓の付いたバルコニーからはシャトーが一望できた。
一行が部屋に入るや否や、数名のメイドが銀器に乗せられた飲み物と軽食を運んでくる。行き届いた配慮に感謝し、エアリアはフィリーに礼を伝えた。フィリーも丁寧に礼を返し、「スパの準備が整い次第お迎えにあがるので、それまで装備を解いてお寛ぎ下さい」、と一行に伝え、部屋を出て行った。
「いやはや! なんとも行き届いたことだ! 冒険者風情にここまでして下さるとは、ピプロー卿とやらは、余程立派な人物に違いない!」
ガルダンがワインを注ぎ、渇いた喉に一口流し込んで、その美味さに感動したようにグラスを見つめる。カイルは盆に乗せられたサンドイッチに興味を示していた。鴨肉とレタス、トマトが贅沢に挟み込まれている。エアリアとアルルは、「スパ」が楽しみなようだ。普段は湯で体を拭くだけだから、やはり女性にとっては何よりの御馳走、ということだろう。
マールは、丸くてナッツの香ばしい香りのする焼き菓子を手に取り、口に放り込む。バターと卵をふんだんに使った贅沢な甘さが、口の中で解けるように広がった。
「こちらも、礼を失しないように気を付けねばなりませんね。ガルダンは食べ物をこぼさないようにね!」
既に顎鬚にワインを垂らしたガルダンを見て、アルルがエアリアにやんわりと釘を刺した。一行の恥ずかしい行為は、そのままエアリアの恥となる。
「うふふ、そうね。お話した感じは、とてもお優しそうな大奥様だけれど、躾には厳しい方のようね。」
そう言って、エアリアはガルダンの顎鬚を指差す。ガルダンは慌てて髭についたワインを拭い、照れ隠しの笑いを浮かべてエアリアを見た。
躾に厳しそうなのは、子供たちの落ち着きを見ればわかる。まだ幼いのに、こちらにきちんと敬意を払い、無駄に騒いだりはしない。
「お話には出なかったけれど、マールの修繕した水車にもご満足いただけたようね?」
「ええ、そうだといいんですが・・・。少なくても以前よりは良くしたつもりではおります。」
「遠目に見てもガタガタだったのに、あんな短時間で、どんな修繕をしたんです?」
カイルが装備を解きながら、マールに尋ねてきた。アルウェンの農夫であったというカイルも、一度や二度は水車の修繕に携わったことはあるはずだった。その作業の大変さは、身に染みてわかっているのだろう。
「いえ、大したことはしてません。軸受けが悪かったので、金属製の物に付け替えて、落とし丸太にちょっと細工しただけですよ。」
そう聞いても、カイルの疑問は深まるばかりだった。あそこには二人しかいなかったのに、水車を持ち上げたり、移動したりはどうしたのだろう?
実のところ、マールや組み合わせ滑車とロープを使っていたのだが、カイルはその技術を知らないようだった。トンカで井戸から水を汲むのが大変になった老人たちのために、マールが考案したもので、ヴァルナネスではまだ普及していない技術だったのだ。
ほどなくして、メイドがエアリアとアルルを迎えに来た。スパの準備が整ったらしい。男性用のスパは、ピプロー卿が直接お連れするので、用意が整ったらエントランスに行くように、と併せて伝えられた。
エアリアもアルルも、溢れ出る喜びを隠すのに苦労しているようだった。いつもは厳しい表情のアルルでさえ、顔が綻んでいる。
エントランスに降りた男性陣は、ピプロー卿に案内され、地下のスパに向かう。一度に10人は入れそうな、大きなスパだった。温度は低いが、その分長く楽しむことができる。浴槽の横には、冷えたシャンパンも用意されていた。
汚れと汗を洗い落とし、浴槽で体をほぐす。上がると、ミントの香りがする香油と、真新しい衣服まで準備されていた。
さっぱりした一行は、食堂の片隅に設けられたカウンターに腰掛け、エアリアとアルルを待つ。大きなテーブルには使用人たちの手によって既に食器が並べられ、蝋燭の炎を受けて煌びやかな光を発していた。
カウンターで、ガルダンとピプロー卿がブランデーの話で盛り上がっていた時に、奥の大扉からマダム・ピプローとミセス・ピプローに先導されて、エアリアとアルルが入って来る。エアリアは濃いグリーンのイブニングドレス、アルルは水色のエンパイアスタイルのドレスを身に着けていた。二人とも、見違えるほどに美しい。
マールの隣で、カイルが「ほっ」とため息をついた。
「・・・いやはや・・・これは・・・。」
さすがのガルダンも言葉を失っている。エアリアはもちろんだが、恥ずかしそうに頬を染めつつ俯いているアルルの美しさは、普段からは想像がつかないものだった。
「あらあら、紳士方が見惚れて言葉を失っているようよ。」
茫然と立ち尽くした男性陣を後目に、女性陣はサッと席に着く。それに誘われるように、マールたちもそれぞれの席に着いた。
マダム・ピプローが卓上のベルを鳴らすと、待ちかねたように使用人の列が料理を運んできた。どうやら、コース料理になっているようだ。シャンパンがポンッと音を立てて開けられ、それぞれのグラスを満たしていく。
「素敵な出会いに!」
全員のグラスが満たされると、ピプロー卿が立ち上がって乾杯の音頭を取る。それぞれの席でグラスを掲げた皆がそれに答え、グラスを干していく。普段は酒を口にしないマールでもわかるほど、上等なシャンパンだった。
その後、食事を楽しみながら、今日のゴブリン退治の話、今までの冒険の話、これからの予定などを話題にして、会話が弾んだ。ピプロー家の人々は、人の過去を詮索しない品の良さと、会話を弾ませる優秀な聞き手の能力を持っているようだ。
「さて、そろそろ水車の話をさせてもらおう。我がシャトーの水車は、本日から生まれ変わった! 恐らく、ハイペル広しと言えども、これより優れた水車はあるまい。マール、どのように修繕したのか、教えてはくれまいか?」
なかなか会話に加われず、料理を頬張りながら愛想笑いを続けていたマールを見かねたのか、ピプロー卿がマールに話を振って来た。
マールはカイルに話したのと同じ内容を披露したが、反応はカイルと同様、あらたな疑問を生んだだけのようだ。一同に沈黙の間が訪れたが、それを察したエアリアが、助け舟を出す。
「マールは有能な発明家なんです。ハイペルの見本市で華々しいデビューを飾る予定が、少し出遅れてしまって・・・。どうでしょう? 今度、それらの発明品をハイペルで披露する機会を与えていただくわけには、参りませんか?」
「そういうことなら、喜んでお力添えさせていただきます。ですがその前に、個人的に私に見せてもらう訳にはいきませんか? いや、あれほどの技術をお持ちの方の発明なら、ぜひ優先的に購入する機会を与えていただきたいのです。」
「それは、何よりのこと。マール、どうかしら?」
「も、もちろんです! 私もピプロー卿のような方に、私の発明品を役立てていただきたいです!」
エアリアの会話は、それと狙っているわけでもないのに、優秀なスカウターも顔負けの交渉能力を発揮していた。マールのピンチを、一瞬で大チャンスに変えてしまった。
「それは良かった! そうそう、それとは別に、新たな水車の建造にもお力添え願えませんか? 実は、もう一基、水車小屋が欲しいと思っていたのです。」
「もちろん、喜んでお手伝いさせていただきます!」
そこからは、マールの独壇場だった。シャトーにふさわしい水車小屋のアイデアを次々に披露し、一同を驚かせた。ビジネスの匂いを感じたピプロー卿は大いに乗り気になり、そういった場所に女がいるべきではない、と判断したマダム・ピプローとミセス・ピプローが退席しても、話は続いた。
話し合いの場所がピプロー卿の書斎に移り、酒がワインからブランデーに変わっても、ピプロー卿のビジネスに対する情熱が衰えることはなく、時折話を書き留めながら、熱心にマールの話を聞いている。
とうとう、具体的な日取りや必要な資材についての話になり、ピプロー卿はノッティを同席させ、指示を与えながら詳細を詰めていく。
「どうやら、話は尽くしたようですな! 後は報酬、ということだが・・・。」
そう言うと、ピプロー卿がノッティに命じ、本棚の下から重厚な木箱を取り出させた。
「まず、本日のゴブリン討伐分、5デテイクをお支払いします。それから、水車の改良に3デテイク。お話したより多いのは、私の気持ちと捉えて下さい。それから、水車小屋増設の前金として、5デテイクをお渡しします。無事に完了したら、もう5デテイク。それでいかがでしょう?」
「ありがとうございます。ご配慮に感謝致します。私どもには過分な報酬ですが、お気持ちはありがたく、受け取らせていただきます。」
エアリアは見事な交渉者だ。最初の予定から倍の報酬を引き出し、水車の増設だけなら明らかにもらい過ぎの上乗せ分まで獲得した。もちろん、今までの水車に比べれば、最低でも倍の働きをする水車が、単純にもう一基増えるとなれば、シャトーの売り上げはそれ以上になることは間違いないが、それにしてもこの申し出は破格だった。
「良かった! では、早速資材の調達と水路の工事を始めましょう! それで、その間のことなのですが、よろしければもう一つ、お願いを聞いていただけないでしょうか?」
そら来た。やはり、話がうますぎると思った。さすがピプロー卿もやり手のビジネスマンだ。破格の報酬はこのための前振りだったのだ。
「はい。喜んで、お話を伺います。」
エアリアも負けてはいない。話は聞くが、引き受けるとは言わない。
「先ほど、ノストールを目指して旅を続ける予定だ、と仰ってましたな? 実は、私には妹がおりまして・・・。なぜか魔術を習得したいと言い出しまして、ハイペルの魔術学校で勉強をしていたのですが、恥ずかしながらちょっとした問題を起こしまして・・・放校処分になり、今はノストールで魔術の勉強を続けているのです。これからシャトーも忙しくなることですし、戻って来てこちらを手伝うように、伝えてもらえませんか? そしてその間の護衛をお願いしたいのです。もちろん、報酬は別にお出ししますし、そちらのノストールでの用件が終わってからで構いません! 私からの手紙も準備いたします! 何とか、お願いできませんか?」
ピプロー卿が、珍しく狼狽したような様子を見せた。恐らく、血を分けた妹とは言え、苦手な部類の人間なのだろう。実のところ、扱いに困ってノストールに送り出した、というのが正解なのかも知れない。
「なるほど・・・。お話はわかりました。私どももノストールへ向かいますから、ありがたいお話ではありますが、護衛して連れ帰る、となると、諸々の相談もございます。夜も更けて参りましたし、一度戻って皆で話し合い、明日の朝の回答で、構いませんか?」
「ええ、ええ! もちろんです! 報酬は前金で半金を・・・10デテイク、いや、20デテイクお支払いします! ぜひ、ご検討下さい!」
20デテイク!しかも、半金だ。冒険者の依頼の中でも、かなり高額な依頼料と言える。ノストールまでは遠いし、道のりも険しいが、それでも併せて40デテイクとなれば、武官の一年の俸給と、ほぼ同額だ。護衛任務では、まず有り得ない報酬となる。
それだけ必死ということなのだろうか。いずれにしても、エアリアは即答を避けた。
それから、あらためて丁重なもてなしに礼を述べ、一行は自室に引き上げた。ピプロー卿は最後は懇願するような目でエアリアを見ていたが、そこは全員が気付かないフリをした。
「護衛で40デテイクとは、張り込んだものだな!」
部屋に戻るなり、ガルダンが目を丸くしてエアリアを見る。エアリアは落ち着いた様子でガルダンにうなずいて見せた。
「余程のじゃじゃ馬なんでしょうね。とは言え、男だらけのパーティーに依頼する気にもなれない、ってところじゃないかしら? 私たちはドワーフと、いかにも人の良さそうな男が二人。その辺のごろつき冒険者よりは、信用できそうだと、思ったんじゃない?」
アルルの言う通り、冒険者とは言いながら、ごろつきや野盗と変わらないような冒険者も多くいる。マール自身、エアリアやカイルのような冒険者と出会う前は、できるだけ冒険者には関わらないようにしていたくらいだ。その点、一行はエアリアやアルルの気品も手伝い、冒険者としてはかなり信頼のおける部類ではあるだろう。少なくても、無礼や非礼を働くような人間には見えない。
「それで、どうします? 私としては、お困りの様子だし、お助けしてあげたいと思うけれど・・・。」
「エアリアがいいと言うなら、俺は構わない。それに、こちらの用事が終わってからでもいい、と言うなら、路銀の心配もいらないし、悪い依頼ではないと思う。」
「儂もそれで構わんよ。」
「私も。」
口々に意見を述べた一行が、一斉にマールを見た。
「ぼ、僕ですか? 僕はもちろん、構いませんよ。皆さんに従います!」
言ってから、「やってしまった」と思った。別に、ここで待っていても問題はなかったはずなのに、つい勢いで「着いていく」と宣言してしまった。
「そう! なら、決まりでいいわね! 明日の朝一番で依頼を受けると伝えましょう。そうと決まれば、今日はもう、休みましょうか。ガルダンも、お酒が飲み放題とは言っても、飲み過ぎはよくありませんからね。」
「大丈夫ですわい。もう十分に、頂きましたからな!」
エアリアの言葉に、ガルダンが腹を叩いて答える。一同に笑いが起こり、散会となった。エアリアとアルルは左の部屋へ、カイルとマールは右の部屋へ。ガルダンは、もう少しだけ、ここにいるつもりのようだった。せめてデカンタの分の酒は、飲む気でいるのだろう。
厚さのたっぷりしたベッドに寝転がり、マールは泣きそうになっていた。借金を返す当てもできたのに、なんでわざわざノストールなんて行くことになってしまったんだろう。いつものことながら、自分の決断力の低さに情けない思いになる。なぜかいつも、「ひどい方」の選択肢を選んでしまうのだ。だが、そんな思いも束の間で、寝不足と慣れない飲酒で、マールはあっという間に夢の世界へ引きずり込まれていくのだった。
「W.I.A.」
第1章 第3話 ②
了。