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小説「オツトメしましょ!」④

 それから、二人は下見もせず、帰路に着いた。千英と組むことを、「組合」に届け出なければならない。そうすることで、千英は晴れて「盗め人」の仲間入りを果たすことになる。
 
 「組合」とは、いわゆるギルドのようなもので、世界各地に支部がある。要するに盗賊間の互助会であり、決められた年額さえ納めておけば、仕事の斡旋から盗賊仲間の紹介、盗品の売買、またはその仲介など、手数料は必要だが、受けられるサービスがあり、さらには病気やケガの際の見舞金から、葬儀埋葬の世話、家族がいるなら家族への手当まで、あらゆる協力と福利厚生を受けることができる。
 
 だが、万が一「組合」のことを外部に漏らしたり、同じ盗賊から盗みを働く「掠め取り」や、仲間を売るような行為で「掟」を破った場合には、瞬時に世界中に手配書が回り、賞金が掛けられて追われることになる。その一切を仕切るのも、同じ「組合」の仕事だった。
 
 由乃は、帰り足で自分の所属している支部へ向かうことにしたのだ。首都圏第三支部。支部長は、祖父の手下だった男性が務めていて、由乃が小さい頃から見知っている、親戚のような存在だった。
 
 由乃のミニクーパーが下町の細い道を曲がりくねりながら進み、とある古い木造住宅の前に車を停めた。外から見れば、ただの古い住宅に見えることだろうが、これが目指す建物だった。
 
 「ここ? 普通の家じゃん。」
 「目に見える物が全てとは思わないでね。特に、これからは。」
 
 不思議そうに由乃を見る千英を連れて、玄関の引き戸を開く。ドアに取り付けられた鈴が、リンリンと音を立てた。二人は中に入り、土間で家人が出てくるのを待つ。
 
 「はいはい、どちらさん?」
 
 姿は見えないが、廊下の奥からしわがれた老人の声が届いた。千英が身を固くするのが感覚でわかった。
 
 「伊十郎おじさん、由乃です。」
 「ほっ、こりゃまた、珍しい! さあさあ、遠慮はなしだ。あがってあがって。」
 
 相変わらず姿は見えないが、声の調子からして歓迎されているようだった。由乃は千英に目配せをすると、靴を脱いで家にあがった。すぐ左の引き戸を開けて、中に入る。
 
 部屋は、和室の6畳続きで、室内はがらんとしている。奥の6畳間に、大きな神棚が設えてあり、その前に置かれた長火鉢の前に、髪の薄くなった老人が、ちんまりと座っていた。
 
 由乃は、千英と並び、入ってすぐの畳の上に正座をすると、折り目正しく挨拶をした。
 
 「伊十郎おじさん、お久しぶりです。・・・今日は、御用の筋で・・・。」
 
 伊十郎と呼ばれた老人は、一瞬目を丸くして驚いたようにしていたが、すぐのその目が針のように細められた。長火鉢に置かれたタバコを一本引き抜き、火を点ける。
 
 「・・・そうかい、ま、そこじゃ話も遠い。さ、中に入っておいで。」
 「・・・はい。」
 
 千英は、伊十郎老人の口調が急に冷ややかになったのに気が付いた。声から抑揚が消え、どことなく一本調子な話し方に変わった。
 
 由乃はするすると膝を進めると、手前の6畳間の境目で止まり、また平伏した。千英も遅れて平伏する。
 
 「で、御用、というのは・・・? 湯浅の人・・・。」
 「・・・はい、私の隣に控えます、上椙千英を、盗め人つとめにんに、と。」
 「・・・湯浅の人・・・アンタももう、この稼業に入ってそこそこの年季が入ってきたところだ、そんな話があっても、おかしくはねぇが・・・お隣のお嬢さんは、ちぃとばかり、若過ぎやしないかね?」
 「上椙は、幼く見えますが、歳は私と同じです。それに、情報を抜き取る術を身に着けております。腕は確かで、信ずるに値する人間です。」
 「・・・そうかい・・・まぁ、それなら、構わねぇが・・・で、上椙の人、アンタ、この稼業に入るってことが、どんなことか、其処ら辺は分かってるんだろうね・・・?」
 
 由乃は汗をかいていた。分かってはいたが、支部長の「試し」はやはり強烈なプレッシャーが掛かる。千英のことが心配だったが、顔を上げるわけにはいかない。それに、前もって話をすることも禁じられていた。ここは、千英に任せるしかない。だが、隣の千英は平伏しながら、もぞもぞと落ち着きなく動いているだけで、答えようとしない。これは、まずいことになったかも知れない。
 
 「・・・どうしたい?・・・上椙の人、まさか、その歳で耳が遠いってことも、ねぇだろうよ?」
 
 伊十郎おじさんの声に凄味が加わった。さすがは祖父の右腕として、差配を振るっていただけのことはある。由乃が助け舟を出そうと息を吸い込んだ時、千英が話し始めた。
 
 「は、はい! な、な、仲間になるに当たって、や、約束は、ま、守ります!」
 「・・・で、情報を盗むって? どうやって?」
 「は、は、はい! あ、あの、パソコン! パソコンを使って、盗みます!」
 「・・・。」
 
 伊十郎は長い沈黙の後で、由乃に声を掛けてきた。
 
 「湯浅の人・・・このお人を、手下てかになさおつもりかい?」
 「いえ、手下ではなく、五分の間柄です。」
 「ほぉ? 五分、ね・・・。」
 
 伊十郎はまた、長い沈黙に入った。由乃の眼鏡には、汗でできた水滴が溜まり始めていた。鼻から畳へ、汗の雫が落ちた。

 「・・・いいだろう、納め金は、1000万。7日以内に届けてくれ。さ、お二方、顔を上げなせぇ・・・。」

 許された。納め金の話が出た時点で、千英は伊十郎おじさんの、つまりは支部長の「試し」に合格したことになる。由乃は、そのまま畳に崩れ落ちそうになるほど力が抜けたが、腹にグっと力を込めて、身体を起こした。横目でそれを見て、千英もぴょこんと起き上がる。

 「もう一度聞くが、五分で、構わねえので?」
 「・・・はい。五分です。」

 今度は、由乃の目をジッと見つめて、念を押した。目で掛けられる重圧をはねのけるように、由乃も目に力を込めて、伊十郎を見つめ返す。

 「おい!」

 視線を外さず、伊十郎が奥に声を掛けた。間、髪を入れず、左手の襖が開き、中年の女性二人が、手に三方を持って現れた。これから固めの盃を交わすことになる。手下にするわけではないので、支部長が見届け人となり、お互いの血を混ぜた酒を飲むことで、固めを行うのだ。
 
 三方の一つには酒を満たした赤い盃が、もう一つには小柄こづかが載せられている。小柄は、刀の鞘に付けられた小型の刃物で、現在で言うところのカッターやペーパーナイフのように使われたものだった。

 由乃は小柄を取ると、左手の平に小さな傷を付け、そこから出た血を盃の酒に垂らした。懐紙で小柄の血を拭き取り、刃先をこちらに返して千英に差し出す。千英も躊躇することなく由乃と同じことを繰り返し、これで双方の血が、盃の酒で混ざり合ったことになった。

 由乃は一礼してから盃を取り上げると、三々九度の要領で、半分ほどの酒を喉に流し、三方に戻した。千英がおずおずと手を伸ばし、盃を取り上げて酒を飲み干し、三方に乗せた。するすると中年の女性が近付いて来て、その三方を取り上げ、伊十郎の元へと運ぶ。伊十郎は盃が空なのを確認すると、懐紙で盃を包み、自分の懐にしまった。

 礼をして、中年女性二人が引き下がっていった。
 
 「これにて、『固めの一献』を終わります。天地照覧、神命助願。」
 
 3人が、その場で深々と頭を垂れた。これで、千英も「盗め人」となった。
 
 「いやはや! よっちゃん、驚かすもんじゃあねぇよ! 俺ァ、寿命が3年は縮んだぜ!このことは、親分は知っていなさるのかい?」
 
 伊十郎が長火鉢をパチンと叩き、打ち解けた様子で由乃に話しかけた。千英はその変貌ぶりに驚き、ビクッと身体を震わせた。
 
 「ごめんなさい、伊十郎おじさん。おじいちゃんにもまだ話してないの。気持ちが固まってすぐ、その足でここに来たから。」
 「そ、そりゃあ・・・よっちゃん! 大丈夫なのかぇ?」
 「大丈夫。これでも、一本立ちしてるのよ? 今更『お伺い』なんて立てたら、逆に叱られちゃうわ。」
 「そ、そりゃあ、まあ・・・そうかも知れねえが・・・。」
 
 そこで伊十郎は、不安げに千英を見た。千英は状況が飲み込めず、キョトンとして二人を見ている。
 
 「心配ないわ。千英は、こう見えて、芯がしっかりしている。仕込むのはこれからだけど、いい『盗め人』になるわ。」
 「む・・・ま、まあ、よっちゃんがいいなら、俺に否やはねぇが・・・。おいおい!大分深く切ったんじゃねぇのか! おい! 絹江!救急箱、持って来い!」
 
 そこで初めて、由乃も気が付いた。千英の手から、血が滴っていた。思いのほか深く切ってしまったらしい。バタバタと音がして、襖から救急箱を手に、伊十郎の妻、絹江が現れた。
 「どれどれ、見せてごらんな・・・。あれ! こんなに長く切らなくたって・・・。うん、そんなに深くはないようだね。」
 
 そう言うと、テキパキと消毒し、患部に血止めの膏薬を塗り込んで、包帯を巻いた。絹江は元看護士であり、この手の処置はお手の物だった。それでなくても、様々な怪我の多い稼業なのである。
 
 「おばさん、お手を煩わせて、申し訳ありません・・・。」
 「なんだい、よっちゃん、そんな他人行儀な! ・・・これで血は止まると思うけど、しばらくはこの手を使わせちゃいけないよ。まあ3日もすればくっつくだろうからね。」
 「はい、ありがとうございます。」
 
 由乃は絹江に丁重に礼を述べた。絹江は畳に滴った血もサッと拭き上げ、ニコニコと二人を見つめてから部屋を出て行った。
 
 「千英、大丈夫?」
 「うん。大丈夫。ちょっと・・・痛いけど。」
 
 そう言って千英は笑顔を作った。左手がうずくのだろう、自然と肩口まで手を挙げていた。
 
 「ささ、もう、固い話は終わりだ。足を崩して、楽にしねぇ。こっからはいつものよっちゃんと伊十郎おじさんだよ。・・・それと、千英ちゃん・・・ちぃちゃんってことだな! 俺ァ、よっちゃんのおじいさんの手下でな、伊十郎と言うんだ。よっちゃんがこんなちっちゃい時から、知ってるんだよ。これからは、ちぃちゃんも身内だ。何かあったら、遠慮なくおじさんを頼ってくれよ?」
 「あ、あ、ありがとう! お、おじさん!」
 「はは! 元気がいいねぇ! どうだい、伊豆栄から鰻でも取るから、久しぶりに一緒に食おうじゃねぇか!」
 「あ、懐かしいわね! でも、私たち、さっき食べてきたばかりなの・・・。それに、千英は食べ物リハビリ中で・・・。」
 
 そう言って、由乃は千英との出会いから今までの経緯を、簡単に語って聞かせた。伊十郎はまともに話をしたのが今朝方のことと聞いて、ますます思案顔になったが、二人の仕草やなんということのないやり取りを見て、徐々に愁眉を開いていった。
 
 「そうかい。じゃあ、鰻は今度にしようかね。・・・ところで、親分や若は、変わりがねぇんで?」
 
 伊十郎は未だに祖父のことを「親分」と呼ぶし、父のことを「若」と呼ぶ。今や首都圏第三支部の支部長として、300人からの手下を擁する大元締でもある、と言うのに。
 
 「ええ、おかげさまで、みんな元気よ。おばさんも変わりがないようだし、私も安心したわ。」
 「俺もこう見えてなかなかに忙しくて・・・ご実家にも、随分とご無沙汰だが・・・。」
 「それは、こちらも同じことよ。そんなことは気にしないで。あ、でも、祖父の傘寿の祝いには、来てくれるでしょ?」
 「そりゃあ、もちろん伺うよ。・・・そうかぁ、親分も、とうとう大台に乗る歳かぁ。そりゃ、俺も老けるわけだよなぁ!」
 
 そう言って、伊十郎は大声で笑った。祖父よりも10歳若いはずだから、今年で70歳ということになるだろう。相変わらず眼光も鋭いし、身体にもキレがありそうだが、いくらか声が大きくなったところを見ると、耳が遠くなり始めたのかも知れない。
 
 その時、柱時計が4時の時報を打った。なんだかんだと、1時間ほど話をして過ごしてしまったらしい。千英もそろそろ限界だろう。暇乞いをする時分だった。
 
 「・・・じゃあ、おじさん、私たち、そろそろお暇するわね。」
 「お、そうかい? 酒でも飲みながらゆっくり話したいところだが、お互い、そうも言ってられないものなぁ。引き留めても始まらねぇ、よっちゃん、気を付けてな。ちぃちゃんも。」
 
 玄関まで夫婦で見送りに出てくれ、絹江からは手製の稲荷ずしまで持たされた。由乃の大好物ということを覚えていて、由乃が来た、と聞いてから作り始めたらしい。こういう気遣いが、とても嬉しい。由乃にとっては、祖父母がもう一組増えたような、ありがたい気持ちになる。
 
 「それじゃあ、近いうちにまた来るわね。今日は急のことで、手ぶらでごめんなさい。」
 「そんなこと! 一切気にすることはないから、顔だけでも見せてちょうだいね!」
 「ええ! 稲荷ずし、ごちそう様! とっても嬉しい!」
 
 二人の晴れやかな笑顔を見て、由乃もいつになく晴れやかな気分になった。だが、本当に大変なのはこれからだ。千英を仕込み、一人前の「盗め人」にしなければならない。五分の盃を交わしたとは言え、その責任は由乃が全て負うことになるし、見届け人である伊十郎にも責めが及ぶ可能性もある。しっかりとしなければ。
 
 車に戻ると、千英が助手席に崩れ落ちるようにもたれかかった。無理もないが、かなり緊張していたようだった。
 
 「千英、お疲れ様! これで私たち、晴れて「お仲間」よ! まずは、タバコでも吸って、気を楽にして。」
 「うん・・・さすがに、ちょっと疲れた・・・かな・・・。」
 「そうだよね。このまま送っていく? それとも、今日は私の家に来てみる?」
 「え! 由乃の家、行きたい!」
 「オッケー! じゃ、家に帰るわね。」
 
 そう言って、由乃はミニクーパーを走らせた。途中でコンビニに寄り、千英のタバコを仕入れ、二人で由乃の家へ向かう。由乃の家は、大学から車で20分ほどの、街の高台にあった。
 
 二人を乗せたミニクーパーは、いつもよりも軽やかに、車を縫うようにして走っていた。それはまるで、二人の気持ちをそのまま走りにしたような、若々しい動きだった。

「オツトメしましょ!」④
了。


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