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小説「オツトメしましょ!」②

3 邂逅

  由乃は今日もいつもの通り、愛車のミニクーパーで大学に向かい、自分の駐車場所に車を止めた。大学では、3年生から構内に駐車場を借りることが可能となる。おかげで通学も楽になり、空き時間の使い方についても、だいぶ幅が持てることになった。

 

 今日は、いよいよ動くつもりでいる。とは言え、それは大学の講義が終わってからの話だ。日中はいつものように講義を受け、夜に備えよう。

 

 「何か」があるときの一日は、とても短い。予定通りの講義を受け、由乃は帰路に着いた。が、車はここに残しておく。今日の本当の「目的」のために、そうするのが最善だったからだ。

 

 由乃は徒歩で構内を出て、千英のマンションへと向かった。マンションのエントランスからは入らず、細いビルの間を抜けて、直接中庭へと出ると、一階のドアの並ぶ廊下側となる。由乃は迷わず右端にある非常階段に向かうと、踊るようにそれを飛び越え、柵の上部の空いた部分から身を躍らせて、非常階段に出た。

 

 これで、オートロックを通らずにマンションの内部に入ることができた。後はこの階段を5階分登り、千英の部屋に入るだけだ。もちろん、こちら側にカメラがないのは下調べ済みだった。警備上の重大な過失だが、今は住民もうるさいので、こういうことになったのだろう。本来はカメラのあったであろう箇所は、円形の板で封がしてあった。大方、「マンションの住民に悪い人間などいない!」と主張したポリコレかぶれの住民でもいて、取り外すことになったのだろう。

 

 金属製の階段は、由乃が歩くと甲高い音を立てたが、ここは普段から低層階の人間が日常的に使用しているので、あえて音を消す努力はしない。5階に上がると、一番端の501号室が、目的の千英の部屋となる。

 

 当たり前のように部屋の前に立ち、カバーを開けて6桁の数字を打ち込む。電子音を立てて、ドアが開錠した。この電子キーというやつは、至極便利なものではあるが、それは由乃のような側の人間にとっても非常に都合がいい。

 

 ドアを開け、中に入る。居室まで廊下が伸び、左側にバス、トイレのドアがあり、右側にはクローゼットが設えられていた。全てのドアが少しだけ開けられている。本来なら、居室の窓から漏れる光で周囲が見えるはずなのだが、千英は遮光カーテンを使用しているようで、窓の周囲がほんのり明るいだけで、室内はほとんど闇だった。

 

 その他に気が付いたのは、匂いだ。大抵、他人の家に入ると「その家の匂い」があり、一瞬戸惑いを覚えるのだが、この部屋には匂いがない。かすかにタバコの焦げ臭い匂いがあるが、意識的に嗅がないと気付かない程度だ。こういう家も珍しい。

 

 脱いだ靴を左手に持ち、由乃は室内へと足を踏み入れた。居室から、ブーンという低い機械音が聞こえてくる。音からして、複数台のパソコンが動いているらしい。由乃は居室を覗きたい衝動に駆られたが、それを抑えて洗面所のドアを潜った。ドアを元の幅に戻して、洗面所の天井を見上げる。それからバスルームの天井を覗いて、目的の点検口を見つけた。

 

 おもむろに、由乃は服を脱ぎ出した。今日来ていたのは薄手のサマーセータ―とチノパンで、下にはレギンスとスポーツブラを着けていた。どちらも伸縮性に富み、身体にぴったりとフィットするタイプだ。脱いだ靴と服をリュックにしまいながら、洗面台の様子を見る。飾り気のない透明なプラコップと、歯ブラシが一本。歯磨き粉なし。女性が使うようなクレンジングやブラシやハンドソープというような物が、一切ない。

 

 化粧もしているし、髪型も無造作なようで梳いた形跡はあったので、その都度どこかにしまっているのだろう。パッと見た感じだが、鏡も洗面台も汚れがなく、髪の毛の類も落ちていない。由乃は、ますます興味をそそられた。たまたま掃除したばかり、というのでなければ、日常から気を付けて生活をしている、ということだ。そしてそれには、必ず理由がある。それが由乃と同じ理由から来るものとは思えないが、ここの洗面台は由乃のそれによく似ていた。

 

 全ての準備が整うと、由乃は浴槽の縁に足を掛けて、点検口から天井裏に昇った。降り積もった埃が落ちていないかを確認すると、点検口の蓋を元に戻す。小さなペンライトを灯して、リュックから薄手のゴムシートを取り出し、下に敷いた。その上に横になり、あとはしばらくは待機となる。由乃は呼吸を整え、目を閉じてその時を待った。

 

 二時間ほどして、足音が近付いてくると、由乃は目を開いた。既に闇に慣れた目に、周囲の梁や隣室との隔壁が目に入る。すぐにドアが開いて、一人の人間が部屋に入って来たのがわかった。

 

 足音が居室に去り、若干の静寂の後、パソコンのキーボードを叩く音とともに、千英の独り言が聞こえてくる。最初は誰かとチャットでもしているのかと思ったが、そうではなく、自分が感じたことを時折口に出しているだけのようだった。一人暮らしが長いと、こういう症状が出てくる。

 

 同じ状態がしばらく続いた。一度トイレに入っただけで、ずっとパソコンに向かっているようだった。キーボードを叩く回数が尋常ではない。何かのプログラムを組んでいるか、どこかにハッキングを仕掛けているか、またはその逆か。いずれにしても、時に20分以上、キーボードの音が全く途切れずに続くこともあった。

 

 午前2時30分、ようやくキーボードを叩く音が消え、ドサッとベッドに横たわる音が聞こえた。由乃はさらに耳を澄まし、千英の呼吸音を探した。睡眠に落ちれば、自然と呼吸が変わる。由乃は呼吸音を聞いただけで、睡眠の状態を判別できる。

 

 3時20分、呼吸音が変わった。千英は今、深層睡眠に入った。由乃は静かに動き出した。点検口の蓋を開け、するりと浴槽に降りる。静かにドアを開き、廊下から千英の眠る居室へと入って行った。この間、まったく物音を立てていない。

 

 ベッドで、左手の親指を口元にして、まるで胎児が母の胎内で蹲っているような姿勢で千英が眠っていた。由乃は、しばらくその表情に見入っていた。それはとても、寂しそうな寝顔だった。極力人との関りを避けていながら、その実、心は人を求めているのだろう。人の本性は寝顔にこそ現れる、と由乃は思っている。人生に満足している人の寝顔は、それはもう幸せそうだし、心に負い目のある人間の寝顔は、とても苦しそうだ。

 

 おもむろに、由乃は千英の口元を自分の左手で覆った。瞬間的に目覚めた千英が、目を見開いて起き上がろうと、仰向けに姿勢を変えたところで、その左手に力を込めて、上から押さえつけた。同時にベッドに飛び上がり、千英の胴を跨いで座るようにする。もちろん、体重は最小限にしか掛けていない。ベッドのスプリングが、苦しそうな軋み音を立てた。由乃の下で、千英は激しくもがいていたが、どうあっても抜け出せないと観念すると、太い息を吐いて大人しくなった。

 

 「手荒な真似をして、ごめんなさい。私は湯浅由乃。同じ大学の同回生よ。」

 

 静かな声でそこまで話すと、千英の反応を窺う。千英の顎が、コクコクとうなずいた。

 

 「千英と話がしたくて機会を窺ってたんだけど、どうやら普通に話し掛けただけじゃ聞いてくれそうもないから、こういうことになったの・・・。」

 

 千英が、また「了解した」と言わんばかりに、コクコクとうなずいた。今は完全に落ち着きを取り戻しているように見える。

 

 「これから手を離すけど、大声を出したり、暴れたりしないでくれる? 本当に、話がしたいだけなの。まあ、信じてと言っても無理だとは思うけど・・・。」

 

 今度は、大きくゆっくり、千英がうなずいた。大丈夫だと見極めをつけた由乃は、身体はそのままで、口元から左手を離した。約束通り、千英は騒いだり暴れたりしなかった。

 

 「び、びっくりしたけど、も、も、もう大丈夫! ど、どけて欲しいけど、き、気になるならそのままでいいから、は、話してみて!」

 

 千英は一生懸命に言葉を紡いだようだった。人との関りを避けていた理由が、うっすらわかった。

 

 由乃は、ゆっくりと千英の上から身体をどけて、ベッドサイドに腰掛けた。千英もゆっくりと起き上がり、由乃の隣に腰掛けるようにして起き上がった。

 

 そのまま、お互いに首を傾けてお互いの顔を見つめた。千英の顔には困惑ではなくて、こちらの話を待っている様子が窺えた。

 

 「あらためて、はじめまして。私は湯浅由乃。きっかけは、千英が偶然に私と同じような講義の取り方をしていたこと。でも、調べるうちにどんどん興味が湧いて来て。千英は他人を避けているようだったから、どうしたらいいか悩んだ挙句、私の得意手段に出たってわけ。私、泥棒でもあるの。」

 

 「わ、私、う、う、上椙千英。慣れるまで、話し方が、へ、変だけど。」

 

 そう言って、千英が笑った。少年がはにかんだ時のような、素敵な笑顔だった。由乃は大丈夫、と言うように大きくうなずいた。

 

 「わ、私も、泥棒。でも、ぬ、盗むのは、情報。由乃のことも、調べた。」

 

 由乃は眉を上げた。そうか、千英はハッカーなのだ。だがそれ以上に、自分のことを「由乃」と呼んでくれたことに驚いた。自分でも認めているほど特殊な人間が、こんな特殊な状況で、不法侵入の上で目の前に現れているのにも関わらず、だ。

 

 「今、由乃って呼んでくれたよね?」

 「う、うん。千英って呼んでくれたから。ダ、ダメだった?」

 「全然いい! すごく嬉しい! ありがとう!」

 

 そう言うと、千英は照れ笑いを浮かべながら、ベッドから飛び出た脚をバタバタと動かした。その動きは、まるっきり子供のようだった。由乃はさっきから、胸がキュンキュンしまくりだった。最初から感じていたことだったが、千英は文句なしにかわいい。顔はもちろんかわいいのだが、その佇まいや仕草が、見た目以上に由乃の心をくすぐった。

 

 それから、二人はベッドに並んでいろいろな話をした。驚いたことに、千英が教養課程を1年で終えたのも、由乃と同じ理由だった。推しの講師まで一緒で、こちらはむしろ千英の方が一枚上手であり、渡辺八重についての膨大なデータを手に入れていた。それは、小学校時代の自由研究に始まり、大学在学中に草上した論文や、研究者時代の未発表の研究データ にまで及んでいた。

 

 その中に、昨年行われた縄文時代とおぼしき遺跡発掘現場の、フィールドワ―クのデータが含まれていた。由乃も大学生ボランティアの一人として渡辺准教授とともに参加しており、二人はそこで知己を得たのだ。だが、そこに千英の姿はなかったはずだった。もし参加していたなら、見逃すはずはない。それに、よく考えてみれば、渡辺准教授の講義ですら見かけたことがなかった。由乃がそのことを問い掛けると、千英は明らかに挙動がおかしくなり、壊れたロボットのような動きになった。

 

 なんと、千英は渡辺准教授が好きすぎて、迂闊に近付けないのだと言う。大学に入れば慣れるかと思ったが、廊下のはるか先を歩いている姿を見かけただけで隠れてしまうほどに、恥ずかしいと言うのだ。講義も生では受けられないから、教室にカメラを仕掛けてリモートで講義を受けていたらしい。直接話し掛けられるかも知れない、フィールドワークなんて、絶対に無理。と言い切った。

 

 そういう話をしているだけで、千英の顔が上気してきて、呼吸が荒くなった。これは、本格的な恋煩いというやつだ。

 

 そのまま、二人はいろいろなことを話して過ごした。慣れてきたからか、驚きと不安が無くなったからか、千英の話し方も普通になった。昔から極度の人見知りで、さらにあがり症なのもあり、人との関りを極力避けていたと言う。周囲が明るさを増し、スズメの声が聞こえて来ても、二人の話は尽きなかった。

 

 由乃も千英も、これほどまでに他人と話したのは、実に久しぶりのことで、それぞれが驚きを隠せないでいた。千英がそのことに触れ、由乃も同じように感じていたので、二人で腹を抱えるようにして笑い合った。特殊な環境での出会いとなったので、アドレナリンが良い方に作用した結果かも知れないが、それを差し引いても、二人の複雑な形をした人に見せる曲線が、ジグソーパズルのようにピタリとはまった感じだった。

 

 「はあ・・・お腹、空いてきた。なんか食べる物、ある?」

 「チョコバーくらいしかないよ。」

 

 ひとしきり笑った後、由乃は空腹を覚えて千英に尋ねてみたが、やはり食べ物らしい食べ物はないようだった。

 

 「そういえば、しばらく見てたけど、飲んだり食べたり、してなかったよね?」

 「あー、私、普段はサプリとエナジードリンクだけで生きてるから。」

 「本当に? いつから?」

 「うーん・・・中学生くらいから、かな・・・。」

 

 千英の少年のような体型は、これが原因のような気がした。成長期に十分な栄養が摂れていなかった可能性が高い。

 

 「ねぇ、変なこと聞くけど、生理はきちんと来てる?」

 「あ、そういえば、ここんとこない。・・・かも。」

 

 この言い方なら、相当な期間、生理が来ていないのだろう。由乃は急に心配になってきた。千英は人を避けるあまり、知らず知らずに現実世界から逃避していたのだろう。それは、健康にも及んでいた。要するに、自分の身体のことすら、興味を失いかけていたのだ。

 

 「ちょっと、それじゃダメよ! ね、何か食べに行こうよ。何が好き?」

 「え・・・。うーん・・・特に、ないなぁ・・・。」

 

 由乃は思いつくままに食べ物を並べていった。その結果、どうやら千英の好物は寿司、そして生魚、と言う結論に達した。特に、エビとイクラに反応が強かった。

 

 自分でもちょっと強引かな、と思い、余計なことをしているのかとも思ったが、渋々ではあるが千英も乗り気になってきているようだし、少なくても嫌がっている感じはしなかったので、由乃は安心した。会って数時間なのに、千英に嫌われるのは、何より避けたい、と思うようになっていた。


「オツトメしましょ!」②
了。


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