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小説「ぐくり」⑤

⑤あらすじ
川口は志津子とともに「茶番」の成果を喜び合い、翌日、直当たりの成果を山下に報告したが、その答えは非情なものだった。近藤に相談を持ち掛けた川口は、更なる衝撃を受けることになる・・・。

4,330文字

 
 川口が着いてから1時間ほどで、志津子が帰って来た。二人で今日の上首尾を喜び、祝杯を挙げた。明日は朝から会社に行き、上司に報告して正式な取材として日曜日に備えるつもりだ、と告げると、志津子はさらに喜んだ。


 「これでどうやら、ライカが無駄にならなくて済みそうだよ。」


 川口がもう一つ矜持としていたもの。それが、彼のキャメラだ。ドイツ製のライカと言うキャメラで、ほぼ一年分の給料をつぎ込んだ。これからは、この「小型で精密」なキャメラが時代を開くと考え、かなり無理をして買ったまではいいが、例のガセネタ騒動で新商品の宣伝材料としての写真やら、なんのことはない祭りの写真などは撮る気もなく、本当の意味で「宝の持ち腐れ」になっていたのだ。


 記者を辞めることになったら、真っ先に金に変えなくてはならなくなるところだったが、ここに来てどうやら、その性能を遺憾なく発揮する好機が巡ってきたことになる。


 それからさらさらと湯漬けを掻き込んで、心づくしの湯に浸かり、一緒の寝室で眠りに落ちた。


 翌朝、川口が服を着替えていると、ベルトが変わっていることに気が付いて、朝食の準備をしていた志津子に問い掛けた。


 「志津子、このベルトは・・・。」

 「ああ、それ、父が使っていた物なんだけど、使って。コウさんのは相当くたびれていたから・・・。」


 確かに、川口のベルトは今にも切れそうな状態にあったが、ズボンのサイズがちょうどよく、所詮飾りに過ぎないと考えていたのでそのままにしておいたのだ。


 「それね、金具のところに面白い仕掛けがしてあるのよ。」


 志津子に言われるまま、金具をいじっていると、十字型の飾り彫りがそのまま取り外せるようになっており、小型だが細身のナイフが現れた。


 「狩りの時に使う物だそうよ。東北の方は、今は物騒だと聞くし・・・。」


 志津子の言う通り、食料を求めた暴徒が戦国の世の一揆張りに徒党と化し、米蔵へ打ち返しを試みたり、そこまで大袈裟ではなくても、スリや居直り強盗の類は頻繁に起こっていると聞いている。食糧難から、東北の民心は大いに荒れていると言う。


 「なるほど・・・それで・・・。」

 「まあ、そんなものでどうこうなるものではないだろうけど・・・ね。」

 「いや・・・。有難く使わせて頂くよ。浮かれていてそんなところにまで気が回らなかったが、確かに表向きは警護に行くわけだしねぇ。」


 朝食を済ませ、出掛ける時に見送りに出た志津子が、今夜は会えない、と言ってきた。考えてみれば当たり前のことなのだが、川口は落胆している自分に気が付いた。突然のことだったので、顔に出てしまったらしい。


 「ごめんなさいね。組合の会合があって、横浜まで行かなければならないの。こう見えて理事だから、抜ける訳にもいかなくて。」

 「いや、何も謝ることはないよ。僕もいろいろと準備もあるし、志津子にいつまでも甘えている訳にもいかないからね。」

 「あら、今更そんなこと言うの? 東北から帰ってきたら、ウチに転がり込んできてもいいのよ?」

 「・・・本気で、言っているのかい? 」

 「ずんと、本気よ。別に、妻にしてくれ、なんて言うつもりもないし、あんまり重く考えないで欲しいのだけれど・・・。」

 「ありがとう。その辺りは、帰って来てからきちんと話をしようよ。僕も男だ。中途半端な真似はしたくない。」


 そう言うと、川口は志津子を抱き寄せて、ぽってりとした唇に自分の唇を重ねた。唇を離すと、志津子が潤んだ目で川口を見上げる。


 「じゃあ、行ってくるよ。」


 抗しがたい欲求を何とか振り払い、川口は志津子の家を出た。歩きながら、報告を聞いて山下がどんな反応をするか、考えてみた。驚くだろうか、それとも、バカにしてくるのだろうか。前科があるだけに、後者の可能性が高いと思いつつ、会社の入り口を潜って二階へと向かった。


 記者室では、すでにほとんどの人間が出社してきていて、山下も自分の席で新聞を広げているところだった。顔を合わせずに机の前まで行けることにホッとしながら、川口は山下に呼び掛けた。


 「副編、実は、報告したいことが・・・。」


 バサっと音を立てて、新聞の陰から山下が顔を覗かせる。声の主が川口と知って、残念そうな顔つきになったのがわかった。


 「・・・なんだ、誰かと思えば、お前か・・・。」

 「はい・・・実は・・・。」


 川口は、そこでここ2日の一連の流れを報告した。もちろん、志津子や茶番の話は省いたが、日本鉄道の路線開発部長と数名の代議士の癒着関連のネタを掴んだことを簡潔に伝え、明日から東北に出張をしたい、と申し出た。新聞を畳み、真面目な顔で話に聞き入っていたので、川口は気を良くして話続けていたが、山下の口をついて出た言葉は、川口の予想だにしなかったものだった。


 「ダメだ。」

 「はい! ありが・・・えっ?」

 「ダメだ、と言ったんだ。」

 「そ、そんな、何でですか?」

 「お前なあ、いつまで記者班長のつもりでいるんだ? 今更、自分で掴んできたネタで会社が金とヒマを与えると思ったのか? そんなのはいいから、こっちの・・・これだ、トヨダの新型の発表会、これ、明日だから行ってきてくれよ。」

 「いや、副編! これは、かなり熱いネタなんですよ! 路線開発部長の、小瀬と言うやつの面も確認してます!」

 「わからんやつだな! この際だからハッキリ言っといてやるが、お前の話など、これっぽっちも信用するに値しないんだよ! お前がいかに熱いと思おうが、勝手に面割までして来ようが、会社には一切、関係がない! そういう話をしたいのなら、まずは会社の利益になる記事を書いてから言え! 明日は、このトヨダの発表会に行くんだよ! それが嫌なら、本日ただいま、即刻クビにしてやる! わかったか!」

 そういうと山下は、トヨダの新車発表会の招待状を川口に叩きつけて、また大きな音を立てて新聞を開いた。


 川口は記者室にいた同僚たちの失笑を背に、足元に落ちた封筒を拾うと、トボトボと記者室を出た。


 「・・・というわけなんですよ! 近藤さん! あんまりじゃあありませんか?」


 川口はそのまま三階に上がり、資料室の近藤を訪ねていた。今朝はいい報告をして近藤にお礼を言わなくては、と考えていたのが、まさか愚痴をこぼすことになるとは、川口は心底情けない気持ちで、今にも泣きそうだった。


 「ははは! まあ、キミの今までの怠慢のツケが回って来た、ということだよ。会社だってバカじゃない。今までろくに記事を書かなかったキミに、サラリーを払ってくれていただけでも良しとしなきゃあな・・・。」


 近藤の意見は辛辣だったが、正論だった。思い返してみれば、まったくもって川口の言う通りなのである。川口は、もはやうなだれるしか方がない。


 「・・・とは言え、このまま見過ごすにはもったいないネタなのは間違いない。よし、こうしようじゃないか。」


 近藤はそう言うと、抽斗の中から木製の手提げ金庫を取り出した。


 「ほら、ここに50円ほどある。取材費の代わりにしたまえ。・・・それと、トヨダの方には私が誰かを行かせるから、その封筒、置いていってくれ。」

 「・・・え? でも・・・。そんなことしたら近藤さんだってタダじゃ済まないんじゃないですか・・・?」

 「もちろん、これでキミが何も掴めなければ私の立場も危うくなる。だから、そうならないように、精一杯取材に励んでくれなくては、困る。ま、とは言え、私はいつここを辞めても、これから先、食うには困らないんでね。いざとなったら辞表を出すまでだよ。」

 「そ、そんな! それに、このお金だって・・・。」

 「ああ、金のことなら気にしなくていい。昔のクセが抜けなくてね。今でもいざとなったらすぐに現場に飛べるように、金と当座の着替えなんかはここに置いているんだ。まあこの脚じゃそんなお呼びが掛かるわけもないんだが、悲しい習性だねぇ。それに、さっきも言った通り、私は食うには困らないんだよ。気にせずに、使ってくれ。それから、いいかい、こういう時は金を惜しむんじゃないよ? 」

 「・・・あ、ありがとうございます! ここまでして頂いたら、絶対、モノにしてみせます!」

 「ウン! 大いに、期待して待っているよ! そうだ、それと・・・。」


 そういうと、近藤は金庫から黒光りする拳銃を取り出して机に乗せた。


 「これも、持って行った方がいい。今、向こうはかなり危ないらしい。東京から来た、というだけで狙われる可能性すらある。念のため、持っていきなさい。」

 「そ、そんなに危険ですか・・・?」

 「川口クン、食い物がない、と言うのは、それは恐ろしい物だよ。人間は、食い物のためなら何でもする。飢えた獣より始末に負えない。十分に、気を付けるんだ。極端な話、女子供でさえ、飢えたら大の男に襲い掛かってくる。「飢え」は、そのまま「命の危機」なんだよ。どうせ死ぬなら、何かしてみよう、と思っても無理はない。わかるかね?」

 「・・・いや・・・正直、よく分かりませんが・・・。」

 「まあ、飢えたことのない人間は、わからないだろうねぇ・・・。その辺りも、じっくりと肌で感じてくるといいよ。これから先の人生、何かには役立つだろう。とにかく、気を付けるんだよ? いいね?」


 それから、近藤は東北の地理や風土に着いて、資料を示しながら川口に指導をしてくれた。今まではあまり気にしたこともなかったが、昭和になった今でも、東北には独自の風習があり、また、慢性的に貧していることが容易に見て取れた。ついこの前に撮られたばかりだと言う写真は、まだ江戸時代ではないのか、と錯覚してしまうほどに古めかしい服装で、田園で細々と米を作っている様子が写されていた。


 それから二人で遅めの昼食を摂り、近藤に励まされて資料室を後にした。記者室には顔を出さず、そのまま自分の部屋へと戻ることにした。帰りに、必要な物を買い揃えなければならない。懐には、近藤から預かった50円と拳銃が、ずっしりとした重みを持って納まっていた。これが明日からの安心感につながるのだ、と思うと、川口はブルッと震えた。


 それが、武者震いなのか、何かの予感なのかはわからなかったが、いずれにしても一世一代の大博打になることだけは、間違いがなかった。


「ぐくり」⑤
了。



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