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小説「オツトメしましょ!」⑱

21 接触

 「ボギー1、南東から進行中。」

 「コピー。」

 いよいよ、アイツのお出ましだ。千英は、庭園中央部の池にある、中洲の島にいた。正確には、そこに建てられている「一服茶屋」の屋根の上に、身を潜ませている。この島には、南東から北西に向かって橋が架けられていた。池から現れる以外は、橋を通るしかない。真冬にわざわざ水に浸かる真似をするとは考えにくいから、「どこから現れるか」はほぼ二択に絞られる。

 浜和庭園は、竹芝桟橋の近くに造営された、広大な公園であり、和風の庭園が特に有名だ。敷地には海水を引き入れた大きな池と水路が廻らされており、季節によって色とりどりの花々が来園者を楽しませる。だが、真冬の今、海からの冷たい風を遮る建物のないこの公園は、都会の一角にぽっかりとできた、完全な無人地帯となっていた。真夜中ともなれば、尚更のことだった。

 由乃は、外縁部の林の中から一服茶屋を見張っていた。相手が完全に一人なのか、何を持って来ているか、どんな様子なのかを、確実に識別してからでないと近付く気にはなれない。

 二人とも、プルーフスーツを着込み、その上から、光をほとんど反射しない素材でできたトラックスーツを着ていた。もちろん、バイザーヘルメットを被っている。サーモモードで見張っていたにも関わらず、危うく見落とすところだった。対象の表面温度が異常だった。いくら真冬とは言え、一番温度の高い、露出している顔の部分でさえ、30度しかないことになっている。由乃は当たり前のように、体温程度の温度を示す、黄色からオレンジの色を探していた。歩いてくるような動きがなければ、30度前後を示す緑色は見落とすところだったのだ。

 由乃はバイザーを望遠モードに切り替えた。トレンチコートの襟を立て、帽子を目深に被っている。マスクまで付けているようで、顔は全く確認できなかった。登山用のリュックを背負い、廃工場で見つけたあのトランクを牽きながら、自信たっぷりの足取りで一服茶屋に歩いて行く。茶屋の前まで来ると歩みを止め、そのまま微動だにせず、立っていた。時間は23時55分。

 堂々としている。歩き姿を見ても同じことを思ったが、立っていても落ち着いていて、時間にも正確だ。何かの罠を仕掛けているようにも思えない。二人の読みは当たったかも知れない。少なくても、心に疚しいところがある人間では、こうはいかないはずだ。

 「ボギー到着。目標と類推。これより接触を開始。」

 カチカチ

 千英からの受領通知が届いた。屋根の上の千英が、由乃の援護ができる位置に移動するのが見える。由乃は、相手とは反対側の、北西側から近付いて行った。こちらも小細工はなしだ。地面から橋に足を掛けたところで、相手がこちらに気付いて、身体を正対させた。トランクから手を離し、両手をだらりと垂らす。何も持っていないことを示したのだろう。由乃も両手を振って見せ、何も持っていないことを相手に示した。

 十分な距離を取って、対峙した。わずかに膝を撓めたままにして、いつでも後ろに飛び退けられるようにしてある。

 「そちらは、手ぶらの、ようだが・・・。」

 しわがれた男性の声が響いた。その声は、高齢男性の物だった。話すのが大変そうで、一言ひとことをはっきり発音しようと、苦労している様子だ。

 「まずは、そちらの品物を確認してからだ。」

 由乃は変声機を使用していた。若い男の声に変えている。男は、不思議そうに首を傾げ、こちらの様子を窺うようにしながら、ゆっくりとリュックサックを前に回し、中から薄い木箱を取り出すと、リュックを置いて、木箱を開いた。間違いなく、あの古文書が入っているのが確認できた。

 「今度は、そちらの、番だ。物は、どこだ。」

 木箱の蓋を戻し、両手で抱え込むようにする。その手は、革製の手袋で覆われていた。

 「ひとつ、確認したい。どうして、それを盗んだ?」

 男は、黙ったままだった。これ以上は、妥協するつもりがないらしい。由乃はゆっくりと、左手を背中に回し、服の中からあの笛を取り出した。

 「まずは、笛だ。他の品物もすぐ近くにある。先ほどの質問に、答えてもらいたい。」

 笛を見て、男の態度が変わった。危うくこちらに近付きかけ、慌てて止まったような動きを見せた。そのまま、長い沈黙の後、とうとう根負けした形で、男が口を開いた。

 「ある、目的の、ために、必要だ。話した、ところで、無益、だ。」

 「それは、こちらが判断する。目的を知りたい。」

 「・・・。仕方、ない・・・。」

 そういうと、男は木箱を橋の上に置き、ゆっくりと帽子を取った。そして、マスクも。下から現れたのは、およそ人の顔とは思えない、おぞましい顔だった。

 まず、異常に痩せている。まるで頭蓋骨だけのようだが、顔のあちこちから、赤紫に変色した皮膚の残骸らしきものが垂れ下がっていた。頭髪はほとんど抜け落ち、代わりにボコボコした何かが無数に突き出ている。目そのものと、目の周囲は人間のものであったが、皮膚の侵食がすぐそこまで迫っているように見える。

 「・・・な、何かの、病気なの・・・?」

 声が震えそうになるのを、かろうじて堪えた。しばらくはこの情景が瞼の裏に焼き付くことになるだろう。それほどに衝撃的な面相だった。瞬間的に、リストの品々に「鬼」が関連していることを思い出した。目の前にいるのは、まさしく、「鬼」に違いない。

 「病気、ではない、これは、呪い、だ。」

 「呪い? なんの冗談?」

 「冗談、では! ない! これが、映画か、なにか、だと、言うのかっ!」

 そういうと、男は手袋を外した。その手は、黒と緑のまだら色で、骨ばった指が異様に長い。指の先には、太くて黄色い大きな鉤爪がついていた。やにわに男が腕を振り下ろすと、橋の欄干が金属音を立てながら裂けた。その表面に、3本の爪痕が残っている。男は、爪についた金属の残骸を反対の指でつまみ、橋に落とした。

 「・・・呪いを解く、方法を、探して、いる・・・。」

 「・・・なるほど・・・。それは、切実ね・・・。」

 由乃は、そこでヘルメットを脱ぎ、プルーフースーツのフードを下げた。

 「ちょ! 何やってんの!」

 千英の声がイヤホンから聞こえてきたが、それを無視した。先ほど顔を見た瞬間、言葉遣いを誤ってしまった。もはや、偽装の必要はない、と考えた。それに、相手はこちらの要求に従い、知られたくはなかったであろう秘密を、こちらに明かした。こちらもそれに答えるのがフェアな気がしたのだ。

 「あなたが欲しい品物は、あそこにある。」

 そう言うと、由乃は先ほど自分が潜んでいた茂みの一角を指差した。雑木林の中でも、ひと際背の高い、ナラの木がある辺りだ。

 「あの木の枝に、黒いバッグが掛けてある。そこに全部入っているわ。」

 そう言うと、手にしていた笛を橋の上に置いた。

 「それと、あなたの足元にある古文書も、持って行っていいわ。」

 「・・・どういう、ことだ・・・。」

 「どうもこうも、ないわ。そんなのを見せられたら、何とかしてあげたくなるのが人ってもんでしょ。それだけ。」

 「・・・すまん・・・。助かる・・・。」

 「いいのよ。・・・解けるといいわね、その、呪い。」

 「む・・・。」

 そう言うと、由乃は身を返し、元来た橋を戻る。渡り終えたその瞬間に、林の中に飛び込んだ。

 「動きを見届けてから、RVへ。こちらは先に離脱する。」

 カチカチ

 10分後、千英が戻って来た。あの男は、荷物を持って公園を後にしたと言う。

 「びっくりしたよ! 思わず喋っちゃった!」

 「ごめんごめん、なんか、ああしたくなった。」

 「それにしても急すぎ! で、なんで?」

 正直なところ、「鬼」とか「呪い」とかを、信じたわけではない。だが、あの有様は、あまりにひどい。原因が何であれ、そう長くは生きられないだろう。しかし、あの男はまだ希望を捨てていなかった。何かを探して、必死にもがいていた。

 その部分だけが人間の、目が、瞳が、全てを物語っていた。信念に燃え、覚悟を決めた者の目だった。それを奪うのは、あまりに酷という物だ。

 「そんなに?」

 「千英は見えなくて良かったと思うわ。・・・たぶん、一生忘れない。」

 それでなくても、千英はホラー系の演出が苦手だった。グロテスクな物、鮮血が吹き出すような物は、SFでも戦争物でもダメだ。映画でさえダメなんだから、実物を見たら卒倒しかねない。

 今までの「お盗めおつとめ」をふいにする結果になってしまったが、少なくても「漬物」状態ではなくなったし、実際にどうするのかは不明だが、あの男が使うためにはいろいろと調べなくてはならないだろう。それなら、「救出」の目的は、半分果たせた、と言えなくもない。

 それに、いずれあの男がそれらを手離さなければなくなる時がくるだろう。その時のために、由乃はカバンの中にメモと携帯を忍ばせていた。メモには、「処分することになったらこちらで引き取る」というような内容が書かれている。携帯は、由乃の電話にしか掛けることができないように細工がしてあった。状況によってはどちらも抜き取ってから渡す気でいたのだが、その場合なら、そもそもこちらの品物は渡さなかった可能性も高い。

 いずれにしても、由乃はあの品々を「今、本当に必要な人間」に渡したかった。そして、あの男にその必要性を感じたから、全て渡したのだ。不要になったら返してもらうつもりで。実際に連絡が来るかどうかはわからないが、それならそれでいい。いずれまた、必ず「救出」する。その自信があったからこその、措置だった。

 素顔を曝したのは、そのための伏線、という意味合いもある。人は、顔を知らない人間より、一度でもその目で顔を見た相手の方を信用する。あの男が「人」であるかどうかは甚だ疑わしいが、少なくても「人の心」は持っていると、由乃は感じたのだ。

 「とりあえず、この件は、ひとまずこれで落着、ってことでいい?」

 「うん、いいんじゃないかな。人助けにはなったわけでしょ?」

 「まあ、ね。手間暇考えたら、割には合わないけどね。」

 「またまたぁ、そんなこと言って、結構早い段階から、こうなると予想してたでしょ?」

 「え・・・そう思う?」

 「うん。って言うか、むしろそうしたそうに見えた。」

 「・・・ごめん、千英にはタダ働きで申し訳ないかな、と思って、言い出せなかったけど、実はそうだった。」

 「やっぱり。でも、由乃がそうしたかったんなら、千英はそれでいいんだよ? 元々損得勘定で動いてないしね。由乃が満足なら、千英も満足。」

 「あーーーーーん、ちえーーー。もうっ、だから、好きっ!」

 「ちょ、ちょっと! 運転中、運転中!」

 千英の抗議は受け入れられず、由乃は千英に抱き着き、頭を抱えて頬ずりした。フォードはちょっとフラついたが、すぐに制御を取り戻した。触れ合った頬と頬は、最初こそヒヤッとしたが、今は温かい。真冬の寒さがまだ車内を覆っていたが、二人の体温は急激に上昇していくようだった。


22 底企

 「お頭、本当に、実行するんで?」

 「お頭は、もうよせ。今は「班長」だ。・・・ああ、するさ。」

 「・・・そんなに、『手長』の異名が欲しいんですか?」

 「はははっ! そんな時代遅れの名前を手に入れて、どうするっていうんだ? 一円にもならんだろうが。」

 「え・・・? じゃあ・・・」

 「俺が欲しいのは、名前じゃない。本体だよ。」

 「本体?」

 「ああ、上椙千英、そのものだ。」

 「・・・どういうことで・・・?」

 「どうって、そのままさ。俺の女にしたいんだよ。あの女、湯浅の孫娘と付き合ってるそうじゃないか! 女同士、一緒に暮らして! ハハッ! そういう女に、男ってヤツを教えてやるのもいいだろ? 顔も体も好みじゃないが、なんてったって箔付きだからな。そういうのを女にしたら、俺の株もあがるだろ?」

 「・・・そのためだけに、年寄に取り入ったんですかい?」

 「・・・いや、それだけじゃあない。・・・まあ、いいさ。・・・さあ、もう行け。やることがあるだろ。」

 「・・・はい・・・。」

 『明神の瑛吉』こと、朱乃宮瑛吉は、手下の一人、『駒止の信二』が部屋を出たのを確かめると、吐き捨てるように舌打ちをした。信二は、瑛吉の元からの手下ではなく、「委員会」に配属されたことにより、組合から押し付けられた、瑛吉に取ってみれば新参だった。

 10年近くも委員会で様々な仕事をこなしてきた信二は、頭務めもしたことのない、瑛吉から見れば格下の「盗め人つとめにん」だったが、年も上だし、今までの「委員会」勤務の経験もあり、前例のない行動を取る瑛吉に、何かと不服そうな態度を取る。それが気に食わない。

 かといって、「委員会」の仕事の詳細については信二に聞くしかないし、「組合」から付けられた人間を邪険に扱う訳にもいかない。それが、ますます気に食わない。

 『あの、目が嫌いだ。』

 一見すると、なにやら物悲しいような感じなのだが、瑛吉はその奥に、常に蔑みの感情が見えるのが何より嫌だった。従順なような態度を取りながら、その目は、『決して心服はしていないぞ、若造が、いい気になるな。』と言っている。

 『今に、見てやがれ・・・。』

 もう少し、「委員会」での仕事を覚えたら、信二には消えてもらうつもりだった。理由は何とでも付けられる。このところ、瑛吉はその時のことをあれこれと想像しながら、溜飲を下げているのだ。存分に痛めつけ、心も体も折ってやるつもりだ。それに、あの目だけは、必ず自分の手で抉り出してやる。誰もいない部屋で、瑛吉はククッと笑った。


 信二は班長部屋を出ると、階段を降りて作業部屋へと入った。部屋にいた若い手下3人に、それぞれ命令を出して外に出すと、自分の席に着いてタバコに火を点けた。

 「気に食わねぇ・・・。一体、何を考えてやがる・・・。」

 そう、声に出して呟いた。組合から、正式には、「年寄」の一人からこの話を聞いた時から、ずっとそう思っている。長い事「委員会」で仕事をしているが、こんなことは後にも先にも聞いたことがない。いくら有能な「お頭」で、抜群の成績を誇っていようが、いきなり「委員会」の、それも、「作業班班長」に抜擢されるなど、有り得ないし、あってはならないことだ、と信二は思っている。

 『しかも、選りにも選って、一番なっちゃいけねぇタイプの人間と来てる・・・。』

 さすがに、ここは声にはしなかった。だが、その思いは日に日に強くなる。『明神の瑛吉』は、典型的な権力に酔うタイプだ。今も、激しく酔っている最中だろう。普段から、何をしても結果を出せば許されると考えているような人間に、何をしても許されるような権限を与えてしまった。これからどうなることか。それを考えると、信二は恐ろしくなった。

 今の話でもそうだ。「上椙千英を手に入れたい」と言うのは、組合にも委員会にも何も関係のない、個人の欲求だ。しかも、飛び切り下衆な。それを、まるで「それこそが委員会の務め」とでも言わんばかりの勢いで命令を出してくる。ことの善悪が、まったく頭の中にない。だが、命令は命令だ。今の信二の立場なら、従うしかない。

 さらに恐ろしいのは、それを、瑛吉を推した年寄も、否定しないどころか支持しているようなフシがあることだった。一体、何がどうなっているのか、さっぱりだった。とにかく、組合の中でおかしな動きが起こっているのだけは間違いがない。

 信二は、深く長い溜息を吐いた。

 どうにも、気が乗らない。だが、仕事は仕事だ。「笹鳴」には気の毒だが、今はやるしかない。それに、もしかしたら、信二などは考えもつかないような何かが、笹鳴にあるのかも知れなかった。だから年寄も、瑛吉に全てを任せている、ということもあり得る。もしそうなら、命令に従わなかった場合はとんでもない落ち度になる。それこそ、命が危ないレベルで。

 信二はもう一度溜息を吐くと、タバコを消して立ち上がった。


「オツトメしましょ!」⑱
了。


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