ある日、私は“障害者”になった。~その2
〜〜続き〜〜
そして、日付が変わった11日の未明から入院生活が始まった。
中長期の入院を経験された方ならより良く理解出来るかと思うが、“やることがない”ことが何よりも辛いことであった。当時の私は心不全状態がまあまあ悪く自力で歩くことは禁止。なので車椅子に乗っていたが、看護師さんは常に忙しそうで中々介助をお願いすることが出来なかった。
加えてコロナウィルス蔓延に伴って病棟はロックダウン状態だったこともあり、外部との接触による感染拡大も懸念して病棟(9階)からコンビニ(1階)へすら行けなかったことも大変辛かったのをよく覚えている。家族との接触も禁止だったため、本の差し入れ等も禁止だったこともあって本当に「やることが無かった」。
その後、10月に差し掛かるあたりで生検(カテーテルを手首から入れ、心臓の筋肉をほんの少し切り取り、それを顕微鏡等で観察し確定診断を下す)を受け、『特発性拡張型心筋症』という告知があった。発症機序・原因は不明で、根治療法は脳死状態の他人から心臓を貰うという「心臓移植」しかないという難病である。
最近では各種利尿剤や抗不整脈剤によって余命が伸びているが、Google検索すると出てくるのは『予後:極めて不良 生存率:発症からほぼ5年以内に死亡が多い(50%)』という疫学的な衝撃的データ。
私個人の場合、発病までほぼ無症状だったこと、その割には予後不良かつ致命的な病気ということで「ショック」を超えて「呆然と立ち尽くして」しまった。
〜〜続く〜〜
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