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婆ちゃんの味 スンシーイリチー

 うちの母方の婆ちゃんはこの料理をよく作っていた。婆ちゃんが台所に座って何か作業していた翌日は決まってこの料理が登場してみんなが笑顔だったのを覚えている。
今は歳を理由になかなか作ってくれないが、子や孫の全員が「婆ちゃんの料理といえば?」で答えるのがこのスンシーイリチー。
しかし「くっさい!」とうちの息子はこの美味しい美味しい料理を臭いだけで判断し、食べてくれない。筍を塩漬けにしているとはいえ、筍の独特の発酵臭は鼻の奥を刺激する。婆ちゃんはこのスンシーを何日も前から毎晩水替えしながら丁寧に仕込んでいたのだろう。他の方が作られたものよりも匂いがお淑やかだったのを覚えている。貴婦人そのものだったような。
僕が店を出すときにはこのスンシーイリチーはメニューとして取り入れると決めていた。始めは婆ちゃんから作り方を習いはしたが、何度も作るうちに少しずつ業務的になっていき、キクラゲを入れるなどの改良を加えた為、婆ちゃんのスンシーとは少し違うやふぁやふぁのスンシーに仕上げている。さらに真空調理も加えているので、レトルト販売までできるようになった。婆ちゃんの味を商品として変えれたので仕事として恩恵を受けている。島の常連さんにこのスンシーイリチーのリピーターは多い。

スンシーの歴史

沖縄の食文化の歴史年表を見てみると、琉球王朝時代に中国から那覇市久米村に移り住んだ『ビン人三十三姓』が持ち込んだものだとの記載がある。
スンシーとの呼び名は『筍絲(スンスウ)』がスンシーに変化したものと考えられる。

沖縄本島では那覇の公設市場や名護の商店街の惣菜屋さんなどで販売されているのを見たことがある。僕はこのスンシーが八重山独自の食べ物だと思っていたので沖縄本島で出会った時にビックリした事を覚えている。


八重山でのスンシーイリチーとは

沖縄本島が中国由来だとしたら八重山にはどうやって伝わってきたのか。
八重山へのスンシーイリチーの伝来は中国からではなく台湾からによるものだと歴史を紐解けば明確に分かる。

昭和8年、台湾からの移民の方達が石垣島の中部にある名蔵という部落に移住してきた。その方達によって石垣島に伝えられたものの中に今の石垣島の基幹作物のパインがあり、酸性土壌の名蔵はパイン栽培によって栄えていった。
この台湾移民の方達は家族単位ではなく、親戚一門で自給自足の生活を営み、余った野菜を石垣中央公設市場で売って歩いた。
そこから通称『台湾屋』と呼ばれる台湾からの食材や洋服などを売る店ができ、その周りに台湾移民の方達が何件か中華料理屋を出した為、その通りは『台湾通り』と呼ばれるほどになった。今でも石垣島の野菜屋さんと中華料理屋さんはこの台湾移民の子孫の方達がほとんどである。

僕自身も幼少期はこの周辺で育ったので分かっていたつもりでいたが、『台湾屋』という名前は島の人たちが呼ぶ名称で実際には店の名前は無いとの事。
店主の砂川さんは常に何か作業していて、この時には籠いっぱいのニンニクを1人で剥いていた。「もう30年なるよー」という笑顔が可愛かった。
名蔵部落には台湾と同じような竹が自生しており、台湾移民の方達にとってそれを調理して食することはごく自然のことで、それを公設市場において販売すること、中華料理屋さんで提供することで 段々とこの島に根付いていったのではないかと考えられる。

婆ちゃんの得意料理

ではどういったタイミングでこの料理を食べるのか。
イメージとしては先祖を祀る行事の度に食べていたような気もするが、運動会の重箱の中にも入っていたしで頻度は高めだったような気がする。
母や叔母はこう言っていた。「爺ちゃんが好きだったからよく作っていたんだよ」と。
果たして本当だろうか。爺ちゃんの好物だったからという理由は正解だとして、行事食としての役割があるのかどうか。

キンザルと言われる祭りごとの供え料理にも見当たらないし、法事などに出される霊具盆(リョングボン)にも記載はない。
でも十六日祭や旧盆にも出されるし、みんなが集まる場所にスンシーあり!だしな。

ここからは完全に僕の持論であるが
①スンシーを仕込む(前日にみんなで集まってワイワイ作業する。繊維に沿って手で割く)
②大きく炊いて味を含ませると美味しい。
③供物としてではなく、家族親戚が集まる際のメニューとして定着(他には大根イリチーや昆布イリチーなど)

供物には決まり事があるが、スンシーイリチーには決まり事はない。
旧盆の三食三晩のメニューの順番にはある程度決まりがあるが、スンシーイリチーはそのなんでも良いという隙間を埋めてくれる最高のメニューではないだろうか。

僕の年代やそれより下の世代にはスンシーの知名度は格段と落ちる。やはり家庭環境なのだろう。僕のように婆ちゃんの味としてしっかり頭に刻まれていて、母や叔母が今も作ってくれているという環境は恵まれているのではないか。

婆ちゃんも爺ちゃんが美味しい美味しいと言って食べてくれたので作りがいがあったのだろう。考えるだけで嬉しいね婆ちゃん。

今回の記事はここまで
次回は①スンシーイリチーの仕込み方から家庭での簡単な作り方まで。
そして②これからの継承についてを考える
の二本立てでお届けします。

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