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尾久キリスト教会🛕高橋武夫先生による最後の説教




一昨日は尾久キリスト教会の高橋武夫先生による最後の説教の日だった。そもそも高橋武夫先生は80歳を過ぎていて定年を超えていたが、夫人が牧師資格を持たれていたので、夫人が主任牧師という形で任期を延長してもらっていた。しかしこの度は夫人も定年ということで、ご夫妻で引退ということになった。このことを知った時に急に嗚咽が込み上げてきて顔を伏せて泣いてしまった。ある教会の方から「もっとクールな人かと思っていた」と言われたが、そんなことはないのである。牧師先生の説教は天下一品だったし、仕事の悩みを相談に行ったこともある。しかしもう耳があまり聞こえないということだったので、しかたがないのだろう。しばらく日高橋武夫ロスになりそう。

 以下は高橋武夫先生のラストメッセージ。この日の題材は「ローマ人への手紙」第8章26〜30節。題して「万事が益となる」。

 尾久キリスト教会には9年在任した。前任の川越教会で、次の任地への選択肢が教団から三つ提示された。一つは川越教会で最後まで務めること。もう一つは神奈川県の教会。三つ目が尾久だった。川越教会では聖堂の大規模な改修も成し遂げ、思い残すところはなかった。そんな中で尾久は自分の生まれ育った浅草に近かったということに興味を惹かれた。父親は紙芝居屋で雨の日が続くと、商売上がったりだった。しかし江戸っ子気質で、いつも「なんとかなる」と言っていた。自分もそんな父親の気性を受け継いで、思いつきで生きていた。例えば、岡山県県北部の柵原教会に在任していた頃、妻が鬼界ヶ島出身なので「海が見たい」と言うと、日本海も瀬戸内海もどちらも遠かった。瀬戸内海側の日生町に車で出たら、島巡りの船がいたので乗り込んだ。時期的に潮干狩りのシーズンだったので、大多府島で大量の浅蜊を収穫。神の計画は人には知らされない。だから1分先には何が起こるかわからない。しかしどんなに艱難辛苦があったとしても、結果的には神さまは先を見通している。

 第28節「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」は3つのパートに分かれている。1️⃣一つは神に計画があるということ。漁師シモンはキリストにペテロ(岩)という名称を与えられた。これは彼の体格的特徴だけでなく、彼の先の先を見た命名。2️⃣第二に全てが益になるという点。パウロは、教会活動を始めたローマの人々の面倒を見るように神に命じられていた。しかし遠く離れたイスラエルの地で何もできなかった。しかしもともとが律法学者でキリスト教を迫害する立場だったパウロが、キリスト教の伝道に勤しんでいることをユダヤ教徒たちは怒っていた。パウロを捕縛してローマ帝国に訴えた。しかしパウロは市民権があるので、カエサルに上訴する権利があった。その結果、パウロはローマに移送されて、ローマ人のキリスト教徒たちと交流を持てた。3️⃣3つ目は、知っているという部分である。これは知識として持っているという意味ではなく、経験しているというニュアンスを含んでいる。聖書も読んで知っているだけではなく、書かれたみことばに人生を賭けてみる必要がある。明日のことは思い煩うな。われわれには神さまがいる。だからなんとかなるよ。そして神さまのように先を見て欲しい。尾久キリスト教会にもそれを望みます。

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