見出し画像

B29搭乗者西部軍事件の油山観音慰霊祭その後

福岡市の油山観音での西部軍捕虜処刑事件の犠牲者慰霊祭のその後。自分にとって、戦犯であった亡父のかわりに、処刑された捕虜たちを弔ったということは、やり残したことに一つ形ができたような思いだった。帰京してから亡父の墓前にも報告。生前の父からは上官に処刑を強制された辛さ、逃亡中の潜伏先での並々ならない苦労、郷里の家族への官憲の弾圧への恨みなどを聞いた。しかし処刑された捕虜に対する憐憫や謝罪の言葉は、あまり記憶にない。捕虜たちはB29に乗った最前線の兵士たちなので、まだ若い青年たちであったことは伝え聞いた。みな恐怖に震えて命乞いしていたと言う。それでも面識のない外国人への処刑、それも上司に指名されての無理矢理の実行は、処刑した当人にはあまり実感のない行為だったのかもしれない。
 慰霊祭で出会った人々との交流ができた。これは帰京した私が関係者に御礼でお菓子を送ったことからだった。アメリカ領事館の主席領事のジョン・テイラー氏からお礼の手紙を日米両語で頂いた。氏は日本人妻を娶り、日本語ペラペラである。通りいっぱんの謝辞だけではなく、慰霊祭で私がした来賓挨拶の内容に関する感想も綴られていた。そこには処刑に携わった父の苦労への労りのことばもあった。そして慰霊祭の主宰者である深尾裕之氏からは、遺族が送ってきたメールや書簡を読ませて頂いた。犠牲者にも家族がいた。残された母親や妻子たちの嘆きや絶望は時を経た今も変わることはない。その痛切な内容に心を打たれた。この他に深尾氏は、米国遺族の事件記録を翻訳出版したり、油山での慰霊祭後に八女でのB29墜落の慰霊祭も実施されたそうだ。去年から渋谷でも慰霊祭の取り組みを手がけており、こんななんの得にもならないというか出費だけが大きい奉仕を続けていることに感銘。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?