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シブ5時相撲部番外編「定年を迎える高砂親方」

先週に放送されたNHK「シブ5時」の「相撲部番外編」は元大関・朝潮の高砂親方の定年を報じた。番外編なので能町みね子部長の登場はなく、阿部渉アナによる進行。力士の引退が大きく取り上げられることは多いが、親方の定年がマスコミに取り沙汰されることは珍しい。大きな身体と明るくユーモアのある愛嬌で朝潮は「大ちゃん」の愛称で大人気だった。「大ちゃんフィーバー」と呼ばれたブームに比肩するのは「若貴フィーバー」くらいしかないだろう。『自分で言うなよ』とも思ったが、親方本人が「炎鵬よ遠藤よりずっと人気があった」と証言。特筆すべきは横綱・北の湖に対戦成績で13勝7敗と勝ち越していたこと。大関を期待されながら、3回の優勝決定戦にも敗れ、かつ翌場所が不振で、なかなか大関に昇進できなかった。大関昇進後は、1985年春場所に若嶋津を破って初優勝。その後はクンロク大関と呼ばれる不振が続き横綱には届かなかった。
 引退後は年寄・高砂を襲名し、名門の高砂部屋を継いだ。自らは竹刀で叩かれて鍛えられたが、自身は弟子との対話をモットーとした。その甲斐あって、9人の関取を育てた。その中で親方自身が果たせなかった横綱の夢を、朝青龍が第68代横綱として果たした。しかしこれが高砂親方の苦難の始まりとなる。運動神経抜群だが、良く言えば天衣無縫、悪く言えば傍若無人な態度で各界のみならず、世間を騒がせた。トラブルが起こる度に、高砂親方が協会に呼び出されて注意を受け、その都度親方が謝って回るということの繰り返しだった。世間では「横綱になれなかった親方には、横綱は叱れない」という揶揄もあった。そんな苦悶の中でも、親方は女将さんに一切の愚痴はこぼさなかったそうだ。我慢強い親方の一面である。それでも夜中に寝言でうなされていたと言う。そんな親方の苦労も定年の年に、朝乃山が大関となって報われた。定年後も協会に雇用延長で残るそうなので、今度は枕を高くして眠って頂きたい。

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