使徒行伝第2章14〜18節「若者は幻を見、老人は夢を見る」
5月19日における尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教。この日の題材は使徒行伝第2章14〜18節「若者は幻を見、老人は夢を見る」。
今年のペンテコステは5月19日。クリスマスには「メリークリスマス」、イースターには「ハッピーイースター」とあるが、ペンテコステにはそのような挨拶はない。しかしペンテコステは教会の始まった日であるからして、教会の誕生日。だから「ハッピーバースデー」とでも言うべきか。
幼い頃のわが家は、いつも欲しいおもちゃを買ってくれる両 親ではなかった。しかし誕生日やクリスマスには、欲しい玩具を買ってくれた。事前にリクエストを聞いてくれた。ある時は自転車🚲であったり、釣り竿🎣であったりした。このことで「約束すれば、願いはかなう」と思うようになった。イエスが昇天した際の約束は、聖霊の降臨だった。
使徒行伝第2章は、聖霊降臨を描いている。五旬祭はエルサレムのお祭りだが、その日に突風が吹き、会衆が突然各国のことばで話し始めた。これを酔っ払いの戯言と評する人もいたが、ペテロはこれを「ヨエルの預言である」と語りかけた。これは旧約聖書のヨエル書第3章1〜5節の引用であった。精霊の降誕を以って「終わりの始まり」となった。とは言え既に2,000年以上が経っているが、ペテロに言わせれば、神にとって一日は千年であり、千年は一日である。以降、若者であれ、娘であれ、老人であれ、奴隷であれ、全ての人に等しく聖霊が与えられた。信仰のことば、聖書、祈りで人は慰められる。私自身も不眠に悩まされた時期があったが、翌日に会った友人の祈りで心がホッとして「愛されているのだな」と安眠できた。「若者は幻を見る」とは、若者がヴィジョン=将来への希望をもつということ。クラーク博士🎓は「Boys,be,ambitious 」と言ったが、実際には「in Christ」と続けていた。「老人は夢を見る」とは、年をとっても辛いことだけでなく、将来に対する希望があるということ。死を乗り越えた永遠の命という復活がそれを意味する。「ピリピ人への手紙」第2章14節には「(それを)疑うな」とある。
日野原重明先生は102歳にして「日が沈む頃、夕焼けがある。僕にはまだ夢がある。夢があれば人は強くなる。そしてたとえ夢の実現を前に倒れても、次の世代にバトンを渡せばいい」と語った。尾久キリスト教会にも104歳の教会員がいる。先日にご自宅を訪問したら、大いに喜んで歓待してもらえた。神に恵まれて感謝の日々とのこと。それが彼女の長生きの秘訣だろう。聖霊は全ての人に与えられている。求めれば与えられる。探せば見つかる。扉を叩けば、開かれる。
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