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従兄の多福寺住職が出版に打って出る

従兄は福岡県柳川市で真宗大谷派(東本願寺)住職を務めている。私の最も親しい従兄弟であるが、ユニークかつアグレッシブな僧侶人生を送っている。若い頃は積極的に社会的運動に関心を持ち、現在でも多くの法話の会を持ち、境内にカフェとギャラリーを併設もしている。そんな従兄から送られてきた2冊の本。読んでみたら、なかなか人生の含蓄深い内容だった。講話を本にするという試みも、目で見て聴いてというのとは違った、じっくりと味わう良さがある。尚、書籍を購入ご希望の場合は、下記URL「お問い合わせ」コーナーに記載された電話番号またはお問い合わせメールフォームにお問い合わせ下さい。頒価は冥加金@500。
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 今年コロナ禍で門徒が法要に集まることが出来なくなって、オンライン講話などの対応を多福寺でも試みていた。更に新しい試みとして、講話に来てくれた講師の話を本にした。すっかり忘れていたのだが、以前に従兄に多大な経費をかけずに本を作る相談を受けていた。商業出版ではない場合には、あまり大きな部数を刷ると在庫の山になるので、デジタル印刷所を勧めた。元職場のライバル企業であったデジタルパブリッシングサービスを紹介(元職場はデジタル印刷企業から撤退したので業務に引き継ぎして仲良くなった)。だいたい500〜700部を超えると、オフセット印刷よりも、製版費用のかからないデジタル印刷の方が費用が抑えられる。ちなみに住職の奥さまによる手描きの装画。
 前置きはさておき、2冊の本の1冊目は竹内寛嗣「いのちの願い」。もう1冊は栖雲深泥「ただいま人間仮免許練習中!」。
 竹内寛嗣氏は三重県の道浄寺に僧籍を持つが、本職は大阪市の生活保護の窓口。そこで起こる軋轢を自戒を込めて語る。大阪市は生活保護者の数の多さでもニュースになったことがあるので、そのご苦労は並大抵のことではない。正信偈にある「無明長夜の灯炬なり」以下、暗闇からの救いを親鸞聖人の和讃で語る。未来に対する思いは、仏教でも「自由・平等・平和」。例えば地球温暖化。これを三つの態度で接する人がいる。自分さえ良ければいい、次の世代に申し訳ない、どっちでもいいや。「命の重さって何?」の章では、相模原市「津久井やまゆり園」で起こった連続殺傷事件の「優性思想」が、自分自身も含めて普遍的に存在する指摘。人は「翻す」ことで「惑」「業」「苦」の循環型社会から抜けられる。
 「ただいま人間仮免許練習中!」の栖雲深泥氏は、真宗寺院に入った後で、大谷大学の野球部監督、中学高校の教師、そして民間企業の管理職を経て、滋賀県の東光寺住職となり樹洩陽舎を開く。冒頭は親鸞聖人の誕生日である報恩講ということで「誕」という字について、誕生日はこれまで過ごしてきた生き方を正す意味があると。生い立ちのお話では、自身は出来の良い兄弟の中で落ちこぼれてグレて鼻つまみな存在と語る。人生の転機は、宮城先生との出会い。親鸞聖人の教えで、自己嫌悪の三悪道から目覚めさせてもらった。表題の「人間仮免許中」という言葉は、仮免許中に公道に出て運転できるには、本当の免許を持った人が横についていること。だから「君の周りによきひとがいないんじゃない、君に見る目が無いんだよ」。講話で紹介される話は、ご自身の体験も、教え子たちとの関係も、強烈でストレート。冒頭で紹介された欠点をズバズバ指摘されて「嫌な授業」と生徒が評するのもわかる迫力。しかし、そんな峻烈な生き方をした故に「本当に悲しい目に遭った人は優しい」と言い、自分が補完されていることを自覚して「世の中に間に合わん人間になれ」と言えるし、だからこそ周囲のオジジオババに「得度の人あり」という境地に至れたのだろう。

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