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「第一テサロニアの手紙」第2章13〜16節「神の言葉として聞く」

 2月5日の尾久キリスト教会の高橋武夫先生の説教。テーマは「第一テサロニアの手紙」第2章13〜16節「神の言葉として聞く」。

 聖書がバイブルと呼ばれていることは誰もが知っている。しかしその語源について知る人は少ない。フェニキアにはビブロスという地方があった。今のレバノンのジュバアルに当たる。ここは原材料がツリガネ草の一種なパピルスの産地であった。書物はビブロスから取り寄せられたパピルスで作られた。ギリシャ語で本は「ビブロン」で、これはビブロスの複数形である。土地の名前が語源に転じた例。聖書は「聖なる本」という意味の「ビブリア」という言葉になった。似たような意味で「ヨハネの黙示録」の冒頭には七つの教会への手紙が出てくる。その三番目に「ペルガモ」という名前が出てくる。ここは羊皮紙の産地。「ペルガモン」は土地の名前が名産物の語源。パピルスは耐久性に欠けていたが、羊皮紙は耐久性があったので「死海写本」などが後世に残された。その後にパピルスも羊皮紙も紙に取って変わられた。

 「テセロニケ」の手紙は獄中のパウロが、異国の信徒に向けて宛てた手紙である。聖書とは、あくまでも人が書いた文章である。それを福音が書かれた文章として受け入れるかどうかは、教会が認めるかどうかに拠っている。神学者カール・バルトは「罪ある人間が、どうして神の言葉を語り得るのか?」と悩んだそうだ。パウロも「第二コリント人への手紙」では「誰がこの重荷に耐え得るか」と苦悩を綴っている。伝道には慄きが必要なのである。聴く側にも信仰が必要である。それでなければ牧師の話しも心には入ってこない。また牧師も気楽に冗談も言えはしない。

 パウロは獄中からピレモンに書簡を送った。それは脱走した奴隷オネシモと獄中で暮らして、彼が信仰に至ったことを伝えていた。いずれオネシモはピレモンのところに有益な人材として戻り、過去の罪を謝罪する。そしてオネシモが主人であるピレモンに与えた損害は、パウロ自身が弁済すると記されていた。信じられないことに、このパウロの私信が新約聖書「ピレモンへの手紙」として収録されている。その話しを聴いて、自分が教誨師を務めた川越少年刑務所の坊主頭の少年たちは、みな目を輝かせて涙した。牢屋で書いた手紙が聖書に載っていることに、自らの境遇を重ねて感動したのである。まさに「み言葉うち開ければ光を放ち、愚かなる魂を諭しからむ」である。

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