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春木伸哉「神を受けつぐ日本人」

春木伸哉「神を受けつぐ日本人」(徳間書店)。電子書籍版はこちら↓
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 阿蘇山に近い熊本県山都町にある幣立(へいたて)神宮。高天原すなわち高千穂の地・日の宮の筑紫の屋根に、天照大御神が幣を落とした場所。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が三種の神器を携えた、天孫降臨の地である。天照大御神(アマテラスオオミカミ)をはじめとして、神漏岐命・神漏美命(カムロギノミコト・カムロミノミコト)、大宇宙大和神(オオトノチノオオカミ)、天御中主大神(アメノミナカヌシオオカミ)など、天地開闢に係る神々を主祭神として祀り、15千年と言われる歴史を持ちながら、ほとんど知られていない。スピリチュアルな空気が漂うパワースポット。著者である春木伸哉氏は、幣立神社に婿入りして、神官から宮司への道を学び、歩んだ。その宮司である春木伸哉氏(83歳)が、神道と日本人の関係や在り方について語る。
 日本に古来から揺るぎなく流れていることが二つあり、一つは天皇の存在と、神社に象徴される神道の存在である。日本人が外国に行って恥ずかしく思うことに、軍国主義下の日本を否定したり、中韓からの文化に影響を受けていることを卑下する傾向が強いこと。これに対して外国は自国の誇るべき文化を、学校教育で教えている。神道は縄文時代から連綿と続く歴史を持つ。神武天皇が大和に橿原の宮を遷都して以来、その日を建国記念日とし、日の丸掲揚は日本人の心の源を象徴している。神社での祭礼は人々の生活安定と子孫繁栄を願う行い。縄文時代から続く神道は、人々の感謝の祈りの場だった。祭礼は直会や新嘗祭に発展し、幣立神社では旧暦11月18日に巻天神祭を執り行う。神道とは神と人と自然が一体となった営みなのである。天孫降臨した瓊瓊杵尊の子孫である天皇一統も、民を愛し慈しんで、長く民の尊敬を集めている。日本には聖徳太子の定めた十七条の憲法があり、教育勅語など、価値ある教えが多々ある。批判される戦前日本のアジア外交も、欧米列強によるアジア支配から脱却の意義もあった。日本の目指した国とは、ジャン・ジャック・ルソーが「社会契約論」で理想の国とした「君民一体」であり、人種差別からの解放である。わが国は歴史を取り戻して、誇り高く生きるべきである。
 日常的にキリスト教に接していることから、神道の教えとはいかなるものかと、神道入門的に読んでみた。第二次世界大戦の敗戦によって、日本の文化と価値観は一変した。それでも結果的に天皇制や元号が残ったことで、日本社会における神道の枠組みは残った。仏教やキリスト教と違って、教義がわれわれに説明されることは少ない。ともすれば寺社と呼ばれるほど、神社と寺院は日本人生活の中で区別がつかないほど一緒くたにされている。おそらく初詣における明治神宮への参拝と、成田山新勝寺への参詣は、訪れる人にとって地の利以外の価値観の違いはないだろう。本書にも述べられているように、世界中の多くの国は一神教であるが、神道は多神教である。そこが日本人の生活感に、建築の棟上式を神社の神官にお祓いしてもらい、お寺で葬儀したり斎場で僧侶に読経してもらったり、クリスマスを盛大に祝うような、世界に稀に見る、悪く言えばチャランポランさ、よく言えば多様性の包容力を与えているのだろう。戦前の八紘一宇への擁護については、日本会議的な右寄りであるという批判もあろうが、日本の所業はともかく置いておいて、欧米諸国がアジアを植民地として搾取したことは間違いない。本書が最も言いたかったことは「日本人は日本という国に誇りを持て」ということだろう。

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