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難しきなり、親子関係

同居している86歳になる母親が大病を患い、入院して手術した。自分はどちらかというと故人となった父親リスペクトが強く、母親には邪険な態度が多かった。母親はミス小倉だったくらい美貌で、小学校のPTA役員を務めたり社交的だった。逆に子供の頃の自分には「おまえの母ちゃん化粧してまた来たぞ」とか同級生に言われて、そういうところが疎ましかった。結局ずっと大人になってからも反抗的な態度を続けていた。とにかく才気走って口の達者な母に何を言われても気に食わない。亡父からは「もうちょっと母に優しくしてやれよ」と嗜められたくらいだった。だから結婚して同居してからも、母親と自分とを繋ぐのはもっぱら連れ合いで、連れ合いは間に入ってずっと苦労してきていた。他人には見せない自分の決定的な欠点である。
 そんな自分でも母親の大病を知って焦った。健康診断も受けないし、身体の不調を隠すという、病院を嫌がる老人にありがちな態度だった。自業自得と言えなくもないが、それでも残された肉親だから何かしてやりたいと思った。コロナ禍の入院は面会や見舞いも禁じられているので、初めてLINEでメッセージを送って励ましたりもした。LINEを送ると絵文字で返してきたりして『母親だって女性なのだな』と思った。幸いにして、すぐそばの大学病院に同級生が副院長として勤めていたので、母親のことを頼んだ。彼女のおかげで、検査や入院や手術がとんとん拍子で進んだ。入院中も家族のかわりに見舞ってくれたり手厚くケアしてもらえた。友人に持つとありがたいのは医師と弁護士(と警察)だと聞くが、まさにそれを実感した1ヶ月だった。無事に退院してマンションのベランダから外を眺める母は、生還の奇跡を実感しているようだった。今後の母親がどのくらいの余生を送ることができるかは神のみぞ知ることだが、亡父に言われたことを、遅まきながらもできればいいなと思う今日この頃である。

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