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妊娠9ヶ月、不安しかない


結婚してすぐに妊活を始めたけど・・・

結婚2年目、私の脱サラ+大学院進学と同時に妊活を開始した。
当時、私は31歳。自分の中で40までと決めていたのだが、
できれば学生のうちに妊娠・出産を終えたかったので遅くとも4年以内に、と思っていた。

妊活、まずは検査から。
夫は過去の手術の影響があることを認識しており、
世の中でよく聞く、妊活に非協力的な夫ではなかった。
とはいってもコンスタントに病院に行くまではなかなか時間がかかったし、
タイムリミットに対する認識も私とはずれがあった。
私側も全て検査を終えるのに2ヶ月かかった。
生理周期を元に何度も血液検査をし、卵管造影検査を受けた。
結果、私側は何の問題もなく、夫側の投薬治療が始まった。

投薬治療と同時にタイミング法を行っていたが、問題が一つあった。
生活時間のずれだ。
当時、私は朝学校に行き夜帰宅。夫は昼過ぎに起きて出勤、明け方に帰宅。
朝しかチャンスがない。
結果として、朝っぱらから何のムードもない状態で、もはや作業だった。
そんな状態で夫婦仲が良くなるはずもなく、
結果、毎月トイレでため息をつき、夫に淡々と報告する日々を過ごした。

コロナで妊活をストップ、単身赴任へ

そうこうしているうちにコロナがやってきた。
立ち会い出産どころか、産後退院まで我が子に会えないなんて耐えられないと夫が言い出した。
私にとって子どもを産む動機は「夫のために私ができる最大のことだから」。
そんな私にとって、夫が望んでいないタイミングでの出産なんてナンセンスだった。
一旦状況が収束するまでは妊活をやめよう、という話に落ち着き、
夫の投薬治療もストップした。

それから2年後、私に東京での仕事の話が来た。
大阪と東京の単身赴任生活になる。
1年と自分で期限を決めたものの、当時35歳。
妊娠適齢期を過ぎようとしているタイミングでの1年は大きい。
世の中もだいぶ落ち着き出していて、そろそろ再開しようかという時だった。
だけど、来たチャンスは受けたい。
夫に相談したところ、「結婚していることを言い訳に断るなら離婚する?」と言われた。足枷に感じるなら、と。
そこまで言われたら行くか。もし断って子どもができなかったら後悔しか残らない。
思い切って決断した。

単身赴任中、なぜ東京にもっと残らないのかと散々言われたが、
「妊活があるので大阪に帰るんです」と説明し続けた。
同時に、特に男性陣の妊娠のタイムリミットに対する認識が甘く、
世の中の分断をありありと感じた。
年齢とともに低下する妊娠率については保健体育に入れた方が良い。
やればすぐできると思っていたり、40歳すぎで妊娠する人もいるから大丈夫などと少数派を例に挙げられたりした。
悲しかったのは女性からも理解が得られにくかったことだ。
こうやって妊活している人は孤立していくのか、と寂しくなった。

単身赴任終了、妊活開始か?と思っていたら・・・

そして1年経って帰阪。
同時に妊活を再開する気満々だった私。
二週間後にはクリニックの診察を受けた。
相変わらず私は異常なし。
夫は2度検査をして、前回の投薬治療の効果が消えてしまったと言われた。
なかなか病院の予約をしない夫にイライラし続けていた矢先、
まさかの妊娠が発覚する。

7月のとある日の朝、何だか体調が悪かった。
直前に仕事と遊びすぎでバタバタしていたからなのか、
食あたりか・・・
色々心当たりはあったのだが、既婚女性という立場上、
病院に行くと妊娠の可能性を記入する欄が問診票にあるので
念のため検査しておくか、と、
まとめ買いしてしまったが故に
もはや落ち込むための道具と化していた妊娠検査薬を引っ張り出した。

結果、陽性。
呆然として、こういう時どうするんだっけ、
とりあえず病院に行く?
あ、夫に報告か。電話か?LINEか?
どうしたらいいかわからずトイレからも立ち上がれず。
頭が真っ白だった。
夫に電話。「妊娠してるっぽい」
夫はその日一日、仕事に集中できなかったそうだ。

私はすぐにクリニックに行き、胎嚢を確認した。
先生に「良かったですね、たまにこうやって治療途中で無理だろうって思ってる時に授かるんですよね」と言われたが、
半分は皮肉にしか聞こえなかった。
医療の力が及ばない、ごくごく少ない確率で起きる出来事に、
やるせない気持ちになったりするんだろうか。

そこから、心拍が確認できるまで2週間かかった。
不安とつわりが襲ってきた。
流産しないだろうか。つわりはどうしたらいいんだろう。
受けてしまった仕事は?報告は誰にいつ?
この動きはやって大丈夫?これは異常?病院はどこにする?
この頃、検索魔になる妊婦が多いのも納得する。
何せ、「人それぞれですからね」しか言われないのだ。

妊婦ってこんなに孤独なんだと実感

行政や医療へのアクセスはすべて自分にかかってくる。
母子手帳は市役所でもらうと思って行ったら違って驚いたり、
自動で案内する仕組みが出来上がっておらず全部こちら任せ。
そのくせ、根掘り葉掘り、何度も聞かれる。
配偶者との関係、自分の親や義理の親との関係。
相談できる人はいるか。
不安があると書いたらそれについてまた聞かれる。
そして正直に説明すると、「あぁその程度の不安ね」という感じの反応をされる。
私が抱える不安なんて、虐待やDVを受けている人から比べれば大したことないのはわかるが、不安なものは不安なのだ。
そして残念なことに、そこに夫の同席は必須ではなく、
女性側が勝手に進める構造になっているのだ。
それゆえ、夫と相談するにしても自分から言い出さないといけない。
行政が父になる人を強制的に呼び出して教育してほしいと切に願う。

夫はとても喜んで、今か今かと楽しみにしてくれている。
育休も進んで取る。というかむしろ自分が子育てをすることにワクワクしている。
これはほんとうにありがたい。
一方の私は、妊娠発覚当初から9ヶ月の現在まで、95%が不安である。
何せ、「母になりたい」などと思ったことは一度もないからだ。
心理学の応用学問が専門であり、職業柄たくさんの人に会うので、
良い例も悪い例も散々見まくっている。
「こういう親にはなりたくない」というぼんやりしたイメージがある。
元々心配性であることも相まって、調べまくってしまう。
当然、育児にしっかり関わろうとする夫にも共有しなければならないことが山ほどある。
夫に理解してもらうのも一苦労だ。

周りの反応とのギャップが辛い

私はこうだったから、あの人はこうだから、子どもは勝手に育つから、と、たくさんの「大丈夫だよ」をいただく。
とてもありがたいのだが、それで不安が解消されるわけではない。
こうした方がいい、ああした方がいいというアドバイスもたくさん来る。
聞いている場合はまだともかく、理論的背景に基づいていないn=1の例を挙げられても私には響かない。
科学的根拠を持って説明している子育て本の何と少ないことか。
国や文化の影響を強く受けているが故の、
これが普通、これが当たり前だよ、という暴力。
産まれてみないとわからないと言われる一方で、やっておいた方がいいことが多すぎる。
久しぶりに「聞いてもないアドバイス」の連続を喰らい疲弊する毎日。
結婚する時と脱サラする時に散々喰らって耐性ができていると思ったが、
全然そんなことはなかった。

私は自分の親とは色々あって疎遠だが、それについてもほじくり返される。
ただでさえ、自分がそんな傷を負っている状態で子育てなんかできるのかと不安なのに、なぜこのタイミングで傷をえぐってくるのか。
幸いなことに、夫側の親族が近くにいてくれて、みんな子どもが生まれてくることを歓迎してくれている、かつ、何でも手伝うという状況。非常に恵まれていると思う。
それだけで十分ではないか。
そう説明してもなお、まだ食らいついてくる人もいる。不思議な世の中だ。

楽しみと思えない自分に自己嫌悪

一番強烈なのは「楽しみだね」の一言に私が全く共感できないということだ。全然楽しみに思えない。
日に日に不安が募っている。自分に子育てなんてできるのだろうか。
正解不正解なんてない、無償の愛こそ重要である。
自由奔放に生きてきた自分は、余裕がなくなることに耐えられるのか。
その上で無償の愛をかけるなんて聖母のようなこと、私にできるのか。
自分より優先順位が高い存在ができることを受け入れられるのだろうか。
産まなければよかったと思う日は来ないだろうか。
あれをやっておけばよかった、と、すべてにおいて思わないだろうか。
そんなことばっかり考えて、楽しみに思えない私はすでに母親失格なのではないかと思う日もある。
きっとホルモンバランスのせいもあるのだろうが、
この不安は子を守るための女としての本能がゆえなのだと信じている。

育児本を読み漁り、SNSを巡り、毎日検索しまくる私に夫が一言。
「よく知ってんなぁ」
いや、調べとんねん。あんたも調べんかい。

一方で、夫の「なるようになるさ」が羨ましい。
夫のように自己肯定感が高く、新しい世界に臆せず飛び込める人になってほしい。
でも、本を読んだり芸術に触れたり、答えのない問いを永遠に議論したりする私の特徴もちょっとは受け継いでほしい。

子どもが一歳になる頃には、多少「なるようになるさ」に傾いていることを祈るばかりだ。

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