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こうなったら優しいね、という独り言。

先日、人混みに行った。いわゆるイベント事だったので、整列や入場といったことがある。私にはもうすぐ15年を迎える同性のパートナーがいる。(ここではモクちゃんと呼ぶことにする。)モクちゃんと手を繋いで逸れないように、人混みをぬって歩いた。入場待機列は思った以上に混んでいて、みんな必死に行きたい道に向かってぶつかっていた。
私はモクちゃんと逸れるのがとりあえず怖かった。一人じゃ何もできないし、人混みはただでさえ怖い。それでもモクちゃんと一緒に楽しもうと思って精一杯歩いた。
待機列の人混みで私たちの間を通りたかった女の子たちが居た。

「なんで手ぇ繋いでんの〜〜?」

少しのため息と一緒にその声は私の耳にしっかり届いた。悪気はなかったかもしれない。でも一瞬で怖くなった。「障害者だからだよ、」と伝えたかった。でも私はその子の顔を見ることすらできなかったから、声もかけられない。同じ列に並んでいるのかもと思ったら、怖くてじっとしていられなくなって、気づいた時には過呼吸になっていた。
モクちゃんはそれに気づいて傍に寄ってくれた。涙が止まらなかった。パニックになっている時、顔を見られるのが嫌いな私を、モクちゃんは上着でしっかり隠してくれた。

障害者だから娯楽はダメだとか、そんなことは微塵も思わない。みんな平等であるべきだと思う。でも何故か自分のことだけは許容できない。自分がダメだ、と思ってしまう。障害者だから?パニックになる可能性があるなら来なきゃよかったのでは?手を繋ぐのは迷惑になる。人様の迷惑になるところにわざわざ来なきゃよかった。家でじっとしていればよかった。
頭の中ではマイナスなことしか考えられなかった。

これは別件なのだけど、イベントや映画、観劇など、座席指定の娯楽に関して、障害者であることの提示をしたら端の席を優先的に使えるサービスが欲しい。割引よりも何よりも、端の席であることで呼吸ができる。介助者がいる場合、他のお客様との間に座ってもらうことで自分は他人との接点が限りなく少なくなる。それがいかに安心か。
隣の人が少し怖い、と思うだけで、娯楽なんて楽しめないのが正直なところなのだ。「このままでは過呼吸になってしまう」という強迫観念も少なくなるだろう。いざとなったらトイレに逃げるのも道が確保されているだけで安心材料だ。
身体障害者の方も、真ん中の席まで狭い席間通路を歩くのは相当大変だろうと思う。私自身、恥ずかしい話だけれど膝が強くなく、膝を曲げた状態での移動は堪える。
車椅子席はよく見かけるが、そこまでではないけど…という人は多いと思う。もう少し気楽に娯楽を楽しめたら嬉しいな。

やどり

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