運勝ちは嬉しく無いのに運負けは腹立たしい

例えばポケモンで2連急所みたいな豪運を引いて勝ちを拾っても、無効急所ならどうでもいいし、有効でも「本当は負けてた」と素直に喜べるわけでも無い。

一定以上実力が絡むゲームなら、運で勝っても勝ってるのはその瞬間だけで、運に関係なく再現性高く勝ち続けられるのが真の強者である。つまり運勝ちは所詮その時だけ負けが勝ちに化けただけで、真に勝ちとはいえない。それ故に喜べないのでは無いだろうか。流石に稀に見るような豪運だとか、順位(特に上位なら)が関われば嬉しいが。

なのにどんなゲームでも運が悪かった時だけ妙に苛立つし記憶に残る。人間は悪いことの方が記憶に残るとかいう話も聞いたことがある。90%を3連で外したり、1/24を2連続からの1/3だとか、そういうキモい負け方をした時には頭が爆発しそうになる。

私の様な凡人なら運負けする以前にプレイングが粗いなど、改善点はあるだろうが、それ故に強くなればなるほど運と向き合わなければならない気がする。例えばポケモンエンジョイ勢だった子供の頃はエアスラ3連怯みを引いて負けても、エアスラで怯む確率を知らないので「そういうもんなのかな」と勝手に納得し、リトライ時は偶然怯まなかった時に「かなしばり」でエアスラを封じて勝ち、戦略で勝った気になっていた記憶がある。

これは本来なら3割怯みのため、他の要因(麻痺や試行回数など)がなければある程度無視できる確率である。つまり対戦勢になればエアスラは2、3回食らわなければ怯まないものとしてプレイすることになる(低確率のリスクに怯えていては高確率で勝てる正解択を取れない)

しかし私のやっているポケモンというゲームは運要素無しでは成り立たないので(大きな改変で運要素を極力消すことは出来るが、完成されたシステムをここに来て変えるのも受け入れづらい面があるのでは)

運要素が嫌なら将棋でもやれという話である

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?