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平穏を求めすぎてはいけない

やる気を出したい。

なんとなくではあるが、そして漠然とではあるが、ここのところいつもそう思っている。

 

やる気が出ないと何か困ることがある、というわけではない。

やることが多すぎて時間に追いまくられている、というわけでもない。

実際にやる気がなくて無為な1日を過ごしている、というわけでもない。

生産的なことも少しはやっている(と、本人は思っている)。

 

何が問題なのかというと、以前よりも「やる気に満ちた日」が減ってきたことだ。

もう人生の4分の3を終えたから(平均寿命から計算するとそうなる)、それじゃあ仕方ないよ、と言われそうだが、私にとってやる気レベルの低下はちょっとした重大事なのである。

 

どうしたらいいかな、とひそかに心を痛めていたら、ある本に出遭った。

『モチベーション脳』大黒達也著。

ぱらりとめくったら、こんなフレーズが目に飛び込んできた。

 

――本来私たちの心身にはやる気などというものは存在しません。

 

ん? やる気は、存在しない?

代わり映えのしない日常でも、私の心情には変化がある。

あれをやりたい、これをやろうと、前向きな日もあるし、

もう無理だなぁ、年だから仕方がない、と後ろ向きになる日もある。

感覚的にはやる気に翻弄されている気がする……。

 

本を読んでみた。

著者は脳科学者だ(あやしげな本ではなさそうということ)。

やる気について、こう解説されている。

――やる気は出したいと思って出るものではない。

――やる気を意図的に引き出すことはできない。

――やる気がないという状況は、そう思っている人が作り出したある種の幻想である。

 

やる気は、勝手に起きる脳や体の反応だという。

 脳が何かを感知し、勝手にノリノリになって私をけしかけ、私は「やる気が出てきた」と感じる。

脳はときに疲れ、あるいは退屈して怠慢を決め込み、私は「やる気が出ない」と感じる。

まぁ、このようなメカニズムであるらしい。

なるほど。

  

昨今、脳科学が流行っている。

本屋にも図書館にもその手の本がたくさん並んでいる。

難しすぎて理解できないことも多いけれど、興味はそそられる。

私の頭の中はどうなっているんだろう、人はどうやって意思決定しているのだろう、という疑問に応えてくれそうだからである。

 

若いころに読んだ自己啓発本には、やる気は意思の問題みたいに書かれていた。適切な目標設定とか自己管理とか不断の努力とかでやる気は高まる、と。

あれって……まぁいい。

やる気は意識下(無意識の領域)で起きる反応だから、「さぁ、やる気を出すぞ!」と力んだところでさして意味はないらしい。だとしても、脳を動かしたり揺さぶったりすることはとても重要だという。

具体的には面白そうなものを発見し、時間を忘れてそこに没頭・集中することだ。

年齢を重ねると脳の感度は落ちるから、ノリノリにするのは難しいかもしれないが、軽くステップを踏ませるくらいはできるだろう(ぜひそうであってほしい)。

 

老いが遠いところにあったときは、老後に求めるものといえば平穏だった。

ここまで来たら考え直した方がいいかもしれない。

老後に必要なのは平穏より波乱である、とまではいわないが、平穏は求めすぎない方がいいみたいである。

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