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大学院進学は躁転の結果?

 ボクがTwitterを始めたきっかけは大学院修士課程の研究室生活にある。簡単にいってしまえば、修士論文の諸々がきつくて、過度なストレスが溜まったり、双極性障害の症状が悪化したりしたからだ。

 そんな過酷な修士課程へ進学したのは、躁転の結果かもしれないと考えている。今までの自分からすると考えられない行動だったからだ。

 大学院進学自体は物珍しいものではない。特に、ボクが大学で専攻していた理系の生命科学では、大学院に進学する学生が多く、大学時代にボクが所属していた研究室だけでも8人中7人が修士課程に進学していた。

 ただ、ボクのケースはちょっとだけ変わっている。理系を専攻しながらも、文系に進学したのだ。

 大学院での研究分野は社会科学の一分野で、ざっくりいえば医学研究の社会的影響などを研究していた。
 新しい分野に入り込もうと思うと、一から勉強し直さなければならない。これが結構大変で、初歩的な教科書から勉強を始め、研究といえるものまでに、二年間で仕上げなければならない(大体の修士課程は二年間)。(あまり理由にしたくないが)双極性障害のこともあり、ボクは間に合わなくて一年留年することになってしまった。
 また、分野にもよるが、理系に比べて、文系の大学院は就職に有利に働かない。それどころか学部卒より厳しくなることもある。もちろん、研究内容とか、個人の努力で希望の企業等に就職できるかは変わってくるので、あくまで一般論だが。

 勉強のきつさと就職の厳しさの両方で、それ相応の覚悟が必要となる。しかし、この両方をあまり深く考えずに、やりたいことだからやる、と転専攻することを決めてしまった。

 大事なことを勢いで決めてしまう人も世の中にはいる。しかし、普段は石橋を100回叩いてから渡るような性格のボクが、簡単に自分の進路を決めてしまうのは今思えばおかしい。おそらく、躁転していて、軽躁だったんじゃないかと思う。恐ろしい限りである。

 まだまだ軽躁は止まらない。病気で休学明けの病み上がりにも関わらず、卒業研究と大学院の受験勉強を並行してバリバリ進めていた。休学明けの体力のない時期に、同時並行して進めることができるなんて並大抵のことではない。軽躁の成せる業だ
 結果として東京大学の大学院に合格し、進学することとなった。

 軽躁は受験と共に終わりを告げた。夏に受験だったのだが、受験後は夏休みをもらえたので、うつはそこで消化できた……と記憶している。

 ボクにとって、無理矢理大学院受験を乗り切れたのは良かったことだった。ただ、覚悟を持たず進学した、という点では、ちょっと失敗だったかなと思う。おかげで就職活動でも修士論文でも、だいぶ苦労をした。
 それでも、ボクは大学院に進学して良かったと感じている。色々なことを学べたし、なにより楽しいことが多かった。なので、後悔はしていない。

 軽躁も使いよう、といえば聞こえはいいのかな?

ブログとはまた違ったテイストです。