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【布袋戯】とは?---その⑤『台湾の布袋戯1』(再掲載)

この記事は2009年7月21日に当ブログにて掲載したバックナンバーです。

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中国大陸の閩南語系の民衆の間で広まっていた大衆芸能「布袋戯」は、移民とともに、台湾へ持ち込まれた。

台湾に伝わった初期のころは、布袋戯は移民の出自によって様々だった。泉州からの移民は台湾北部を中心にしており「南管布袋戯」といい、潮州からの移民は台湾中南部で「潮調布袋戯」というように、それぞれのコミュニティでそれぞれの布袋戯を楽しんでいた。流派の違いは、用いる楽曲の形式にあったという。

日本では「人形劇」は子供向け、「人形浄瑠璃」は大人向け、というような扱いがされているが、台湾の布袋戯は子供から大人まで、みんなで楽しむ国民的な娯楽芸能として発展していった。

近現代に入ると、政治の影響で、上演が禁止されたり、制限を受けりした時期が何度かあった。
日本統治下にも、皇民化のために布袋戯の上演は禁止された。後に一部解禁されるものの、上演して良い内容は、水戸黄門や鞍馬天狗など日式布袋戯とでもいうようなもので、あくまで皇民化の手段として利用された。

日本統治時代が終わった後も、「反共抗俄」の布袋戯が盛んに上演され、政治色の濃い作品が続いた。
また、寺廟など屋外で人が集うこと(祭りなど)が禁止され、布袋戯も劇場など屋内で行われる公演へと変わっていった。

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