医療保険改革案(読売新聞記事の書き方、読み方)

 2022年12月16日の読売新聞(西部版・14版)。
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75歳以上の4割 負担増/医療保険改革案 現役世代支援(見出し)
 厚生労働省の社会保障審議会医療保険部会は15日、出産時に公的医療保険から支払われる「出産育児一時金」を来年度に42万円から50万円に引き上げることを柱とする医療保険改革案を了承した。増額の財源確保や現役世代の負担軽減のため、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度の保険料を増額する。
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 この記事を読んで思うのは、防衛費の予算と書き方がまったく違うということ。
 防衛費は5年間で1兆円上積みする。その財源として法人税、所得税(復興特別税を回す)、たばこ税の増税を考えている。
 では、医療改革案で「75歳以上の4割」が負担する金額(総額)って、いくら?
 これがまったくわからない。
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 保険料は激変緩和のため、2024年度から2段階で引き上げる。24年度は年収211万円超、25年度は年収153万円以上の人の保険料が増額となる。増額対象は全体の約4割に当たり、残りの約6割の人の負担は増えない。
 厚労省による年額保険料の試算では、年収200万円の人は24年度は制度改正に伴う増額はないが、高齢化による保険給付増に伴って、8万6800円となる。25年度は3900円増の9万700円となる。年収400万円では、24年度に1万4000円増の23万1300円となり、25年度は変わらない。保険料の上限額も現在の年額66万円から24年度は73万円、25年度は80万円に引き上げる。
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 総額で予算がいくら「増額」になるかわからない。わかるのは、これからどんどん保険料の負担が増えるということだけである。そして、それは「個人別」の負担であって、「総額」はわからない。防衛費増額の「1兆円」より多いのかもしれないが、もしかすると少ないかもしれない。
 もし、上積みの総額が「1兆円」より少ないのだとすると。
 防衛費を増額しなければ、高齢者が「医療保険改革案」の負担をしなくても、医療改革はできるのではないのか。法人税、住民税、たばこ税の増税文をまわせば、「出産育児一時金」を50万円に増やしてもおつりがくるかもしれない。
 私が知りたいのは、そういうことである。
 それに。
 法人税、たばこ税のアップ分というのは、純粋に企業が負担するだけ? 商品、たばこの値上げはない? 税が上がった分だけ、商品に転嫁されるのではないのか。つまり、それは結局、「国民負担」になるのではないのか。
 個人が負担する「保険料」は、どこにも転嫁できない。純粋に個人の負担が増える。これが、法人税やたばこ税との大きな違いだ。こういうことを、しっかり指摘しないといけないと思う。
 いま、さまざまな分野で値上げがつづいているが、それは原料の値上がり分を転嫁したものが多い。原料が値上がりしているから、商品を値上げするしかない。でも、商品を買う個人は、増える出費を何によって穴埋めできるのか。負担の増加を「転嫁」し、窮状をしのぐ方法がない。とくに高齢者は、家計が苦しいから仕事をし、金を稼ごうと思っても、それができない。収入増加の道を閉ざされ、出費が増えるだけなのである。

 いつでもそうなのだが、いま起きていることを的確に判断するには、「統一の物差し」が必要なのだ。あるときは「総額」、あるときは「個別」の金額を出し、同じ「物差し」で問題を点検できないというのは、逆に見れば、国民をだますときは「違った物差し」で語り続ければいいということである。
 トマホーク一発いくら? トマホークを買うのをやめたら、高齢者が保険料負担を増やさなくてもすむのでは? もしかしたら、高齢者が保険料を負担するというけれど、それは「出産育児一時金」にあてられるのではなく、トマホーク購入にあてられるではないのか。
 国民一人一人は、分野別に税金を納めているわけではない。収めた税金は統合され、そこから分野別に再配分されていく。この統合と再配分の関係をしっかり点検するためには、つねに個別の金額と総額が明示されないといけない。
 政府が、その関係を明示しないのだったら、そこに何か隠された問題がある。その隠された問題を、わかりやすく分析し、知らせるのがジャーナリズムの役割だろう。政府(関係者)がリークしてくれたことを、「やった、特ダネだ」と有頂天になって書くだけではなく、リークがなかった記事の「隠された部分」を書いてもらいたい。「読売新聞の調べでわかった」と「主語」つきで報道してもらいたい。
 「増額の財源確保や現役世代の負担軽減のため、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度の保険料を増額する」というのは、高齢者のつかえる金が減るということである。それは「負担が増える」のではなく、「金が減る」のである。その分、家計が苦しくなるのである。「負担が増える」ということばを受け入れられるのは、負担ががまんできる範囲のときである。しかも、その負担は金塊や何億円もの札束のように「重いから、私はもうこれを持たない。君にやるから、好きにすればいい」という具合に放棄できないのである。寒い寒いと言っているのに、電気もガスも止められ、さらに着ているコートやセーターを奪われるようなものなのである。減るのはシャツ一枚くらい、我慢できるだろう、という具合にごまかされたくない。
 だいたい「出産育児一時金」の増額分をなぜ高齢者だけが負担しないといけないのか。

 

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