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きみはきみ


空が高くなり空気が冷たくなった
秋は息子が生まれた季節
この時期になると毎年息子がお腹にいた頃をふと思い出す

音楽を流すとドコドコとお腹の壁をキックパンチしてきたこと、おへその下の方で規則的なリズムでピクピクとしゃっくりをしたり、パパがお腹をさすると急にピタッと動かなくなったり(笑)

そんな反応一つひとつに喜びトキメキつつ、未だ見ぬ息子の未来の姿を想像したことも
音楽が好きな子になるかな、わんぱく走り回るような子かも、案外慎重派かしら、なんて

そんな息子が今月5歳になる

5歳はすごい
身の回りのことは大体1人で出来るし、意思疎通もきちんと取れる
新しいことをどんどん吸収して知識は益々増えていく
私のミスや失敗にも「だいじょうぶ、だいじょうぶなの」と励ましてくれることさえある
服や食の好みも確立してきていて「ちょっとぼく、こういう感じのは好きじゃないんだよねえ」と、唐突にキライ!ではなく用意したこちら側への配慮も感じられる


いやあ、すごい
5歳、すごい

小さいながらに個が、形作られている最中

もちろん、知恵や言い訳も知らず知らずのうちに身について、
「今日はおやつ食べてから〜ようちえんのお片付けするわ!」などと提案してくる
泣く、怒るという手段ではなく対話を選択してくる、すごい

ちょうだい、と手を合わせてお菓子をねだったり、ジャンパーのチャックが出来ないと悔しくて泣いてた彼が、こんなふうになっていくんだなあ、と

そんな息子と過ごして5年、

息子は息子、私は私

そんな、あたりまえのようなことであり、きちんと自分の中で認知し解釈していると思っていたことを息子との毎日の中で最近やっと心から、あたりまえだよねと思えるようになった気がする

勉強や習い事、1人で行う仕事は、自分が頑張ればある程度結果に結びつく
でもまあ、対人となると
頑張ったところでどうにもならないこと、もある

恥ずかしい話、
自分が頑張れば育児もどうにかなると思っている節が少なくともあった
必要以上に心配して知識だけを自分の中に詰め込んだり、あれこれ手を出し口を出し、自分の型にはめ込もうとしたり
2人きりで過ごしていく時間が続くほど、窮屈になって隣の芝生が青く見えて、同じ経験をしていない人たちには、このもがき悩むわたしの気持ちなんてわかってもらえない、いやわかってくれてたまるもんか、などと斜に構えているうちに、こんなことで困っているんだ〜なんて相談出来なくなって

生まれて3年、4年の子に多くを求めていたんだなと思う 
申し訳ない、のと同時に息子はそんな母の沸々としたフラストレーションをあらゆる場面で「僕は僕」とぶっ壊してくれるので、

いいぞ!君は君、私は私だ!
悩むよりも、息子が見せてくれる息子らしさを愛おしいと思える今が幸せだ、と感じる
ありがとう息子

求めることの方がずっと苦しい
どうして、なんで、は人がいる限り続くだろうけど、それも君だねって思えたらいい、我慢ではなく息子がしてくれる対話で少しずつ近づいていけたらいい

人を動かそう、なんてするよりも
人を受け入れたり認めたり、素敵だねって思える方がずっと心地よい



息子を見ていると、たくさんのことに気付かされる

5歳の息子との暮らしも益々楽しみな母より

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