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『 順風満帆 』

僕が生まれるのと、時期を同じくして

父はシマ持ちとなり、組長になる。

稲川会 山田一家 早川組 中村組の誕生である。


シマというのは、関東ではとても重要で、

簡単に言えば「縄張り」である。

なので、他団体が、自分のシマに入って

何かことを起こせば、それは「シマ荒らし」となり

最悪の場合は、抗争に発展することもある。

若い衆から、親分になると

若い衆を食べさせていかなければならず、

いわゆる"シノギ"が大事になってくる。

稲川会は、博徒のヤクザなので、主だったシノギは、

父の組では、賭博(開帳)、関東では

バッタ巻きと呼ばれる、花札を使った

博打が多いらしい。

あとは、ノミ屋(呑み屋ではありません)

要は、競馬の賭けを組が引き受け、配当や手数料をもらう。(当たれば支払う)

現在では、インターネットで馬券が買えたり、

いろんな場所に馬券売り場があるが

当時は、地方には馬券を買う場所もなかったので

「ノミ屋」を使う一般人が多かった。

他には、シマ内の飲食店(居酒屋、スナック、バー、クラブなど)からみかじめ料などを徴収。

少し話しは変わるが、

一般の人には、あまり知られてないのだが、

ヤクザというのは『博打系』と、『テキ屋系』に分かれていて

博打系は、「博徒」

テキ屋系は、「神農」と呼ぶ。

ほとんどの抗争事件は、「博徒」の方だ。

「神農」は、テキ屋さんなので、庭場(商いをする場所)が

明確に決められているため、他団体と揉めたり

抗争事件を起こすことは、ほとんどない。

「博徒」は、神道に基づいて、盃ごとの儀式を行い

それで、親子盃や、兄弟盃、代目継承などを行い

そこで決まった立場は、何がなんでも絶対なのである。

血縁ではない、家族、一家なのだ。

神農のことは、僕はほとんどわからないので、

ここでは書かないこととする。

父が若い衆だった頃は、横浜だったので

他団体との、揉め事や、いざこざはかなり多かった。

腕っぷしも強く、血の気も多い父は、

ケンカでも活躍(?)したらしい。

その頃、すでに全国に名が知れ

イケイケの稲川である。

最重要区である横浜は、林一家の林喜一郎(最高顧問)と

山田一家の山田時造(常任理事)

が死守し、横浜では抗争事件までは起きなかった。(それに近い事件はあったが)

林喜一郎と、山田時造は双璧と言われていた。

父が横浜から、千葉の富津に流れ

中村組を立ち上げてからは順調だった。

経済的にも、ぐんぐん成長し、

一家内でも、力をつけていった。

そのまま行けば、直参組長となり、

執行部まで行けると思われた。

だが、そんな父に思わぬ不運な出来事が訪れるのである。

組長というよりは、映画俳優のような、父と妹(尋美)
あどけない顔の、かわいいお坊ちゃん(僕)と父。
父と、僕と、妹、(撮ったのが母だと思う)

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