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『 ここ数年の出来事、それによってわかったこと 』
ここ数年で、僕自身がものすごく変わったと思う。
きっかけは、母との何気ない会話だった。
僕は、両親の"馴れ初め"みたいなことを聞いたことがないので、(単純に恥ずかしいから)
あるとき聞いてみた。
「そもそもお母さんは、どこで親父と知り合ったの?」
「えっ… どこなんだろう。覚えてない。」
「でもさ、お母さんと知り合ったときは、親父はもうヤクザだったわけじゃん?」
「そうだっけ?お父さんヤクザだったの?」
ダメだ… 何も覚えていない
母は20年くらい前に、くも膜下出血で倒れ
三度のオペで、なんとか助かったのだ。
身体そのものの後遺症は奇跡的になかったのだが、
昔の記憶がなくなってる…。
そのとき思ったのが、
「ん? もしかして親父のことをきちんと把握してる人、誰もいないのか?」
実をいうと、僕は父のことをあまり良く思っていなくて、
ヤクザということも、ずっと隠していた。
…と、いうよりはそのことを"恥じていた"のかも知れない。
50歳を過ぎて、父のことをきちんと知っておこうと意を決したのに
もう 残念だが母には聞けない…
そこで、父が亡くなったとき(僕は高校生)
母が、いろいろ教えてくれたことや、言った言葉を思い返してみた。
火葬場で言ったひと言…
自分の親分と同じ病気で亡くなるなんて、因果なものだね…
そのときに聞いた
「稲川会」「山田一家」「山田時造」「早川」
などの、言葉を思い出した。
僕はインターネットや、書籍で
稲川会や、山田一家の歴史などを調べてみた。
一番参考になったのが、
『 修羅の群れ 』大下英治 著である
稲川会の発足までと、今日(こんにち)までが、
こと細かく記されていて、とてもわかりやすかった。
稲川聖城(角二)という人物に、憧れさえ感じた。
少しだが、山田時造、山田一家のことも出てくる。
父もこのときの"修羅のひとり"であったことは、言うまでもない。
ちなみに、山田時造も、父も同じ"肝硬変"で亡くなった。
僕は、知れば知るほど
父の渡世でのカラダを張った生き方に、
ある種の"感銘"を受けるようになった。
もう これからは、父のことを隠して
生きるのはやめよう
そう、心に決めた
息子 猪鼻康幸なのである。
それ以降は、誰に聞かれても隠さず、正直に言うことにした。
Facebookなどでも、父の命日に、父の生き様を書いた。
批判的なコメントなどは一切なく、むしろ好意的にとらえてくれた。
そして僕は、
本当の意味で、父の息子になれたような気がした。
それが、ここ数年で一番僕が変わったことだと思う。
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