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Mr.Childrenを見つけた、30年前の高校生。

ある音楽番組で、音楽のプロと言われる人たちが、Mr.Children(以下ミスチル)の曲をランキング付けしていた。

懐かしい曲が流れると、10代後半に見た風景が一瞬で浮かんできた。
そして、猛烈にミスチルが聴きたくなった。
音楽って本当にあっという間に、「その時」に連れて行ってくれるから。

画面に映るランキング上位の曲は、半分以上が1990年代に発表されたもの。
私が「ミスチルファン」と言えるのは、デビューした1992年から5年ほどで、振り返ると本当に短い期間だ。
それでも、その短い期間で、当たり前のように明るく広い場所へと進んでいく彼らを生で観れたことを、とても嬉しく思う。

今年デビュー30周年を迎えるミスチル。
30周年に寄せて、勝手に私と彼らの思い出を綴っておこう。


たまたま見つけちゃった、ミスチル。

Mr.Childrenのメンバーは、Vo.桜井和寿、Gt.田原健一、Ba.中川敬輔、Dr.ジェンこと鈴木英哉の4人。
1992年、1st mini Album『Everything』でメジャーデビュー。
彼らを“見つけちゃった”のは、本当にたまたまだった。

当時、TVCMで流れていた曲が知りたくて、友達とカラオケに行き「それっぽい」のを入れていて出てきた1つが、ミスチルの『君がいた夏』。
カラオケがレーザーディスクだった時代。本人映像だったそのMVは可愛くてかっこよくて、曲を聴くなり
「え!これすごいよくない?!」
と、見逃さなかった自分を褒めたい!


ちなみに、ミスチルと出会うきっかけになった曲は、JIGGER'S SON/ジガーズ・サンの『大丈夫』。
仙台出身のバンドで、彼らのライブに参戦した時は、お隣の席がVo.坂本サトルのお父さまだったことも。母校に来た時のサインのコピーも、まだ残ってる。
この曲もとっても素敵なので、オススメ。


ミスチル初参戦は、キャパ167人のライブハウス。

ネットがまだ普及していない時代、雑誌かレコードショップの告知で知ったかと思っていたが、先日古いチラシを発見した。
おそらく、1992年12月1日・2日に参戦した「ユニコーン」のライブで配布されたもの。

Mr.children_チラシ

これがきっかけかは不明だが、ライブで仙台に来ることを知り、友達とチケットを手に入れた。

初めて参戦したライブは、 "KIND OF LOVE TOUR" 。1992年12月23日、地下にあった収容人数167人の仙台市内のライブハウスで、整理券は121・122・123だった。

当時の私の日記には
「ステージ近くって、感動!!」
「ケンちゃんがピアニカをマイクに「ボコッ」とかやって、笑ってた!かわいー!」
「ケンちゃんのことを桜井くんが「ステージ上ではマネキンと化してしまう」と言ってた」
などのエピソードが、興奮気味に書かれていた。

とにかく「かっこいー」が何回も出てくる高2女子の日記。
Gt.田原さんをケンちゃんと呼んでいたことに、自分でも驚いた。

Dr.ジェンが歌う『思春期の夏~君との恋が今も牧場に~』のコーナーでは、オーディエンスも一緒に『かえるの合唱』の輪唱をしたり、アンコールでは『サンタが街にやってきた』をオーディエンスと掛け合いで歌ったり。

何より、その頃一番聴きたかった『車の中でかくれてキスをしよう』を生で聴けたのが最高だった。
しかも「アンコール」を粘っていたら、閉演のアナウンスが入っていたにもかかわらず、メンバーが再登場…!

このライブの時点で、通路まで人で埋まっていたと記憶してる。あの時代だから、入れるだけ入れたんじゃないだろうか…。
ちなみに、チケット代は2,575円でワンドリンク付き!破格!!

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この頃はまだ音楽雑誌に載っていても、後ろの方のモノクロページ。
ファンクラブももちろんなくて、所属事務所TOY'S FACTORYからモノクロの手紙が定期的に届いていた。
その会員番号が確か「3456」か「4567」の連番で、気持ちよかったと記憶している。

確認できないのは、ミスチルのファンクラブの印刷物ごとごっそり見当たらないためだ。
誰かに譲ってしまったかもしれない…。
かろうじてファンクラブの会員証だけ残っていたが、発足してもすぐに入らなかったため、会員番号はそれほど小さくない。多分、お金がなかった 笑

Mr.children_会員証


ミスチル初主題歌に喜ぶも、衝撃のドラマだった!

1993年、3rd Album『Versus』が発売された時には、限定盤を手に入れるため近くのレコードショップに駆け込み、無事最後の1枚をゲット。(ふうっ)
"Versus TOUR ‘93" では、初のホールツアーとなり、収容人数も一気に増えた。

また当時の日記によると
「去年は田原さん右側だったのに、逆ですっごい遠かったあ」
「桜井さんを紹介する田原さんがかっこいい♡」
「(田原さん)たまに、にやって笑うし」
と、だいぶ田原さん推しになっていた。そして、すでにケンちゃんではなくなっていた 笑

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この年は、初めてドラマの主題歌も担当。
そのニュースを知った時、友達と「ドラマの主題歌だって!!すごーい!」と、高校の廊下で喜んだのを鮮明に覚えている。

TVでミスチルの曲が聴けると思い、今か今かと待って緊張しながら観たそのドラマは、なかなか刺激的なドラマだった…。
親とは一緒に観れないような 笑
TOKIOの太一くんと山口くんも出演していて、刺激的なイメージ画だけは鮮明なのに、ストーリーがまったく思い出せない 笑

NTV系ドラマ「同窓会」主題歌 4th Single『CROSS ROAD』


1994年にはタイアップも増え、初の武道館ライブや、5th Single『innocent world』が第36回レコード大賞を受賞するなど、目に見えて世間に浸透していった。
私が一番聴き倒した4th Album『Atomic Heart』が発売され、"Tour innocent world"では、前回からまた倍以上の収容人数の会場になっていた。
この頃、ステージからの距離に、淋しさを感じ始めていた。
そして、日記もさぼっていて「Mr.Chilldren(in サンプラザ)のコンサートにも行ったし」しか書かれていない…!

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1995年、"Tour Atomic heart" は2DAYS参戦。

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1996年、5th Album『深海』が発売。これが、私が最後に買ったアルバムになった。
実は、ミスチル初のコンセプト・アルバムだったということを知ったのは、つい最近のこと。
年齢を重ねた今なら、もう少し違って聴こえたかもしれないな。


ミスチルが、バイト先に…!

そんなミスチルから距離をおいた頃に、バイト先にミスチルが来てしまった。
当時私がバイトをしていた飲食店は、アーティストやアスリートの方によく利用してもらっていて、今でも店内にはサイン色紙がぎっしり貼られている。

席についたのがミスチルだとわかった私は、後輩たちに「私が行く」(キリッ)と宣言してオーダーを取りに。
本当は「ライブハウス時代から行ってましたーーーーー!!」と言いたいのを、我慢して我慢して我慢して、普通に普通に接客。

そんな私に、気軽に質問してくれるジェン。震える私。
最後まで平静を装い、一従業員を全うした!
店を出ると周りの目も気にせず、飲み屋街を歩いて帰るメンバー。
私は店のベランダから身を乗り出し、その頃推しだった中川くんのふわっふわっと揺れるアフロを目に焼き付けながら、しっとり見送った。


そして、再会。

デビューから30年経っても、変わらず素敵な楽曲を世に送り出してくれる彼ら。
私が離脱してから今日まで、常に第一線で活躍を続ける彼らなので、自然と耳に入ってくる機会は少なくなかった。

途中離脱してしまった私が、その後唯一買ったCDが1枚だけある。それは、25th Single『くるみ』。
私が娘に「くるみ」と名前を付けたのは偶然だが、素敵な曲に出会えてうれしい。

その娘も、私がミスチルを見つけた頃と同じ高校生になり、私と同じ高校に通い、やはり音楽が身近にある。

私の中のミスチルは、カラオケで見つけてから見てきた4年間の彼らで、いつになっても薄まらない。
もしかしたら、恋愛をしていた年齢だったというのも、その濃さに関係しているかもしれない。
そのためか、いまだに『雨のち晴れ』『Over』『LOVE』が私のTOP3。

2015年には “Mr.Children TOUR 2015 REFLECTION“ と“Mr.Children Stadium Tour 2015 未完“の2回、20年振りにライブに参戦した。ミスチルとしては、過去1番にステージが遠かったけれど、やっぱりかっこよかったな。

4月から“30th Anniversary Tour 〜半世紀へのエントランス〜“もスタートするミスチル。
「Anniversary Tour は行きたいな」と思ったけれど、このご時世なかなか遠出がしづらい…。楽天さん、仙台の球場もドームにして、お願い。

※東北楽天イーグルス本拠地:楽天生命パーク


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