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一杯の葡萄酒と、蘇った記憶と、世界の本流と。

口の中に広がる葡萄の香りを味わいながら、8年ほど前の出来事がふと頭の中に蘇った。


成人を迎えてから飲み始めた麦酒は、最初まったく美味しさが分からず、「なんでこんな飲み物を大人はウマい、ウマいと言って飲み続けるんだろう」とよく思ったものだ。


そんな自分も、いつの間にか麦酒は抵抗なく飲めるようになったけれど、どうしても苦手なのが「ワイン」。そう、あの硬さというか、喉から胃に飲み込むときに、器官に絡みつく感じがどうしても好きになれなかったのだ。



「ワインはアルコール度数も高いし、飲んでも美味しさが分からないし、やっぱりこれを美味しく飲んでいる人のことは分からんなあ」


そんなことを20歳そこそこの頃に思って以来、もう30歳近くまで時が経ったのだけれど、実はそんな、苦手だったワインを好きになったきっかけが、去年ハンガリーに来たことだった。



貴腐ワインを筆頭に、ハンガリーは隠れたワイン産地だったことはなんとなく知っていたのだけれど、どうしても、日本でワインと言うとフランスが群を抜いていて、その次にイタリア。他にはカリフォルニアワインや南米のチリ、ウルグアイなども店頭に並んでいるけど、ハンガリーワインなんて目にしたことはなかったし、もし店頭でお目にかかれたとしても、多くのワイン好きからは、鼻で笑われるような存在なんじゃないだろうか。


別にこれは自虐でもなんでもないけれど、ハンガリーワインというのは、それくらい、日本(に限らないかもしれないけれど)では知名度は低くて、やっぱり多くの人は「フランスこそ本流」と、意識はせずとも思っているものではないか。


かくいう僕も、ハンガリーのワインなんて、やって来るまではこれっぽっちも想像できなかったのだけれど、いざブダペストのレストランで賞味してみると、これがなかなか飲みやすい。


「あれ、ワインってこんなに美味しい飲み物なの?」


まるで、ブドウジュースをそのまま飲んでいるようなまろやかさと甘さ、喉に引っかからない飲みやすさ。


赤ワインもタンニンの苦味はさほど感じず、白ワインには葡萄の香りがぎゅっと詰まっている。


20代に突入した頃に、僕が「なんとなく」ワインは飲みにくいもの、と思っていたのは、恐らく日本のチェーン居酒屋で口にしていた「安ワイン」が原因で、時間はかかったけれど、ここハンガリーで、ワインに対する見方が180度変わったのは事実だ。


だから、ここ1年ほどは、以前とは比べものにならないくらいワインを、それもハンガリーで作られたワインを何度も口にしてきたのだが、そんな僕の、ワインに対する考え方がまた変わったのが、先日フランスのボルドーに行ったときだ。


フランスワインと言えば、というよりも、ワインと言えば、フランスの「ボルドー」と「ブルゴーニュ」が双璧として君臨している、というのがある意味常識だとは思うけれど、そんなボルドーに、訳あって行くことになったのだ。


3泊4日、実質3日という限られた時間の中で、ボルドー左岸と右岸の、両方のワインをいくつか嗜んだのだけれど、このときに口にしたワインのほとんどは、かつて僕が、初めてワインを飲んだときに抱いた印象とほぼ、同じものだった。


「やっぱり飲みにくい」


もちろん、訪れたレストランやシャトーで頂いた(試飲させてもらった)ワインは、本場ボルドーのものだし、質の高いものが多いだろう。


が、どうやら僕は、いわゆる、ワインの「本流」の味が、どうやら苦手なのだ………。どうしても、タンニンのあの「喉にひっかかる感じ」が好きになれない。


だから、今回の「ボルドーワイン巡り」は、僕にとっては「なぜ僕が、ワインを嫌いになったのか」を思い出させてくれる、思っていたのとは逆の結果が得られてしまったのだ。


ハンガリーで1年ほど過ごしていたら分からなくなってしまっていたけれど、僕は確かに、昔日本で飲んだワインが好きになれなくて、その体験があったからこそ、ハンガリーで「実はワインは美味しいもの」ということを、気づけたのだった。でも、そのことすら忘れてしまっていたことを、ボルドーに行ってまた、思い出すことができた、というわけ。


………と、ここまで読んでいると、ボルドーで学べたことが「実は自分は、ボルドーワインは合わない」ということだけなんじゃないか、と思ってしまうが、実はそんなことはなくて、ボルドー左岸のシャトーを巡っている中で、最後の最後に飲んだワインが、今までに飲んだことのない味の赤ワインだった。


言葉では上手く表現できないけれど………舌に乗っけても、口の中で転がしても、左岸特有のタンニンの渋味や、口全体への刺激がない。まろやか、というのは違うけれど、口の中でワインが広がらない、自分が飲んだことのない、飲みやすいワインだったのだ。


この時に僕は、自分が知っていたワインの世界がいかに狭いか、を知って、頭をガツンと殴られたように感じた。


そして同時に、ワインの本流の1つは、ここボルドーに確かに存在するのだ、ということもすぐに理解した。


僕はもともと天邪鬼でへそ曲がりだから、いわゆる「本流」「本筋」なんてむしろクソ食らえ、くらいの心意気で生きてきた(だから、西欧じゃなくて東欧に入り浸っているし、フランスワインよりハンガリーワインのほうが自分に合っていると感じた)けれど、やっぱり、天邪鬼でもへそ曲がりでも、本流から学ぶことを止めてはいけない、と最近は思う。


ワインと言えばフランス、という表現はあまりにも安直かもしれないが、ボルドーワインが世界に名を馳せているのには、やはりそれなりの歴史と理由があるはず。


あの、最後に口にした1杯のワインを飲んでそんなことを思ったし、もしあのワインに出会えていなかったら、僕はボルドーに来て、「やっぱりフランスのワインは合わないのかあ」とだけ思って、ハンガリーに帰っていたかもしれない。


自分が見えている世界が全てではないし、自分が知っている世界が全てでもない。ワインの「本場」で出会った神の雫のことを忘れずに、これからも精進していこうと、ボルドーの地で思ったのだった。

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