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しおり市長の市政報告書 vol.31

   1月29日午前10時47分

 そのとき以来、私は「代案なき批判はしない」の言葉を支えにしてきた。
 はじめての選挙戦に四苦八苦し、かろうじて当選してからは、慣れない議員の仕事に四苦八苦しながらも、このときの決意とケンイチ代議士の言葉だけは忘れない。
 代案を示すということは、「自分がその立場だったらどうするか?」と、常に考えることだ。実情を勉強し、発想を転換させ、予算を想定し、結果を予測して、「私があなたの立場ならこうしますが、どうでしょう?」と言うのが、「代案なき批判をしない」ということだ。
 しかし、ああ…。どうでしょう?ケンイチ代議士?
 私はそんな政治家になれるでしょうか?
 私はそんな信条を口にする、政治家の資質があるのでしょうか?
 「代案」を思いつけず、ただ悩んでいるだけ。マスコミと口論して、世間から叩かれ、なんら施策も示せない。
 市議会議員なんて、柄にもなかったんじゃないでしょうか?ケンイチ代議士、なんで市議に立候補するのを、止めてくれなかったんですか?今私は、娘さんの役にも立てず、迷惑ばかりかけてます。
 そんな風に、ケンイチ代議士に話しかけていると、いつの間にか市役所に着いていた。
「愚痴ばっかりで、最悪だずね、俺」
 私は、これまた最悪の独り言を言って、市役所の玄関をくぐった。
 総合案内の脇をぬけ、住民票発行などの手続き窓口を横目に見ながら、福祉関係の相談窓口の隣から、階段を上ろうとする。市長室は三階だ。とりあえず、市長に今後のことを相談しよう。
「ありゃ、羽柴議員だどれ(じゃないか)」
 福祉の相談窓口にいた女性から声をかけられた。ふくよかな年配の女性。人懐っこい笑顔で、近寄ってくる。
「あ、黒田さんの奥さん」
 それは、河川敷ゴルフ場の件でお世話になった、黒田さんの奥さんだった。黒田さんは、乱川地区の農家で、乱川の河川敷が支障木で荒れているのを心配し、しおり市長とともにパークゴルフ場とアプローチ練習場をつくってくれた人だ。私の選挙でも、ご夫婦で応援してくれて、足を向けて寝られないおばあちゃんだ。
「いやあ、しっかし大変なごどなってだにゃあ(ことになってるねえ)。大丈夫なんだが(なのかい)、市長は?」
「はい…正直、追い込まれでますね。マスコミがらかなり叩がっで、農業の方がらも市長が農業ば軽ぐ見でんのんねが(みてるんじゃないのか)、って苦情がきてんのよっす(きてるんですよ)」(私も支援者と話すときは、とくに高齢の方と話すときは、バリバリ山形弁になる)
「いやまあ、わだしだ(たち)みだいに市長ば(を)知ってる農家は、ほだなごど(そんなこと)思ってねえげどもよ(ないけれどもさ)。小さい頃、いっぱい農業手伝ってけだ市長だもの。あのしおりちゃんが、農業も天童の果物も好ぎなのわがってっからなあ(わかっているからね)」
「ありがだいっす。んでも、ほゆ(そういう)風に思ってける(くれる)人ばっかりんねがらよっす(じゃないですからね)。どうしていいが、わがらねずっすは(わからなくなってしまってますよ)」
「ほだなごど(そんなこと)言ってでダメだあ。わだしだ(たち)農家も応援すっから、がんばらねど(ないとね)」
 黒田さんの奥さんも、旦那さんと一緒に農業をやっている。小さい頃、私やしーちゃんはよく果樹園を手伝って、果物を食べさせてもらっていた。しーちゃんは喜々として黒田さんはじめ周辺の果樹園を手伝っていた。そして、もらった果物をそれは美味しそうに頬張っていた。その頃の記憶がある農家の方は、しーちゃんの農業愛も農産物愛も理解してくれているのだろう。
「しかしにゃあ、あのしおりちゃんが市長で、ケーちゃんが市議会議員の先生だもにゃあ。立派になったもんだにゃあ」
「いや、私な(なんか)まだまだだっす」
「しおりちゃんもあの頃がらかわいがったげど、綺麗になってにゃあ。ほんて(ホントに)天使みだいだずね。ケーちゃんもかっこよぐなっては(詠嘆の「は」)」(いやいや黒田さん、あの上っ面に騙されてはいけません。本当は暴力的で邪悪な小悪魔なのです。それに私に対して「かっこいい」は、どう考えてもちっちゃい頃から知ってる親心だと思います)
「まあ、確かにお綺麗だげんともねっす(ではありますけれどもね)…」
「いやあ、お似合いのカップルだにゃあ。いづ結婚すんなや?」
「はあ?な、なに言ってんすか?結婚なんかするわげねえべっす」
「ありゃ、んだの?二人は付き合ってだんだど思ってだっきゃあ(たわよ)!」
「ほ、ほだな(そんな)わげないべっす。しーちゃんがらな(なんか)、見向ぎもされでねずっす(されてないですよ)!」(じょ、冗談じゃないです!あんなサド悪魔と付き合うなんて!でも、市民からはそんな風に見えてんのか?市長と市議でそんな目で見られるのは、非常にまずいぞ。いやいや、そんなのは自意識過剰か?黒田さんだけだろ、そんな風に見てんのは。俺としーちゃんじゃ、月とすっぽんってのが一般的評価だろ?いや、しかし「見向きもされない」とか言っちゃったら、俺がしーちゃんば好ぎみだいだべした!あ、しかも市長のごど、黒田さんの前で「しーちゃん」とか言ったっけは《言っちゃったよ》。くそ、俺、なんでこだい《こんなに》動揺してんだ?)
「んだがしたあ(そうなのかい)?ちっちゃいどぎがらいっつも一緒だし、お互い好ぎなんだど思ってだんだげど」
「いっつも一緒って、俺だげんねべっす(だけじゃないでしょ)。他にも友達いっぱいして手伝ってだっけも(いたもんね)」
「いや、必ず来ったっけのは、ケーちゃんだべ。はじめ果物盗もうどした時がら」
「ちょ、ちょっと黒田さん。その話題はやばいべっす」
「あはは、んだなあ。市長ど市議の先生が昔泥棒だっけなてなったら(だったなんてことになったら)、まずいもにゃあ(もんね)」
「く、黒田さん、声が大きいっす」
 黒田さんたちの果樹園を手伝ったのには、不名誉なきっかけがあった。しーちゃんが「果樹ワングランプリ」と称して、果物を誰が一番多く盗んでこれるか、という競争をやったのがはじまりだ。幸いにも最初に見つかり、この犯行は未遂に終わった。そのとき私たちの悪行を見つけ、こっぴどく叱ってくれたのが黒田さんの奥さんだった。それ以降、果樹ワングランプリは、農作業を手伝って誰が一番バイト代の果物をゲットできるか、という遊び?に変わった。
 そのとき、例によって叱られたのは私だけだった。しーちゃんは後ろでしゅんとしていた。どう見ても悪ガキどもに同行させられた、悲劇のお姫様という風だったろう。とても彼女が首謀者だとは思うまい。
 そうなんですよ、黒田さん。あの女はそういう奴なんですよ。可愛い外見で人を欺く、小悪魔なんです。付き合うなんて、とんでもない。
 いずれにしても、未遂とはいえそんな不名誉きわまりない過去を、あまりおおっぴらにはしたくない。
「ほだな(そんな)、ちっちゃいどぎの話だもの。もう時効だびゃあ(でしょうよ)。そのあど反省して、ずいぶん一所懸命手伝ってくれだしにゃあ。感謝してるぐらいだ」
「はあ…そう言ってもらえっど(えると)、助かるっす」(まあ、反省もしたけど、一所懸命手伝ったのは、罰というより果物目当てだったと思うけど)
「んでも、あん時がらケーちゃん、しおりちゃんば支えっだっけどれ(支えてたでしょ)。今度もしおり市長ば、支えでけねど(あげないと)ダメだぞ」
「いや、支えでなんかいねげど。私が振りまわさっでだっけっていうが(されていただけというか)…」(今も昔もね)
「んだって、健気にしおりちゃんば(を)かばってだっけどれ(かばってたじゃない)。女の子ばかばういい子だなあ、って感心したっけも(してたもん)」(あれ?なんだか話がおかしい。俺が、しーちゃんをかばってた)?
「え?でも、こっぴどく怒られたのは俺だけで…」
「あはは。あん時もどうせ発案したのはしおりちゃんだっけんだべ(だったんでしょ)?」
「え?え?」
「織田代議士んとこの娘さんが、いろいろとおもしゃいごど(おもしろいこと)考えでわ(ては)、地元の子どもだ(たち)ど危険なごどだの悪れごどだのしてるって評判だっけがらにゃあ。ずいぶん織田代議士も謝りさ歩いでけだっけも(歩いてたもんね)」
「じゃあ、皆さん、わがってで(わかっていて)?」
「ああ、大人だ(たち)は皆、しおりちゃんの策略だってわがってだっけべ(わかっていたでしょうよ)。んだげど、ケーちゃんが健気にかばって、自分だげ黙って怒られでっから、微笑ましぐ思ってだっけんだ(思ってたんだよ)」
 予想もしなかった事実だった。
 大人はみんなしーちゃんが首謀者だって知ってた?私がかばってると知りながら、叱ってた?
 私は、自分でも意外なほどに、その事実に衝撃を受けていた。
「しおりちゃんは、おもしゃいごども(おもしろいことも)悪れごども、考えんの得意だがらねえ。んだげど、それが失敗した時は、ケーちゃんの出番だべ?」
 呆然としていた私の肩を、黒田さんの奥さんは軽く叩いた。
 その瞬間、私は思いっきり背中を突き押されたような気がした。
「く、黒田さん、ありがとうございました!頑張ってみます!急ぎますんで失礼します!」
 私は、市役所の階段を、市長室のある三階まで一気に駆け上がった。
 黒田さんの奥さんは、いつものにこやかな表情で見送っていた。
 マスコミ負けしないふてぶてしさ?広範な知識と経験?代案を考える発想力?すべて私に足りない政治家の資質だ。
 しかし、そんなものはどうだっていい。
 資質が足りないなら、身につければいい。資質を得られないなら、補い合えばいい。
 私の立ち位置。私の役割。私のできること。
 私は、織田市政を支持する、天童市議会議員だ。私は、織田市政を是々非々でチェックし、ときに提言するのが役割だ。私は、自分に代案なき場合、織田しおり市長の考える事業を全力でサポートする。
 別になにか状況が好転したわけではない。
 でも私は、すがすがしい気分で階段を上った。
 できる。「俺たち」にはできる。

vol.32に続く ※このお話はフィクションです

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