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しおり市長の市政報告書 vol.7

   12月8日午後5時48分

 夕方、市議会からの帰り道。
 暗くなるのが早い12月の夜道を、私はとぼとぼと歩いて帰っていた。
 あれから全議員に、今回の件を穏やかに済ませてくれるよう電話をかけまくった。当然、「なんでお前がそんなこと言ってくるんだ」っていう反応が返ってくるが、議長の意を受けて私が根回ししていることを匂わせつつ、市長を支える議員については、反市長派への攻撃なのだからとなだめすかし、反市長派の議員には、これ以上騒ぎ立てると得はないぞと脅し、と、それぞれの議員に合わせた説得に当たる。
 とはいえ、議員に対しては、あんまり直接的な表現は使えない。「今回の件は穏やかに」とか、「騒ぐと得はない」などという直言は避け、それを匂わせるような言葉、論法を使わなければならない。
 私のような若造が、多くの大先輩議員に直接的表現を使うと、生意気だということで説得にならないからだ。
 そういった虚々実々の交渉は、気を遣う。そして疲れる。
 なんとかノルマをクリアして、私はくたくたで帰途についた。
 私の家の田鶴町から市議会のある市役所まで、それほどの距離でもないため、私はいつも歩いて通っている。でも12月の寒空の下、歩いているのは私ぐらいだ。その代わり、道には帰宅の途につく車が列をなしている。
 山形は、とことん車社会だ。一人一台はあたりまえ。ちょっとコンビニに行くだけでも、車に乗るという県民性なのだ。
 途中、「花輪コロッケ」でコロッケを数個買い、一つをかじりながら歩く。
 このコロッケは、地元のソールフードだ。ほのかにカレーの風味のするコロッケで、このコロッケをメインに小さな店で販売している。
 コロッケだけで商売できるほど、うまい。
 冷めてもうまいが、やっぱり揚げたてのコロッケをかじるのが一番だ。こういう疲れた日には、ソールフードで元気を出すに限る。いつもは夕方には売り切れてしまうのだが、今日はたまたま数個残っていてラッキーだった。
 コロッケをかじりながら、何とはなしに道の脇の水路に目をむける。
 小さい時の記憶だと、この水路は舗装もされていない小川、というよりもどぶ川だった。今はきちんと大きなU字溝をしきつめた「雨水路」になっている。雨水を河川まで流すための水路だ。
 その水路に、別の水路が段違いに十字に交差している。農業用水や生活用水を運んでいた昔の水路の名残だろう。
 こんなものは、議員になる前は気にもならなかった。
 しかし、議員になった今、こういった工事に、どれだけの先人達の苦労が詰まっているかに思いを馳せるようになった。
 どんなにちょっとした水路を引くにも、多大な労力と予算がかかる。地域の町内会長を中心として地元がまとまり、土地の提供などの協力体制を築かなければならない。行政を説得し、議会を通して予算をとらなければならない。緻密な設計と高度な建築土木の技術が投入されなければならない。そうやってはじめて、こういう水路ができるのだ。
 これが議員になって嫌というほどわかった。
 こうした仕事を実現にもっていくためには、議員としての能力、努力、実力が必要だ。まだまだ私のような2期目の議員では、そうした仕事は簡単にはできない。
 きちんと地元の問題にアンテナを張り、地元の偉い方々とつながり、市役所職員とのコネクションをつくり、なにより市長はじめ部長クラスを説得して、はじめて工事へとつなげられる。
 かといって、2期目だからと仕事ができないなんて引っ込むつもりはないが。
 とにかく、なんでもないような水路にも、おそらく相当な人たちの苦労が結集しているのだろうというのが、議員になると想像できるのだ。
 しかもこの水路は、むかしのどぶ川を雨水路とし、それに交差させる形で生活用水路が設置されている。立体的に水路を交差させるのは、それなりに技術を必要とする。こうしたところにも、昔の行政マンや建設業者の苦労が見て取れる。
 こう考えると、東京なんかの大都市の建築物は、すさまじい。
 幾層にも重なった地下鉄や地下道、地上の川から地下水路網、電気や通信・上下水道などの配管が、複雑に入り組んでいるのだから。
 しかし、その様子は外からは全くわからない。高度すぎて、想像できないのだ。
 いわばスマホの技術力の高さと精密さを知ってはいても、それが高度すぎてすごさを実感できないのに似ている。
 その点、この水路は、その技術が身近で想像の範疇にある。
 中学校の技術の時間につくった、簡易の有線電話機みたいなものだと言える。自分で作った分だけ、その苦労と技術が実感できるのだ。
 スマホと簡易電話機。東京と山形。
 もちろんぶっちぎりで東京の都市の方が優れた技術が導入されている。
 しかし、簡易電話機にだって、たくさんの人の思いと技術が詰まっているのだ。
 想像の範疇にある分だけ、私にはこの水路がいとおしく感じられた。
 こういう無数の努力が積み重なって、天童というまちは形作られてきた。どのまちだって、どんな田舎だって、同じだろう。そして、その努力を一時でも怠れば、まちの機能は低下していく。
 無名の人々の、歴史の積み重ね。

 そんなことをぼんやりと思いながら歩いていると、いつのまにか自分の家への曲がり角を通り過ぎてしまった。
 ふと見ると、しーちゃんと出会った三宝寺の門が見える。
 小さい頃から遊んでいた織田家ゆかりの寺だし、ここにはいまだにしょっちゅう入り浸っている。ちょっと住職の顔を見ていこうかという気になった。
 立派な門をくぐり、広い境内に入っていくと、庭の東屋に住職が座っていた。
 一人でお猪口に酒を注いでいる。
「手酌で雪見酒ですか?風流ですね」
「おう、ケイスケか。雪なんてまだねえべな。月見酒だな」
「月だって今日は出てないでしょうに。わざわざ寒空の下で晩酌なんて、物好きですねえ」
「わがってねえな、ケイスケ。寒いどごろで熱燗をキュー、ってのがオツなんだよ」
 天童の12月は寒いが、まだ雪が積もるというほどでもない。
 天童は県内でも最も雪が少ない市だが、それでも昔はもっと早い段階で雪が降ったように思う。年々雪が少なくなっている気がする。冬の風情がないが、生活する分には雪などない方がいい。除雪費用からしても市政にとっていいことだ。雪がないと困る蔵王スキー場などの山にだけ降ってくれればいい、というのが我々北国の人間の本音だ。
 だがまあ、雪がなかろうが、月がなかろうが、この住職には関係ないのだろう。
 名前は武田和竜。
 長身の固太りで、頭をきれいに剃っている。怒るとまさに仁王様のようだが、その見てくれに違わず、ものすごい酒豪だ。雪月花の風流も愛するだろうが、それ以上に酒を愛している。酒があれば一年中幸せ、「一月ぅは一月ぅで、酒が飲めるぞぉ♪」を地でいく人なのだ。
「どうだケイスケ、一杯つきあってがねが(いかないか)?」
「酒はなんですか?」
「出羽桜の『一耕』だ。燗にはこれだ」
「おつきあいしましょう。花輪コロッケ、ありますよ」
「お、いいねえ」
 住職は、さっそく緑の紙に包まれたコロッケを一つつまんで、私に酒を注いでくれた。熱い酒を飲むと、確かに冷えた身体にしみこんでうまい。「寒いどごろで熱燗をキュー」とか言ってたわりには、しっかりと石油ストーブも置いてあるので、それほど寒くもない。
 しばらく、コロッケをつまみにお猪口を傾けた。
 織田信長以来の織田家歴代をまつった霊廟、それをかこむ池(昔ザリガニ釣りで怒られた)のほとりで飲むのは、確かにオツだ。なにか神聖な気持ちにさせられる。静寂の中に、時おり鯉が水面をゆらす音が響く。
「信長公みたいに、とは言わねくても、俺ももっと頑張らねどなあ(頑張らなきゃなあ)」
「お、なんだず。市議会の政治家先生は、なんかお悩みだがっす(ですか)?」
「先生はやめで下さい。気持ぢ悪い」
「んだって、先生は先生だべよ」
 市議会議員になったばかりのころ、ずっと年上の市役所職員から「先生」と呼ばれるのは、違和感があってしょうがなかった。最初は先生と呼ばれるたびに訂正していたが、そのうちめんどくさくなって受け入れるようになった。すると、「あの若造、先生なんて呼ばれて天狗になってる」などと言われる。まったぐどうしたらいいんだず?
 まあ、若かろうが市民から選ばれた議員なんだから、背後にいる市民への敬意の表れと思って、今は納得するようにしている。
 だが、知り合いとなると話は別だ。「先生」なんてのはからかいに過ぎない。
「政治家なんてのもおこがましいですよ。そんな偉そうな存在じゃありません」
「政治をやるんだから、政治家で間違いないだろうがよ?」
「政治をやってるかあ…。なんかトラブル処理専門のなんでも屋、市民からの苦情受付係って感じで…。政治をやってるって実感はあまりないっすねえ」
「それも立派な仕事だと思うがな」
「そりゃそうなんすけどねえ。ケンイチ代議士みたいに、大きな仕事、できるようになるんすかねえ」
「あの人は特別だ。立場も違う。それに、ケンちゃん(同世代の住職は代議士をちゃん付けで呼ぶ)だって、若い頃からでかい仕事できたわけでねえべよ」
「そうですけど…」
 今はまさしく地方創生の分岐点だ。
 大都市への人口流出が著しく、地方は死に至る病を抱えていると言ってもいい。
 そんな中、各地方自治体は、生き残りのための戦いをしている。市町村ができることは大きい。逆に言えば、市町村が動くか動かないかで、勝ち組負け組が分かれてしまうかもしれないのだ。
 そうした焦りがあった。
 そんな状況下で、議会が市長の足を引っ張っている場合ではないはずだ。議会から、地方創生につながる政策をどんどん提言していくぐらいじゃなきゃダメだろう。
「今は天童の歴史にとっても重要なときなんですよ。我々『政治家』が、大きな仕事を成し遂げなきゃならないのに」
「歴史に残る、大きな仕事か…」
 住職は「一耕」を一息にあおると、仁王様のような怖い顔になった。
「いいか、ケイスケ。『あれを見よ、深山の桜、咲きにけり。真心尽くせ、人知れずとも』だ。誰も見ないのに咲く山奥の桜のように、真心尽くして仕事するんだよ。仕事にでかいも小さいもねえ」
 私はぐうの音も出なかった。
 酔っ払いのくせに、この住職はつねに物事の本質をつく。
 仕事に大小はない。確かにそうだ。たとえ小さな水路をつくるにしても、その周辺に住んでいる人からすれば、治水排水の大きな問題だ。そうした仕事をすることは、つまり居住環境における安心につながる。
 地方創生に、これといった特効薬などない。
 そんな政策があるなら、誰でもやっている。
 「まち・ひと・しごと」に関するあらゆる政策を、地道に、バランスよく、向上させていくしかない。
 どんな仕事も、その努力が積み重なって天童をつくっていく。
「無名の人々の、歴史の積み重ね、ですか…」
「ああ?なに言ってんだ?お前は、すぐ歴史どがなんどが、そだなごど言うまな(そういうことを言うもんな)」
 私は苦笑するしかなかった。
 んだね。歴史とかなんとかを考える前に、一つ一つの仕事をコツコツと、だ。地方創生に特効薬などないのだから。

 その時、住職の奥さんが血相を変えて庭に出てきた。
「ちょっと!テレビ見で!」
 住職に走り寄ってきた奥さんは、私に気づく。
「なんだ、ケーちゃんもこごさいだの(ここにいたの)?ちょっとケーちゃんも、こっちさ来て、テレビ見でけろ!」
 どうしたんですか?と言う間もなく、手を引っ張られるようにして私は寺の庫裏へと入った。そこでは、夕方の地方ニュースが流れていた。
「…織田しおり天童市長はこのように述べ、強く議会と対立しています。こうした状況をどう考えますか?」
「そうですね、今回の織田市長の発言は、失言というより暴言に近いと言えるのではないでしょうか?市政をあずかる行政のトップとして、責任ある言動をしてもらいたいものですね」
 地方局の男女のアナウンサーが、汚いものを見たような顔で話している。
 テロップには、「美人市長、暴言!議員を嘘つき呼ばわり」とデカデカと書いてある。
「今回の市長の発言は、議会軽視に他なりません。しかも、インタビューに答えた市長は、農業問題など二の次に、公園建設を強行すると答えています」
「信じられないことですね。それではもう一度、今日の天童市議会の様子をどうぞ」
 議員を嘘つき呼ばわり?農業問題は二の次?
 一体何のことだ?
 とまどうしかできない私にかまわず、映像が流れた。
「伊達議員は、嘘をついていらっしゃるんでしょうか?」
「農業は問題にしていないですし、親水公園建設にむけて、最大限努力する決意です」
「鳥獣被害についてはまったく関係ありません」
 議場と囲み取材でのしおり市長の映像が、次々と流れた。
 前後を切って、細切れで。
 やられた!私は血の気が引いていくのを感じた。

vol.8に続く ※このお話はフィクションです

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