しおり市長の市政報告書 vol.23

   1月4日午後8時11分

「完全に追い詰められたな」
 丹羽りょうたろう議長がバリトンで発言すると、ますます深刻さが増す。
 私と森次郎副市長は、深くため息をついた。
 三宝寺の庫裡でのことである。
 市と商工会議所が主催する「新年賀詞交換会」のあとだった。市役所職員、議員、公民館長など地域の代表者、学校関係者、農業や商工や建設などの各種団体の長、天童市の財界の面々などが勢揃いして新年を祝う会だ。
 温泉のホテルで例年なごやかに酒を交わすが、今年は非常に苦しかった。
 ここに集まる人は市長に好意的な人が多いし、報道と実態が大きく違うことはわかっている。が、報道を信じている(あるいは市長批判のためにあえて信じ込んでいる)人もいて、市長の新年のあいさつは、なかなかに微妙なものになった。
 美味しくない酒を早めに切り上げて会場をでた私に、議長から電話が入った。
「近しい者だけで、善後策を話し合うぞ。三宝寺まで来い」
 市長、丹羽議長、森副市長、そして私の四人が集まることとなった。私は場違いな気もするが、織田ケンイチ代議士の秘書を務めた、いわば子飼いの議員として「今こそ恩義を返せ」と丹羽議長から呼ばれたのだ。
 さすがにどこかの居酒屋で話すわけにもいかない。そこで、賀詞交換会にでていた武田住職が、うちの庫裡をつかえ、と言ってくれた。住職は気を遣って同席しなかったが、奥さんのおせちを出してくれた。
「正月だ。出羽桜の雪漫々を特別にだしてやる。元気だして話せ」
 と住職は笑ったが、せっかくの料理も雪漫々も、心の底から楽しめなかった。
「もはやマスコミ対応は諦めるしかないでしょう。人の噂も七十五日。騒ぎが沈静化するまで待つしかないんじゃないですか」森副市長が、穏やかに言った。
「だが、なんの対策もしなきゃ、次の選挙で負ける」丹羽議長が、ずばりと指摘した。
 織田ケンイチ代議士の秘書として、数々の選挙を戦ってきた議長の言葉には重みがある。
 私は、選挙のことだけ考えるような政治家は好きではない。
「政治屋は次の選挙のことを考える。政治家は次の世代のことを考える」
 と、二十世紀初頭のアメリカの上院議員ジェイムズ・ポール・クラークも言っている。まさしくその通りだと思う。
 しかし、政治家は選挙で落ちればただの人。
 自分の政策実現のためには、選挙に受からなくてはならない。選挙に受からなくては、次の世代のことを考えることもできない。
 市長として、6万2000市民のトップに立つ者として、天童の次世代に責任ある者として、選挙に勝てないから仕方ない、では済まないのだ。
 しおり市長を見ると、他人事のような顔で、美味しそうに雪漫々を飲んでいる。
 おい、コラ。誰の心配してると思ってんだ?そもそもあんたが、議会で伊達と衝突したことから始まったんだろうが。松永を敵に回したのも、あんたでしょ?もっと危機感もてや!
「市長、どうするつもりですか?」私は、イライラしながら市長にふった。
 しおり市長は、雪漫々の味見をじゃまされた、とでも言うように、頬をふくらませながら、「事業で挽回するしかないですわね」と、こともなげに言った。
「いや、そう簡単に言われても…」
「だって、マスコミにはいくら言い訳してもダメなんですもの」
「でも、これだけ攻撃されてるんですよ?」
「いや、それが正しいかもしれん。そもそもマスコミに対処しようなどとしても、こちらの主張に耳を貸すわけがない。マスコミに言い訳すれば、やつらは面白がるばかりで、火に油を注ぐだけだ。マスコミなど相手にせんでもいい」議長は切り捨てた。
「私も、マスコミを利用した部分がありますものね。良くも悪くも私の知名度でうまくいった事業もあったことですし。こうやって上げておいて突き落とされるのも、有名税のうちってことですわね」
 しおり市長は自嘲したが、「有名税」とやらを納めて感謝された話は聞いたことがないし、有名税を納めたことで生活を保障された話も聞かない。誰もが有名になりたいわけでもない。有名だったらバッシングされてもいいということにもならない。
 だが、そんなグチも言わず、しおり市長は、
「マスコミや市民が納得のいく事業をやって、ぐうの音も出ないようにしましょ。地元の評判があがれば、今度はマスコミがすり寄ってきますわ」そう、明るく笑った。
 こういう時には、しおり市長の楽天性には救われる。
 暗い顔をしてるから、事態が解決するわけでもない。悩んで苦しんだから、いい政治家なのでもない。この楽天性こそトップの資質だろう。しかし…
「そうは言っても、ぐうの音も出ないくらいの事業ってのが、やれるんでしょうか?」どうしでも私は悲観的な発言をせざるを得ない。
「事の発端となったのは、留山川ダム湖畔の親水公園づくりだ。これが象徴的な事業だろうな」議長が指摘する。
「そうですわね。ことの起こりはワイドショーでも放映されましたから。これだけ注目された事業というのも、天童では初めてかもしれませんわね」
「悪い意味での注目でしょう?だいたいあの事業は、当初の構想より予算がかかってしまうために、議会を通せなかった事業ですよ。いま提示している予算を大幅に増額はできませんよ?議会が反発します」
「予算を増額しないで、市民が納得する親水公園か…」私の指摘を受けて、副市長がうなった。
「予算だけではないですよ。留山川ダムは山奥にあるから、なかなか人が訪れる場所ではないです。それでも、地元の田麦野地区の人たちは、ダム建設を契機にたくさんの交流人口が生まれることを望んでいます。実態と地元の願いを両立させる親水公園が構想できなかったから、なかなか事業が進まなかったんでしょう?」
「確かに、親水公園を作るのはいいが、内容が伴わないなら、そんなに予算をかける必要性があるのか、というのが議会の論調だな」
「議長の言うとおりです。しかも、この事態になって、市長が農業を軽視している、というイメージも払拭しなければなりません。もっと言えば、ダム建設時からあった、環境団体からの反対運動も息を吹き返してます。農業問題や環境問題、こうした部分にも答えを用意しなければなりません」
 楽天的になりたいが、楽観できる状況ではない。 
「そもそも、なんで市長が農業を軽視している、なんてことになったのか…」副市長が深いため息をつく。
「確か、『農業は問題にしていない』とか『鳥獣被害についてはまったく関係ありません』とかの台詞を、切り取って報道されたのが始まりです」
「だな。田麦野地区は、農家が中心の地域だが、中山間地域の不利がある上に、クマやサルやイノシシの鳥獣被害が大きい。サルに食わせるために農業やってるようなもんだ、なんぞと地元の人も嘆いてるよ」議長は声を出さずに笑った。相変わらず渋い。
「苦しい状況の中で、農業や鳥獣被害について軽視している、と吹き込まれれば、敏感に反応するでしょう。今のところ、松永の完勝、我々の完敗です」
「しかも、じっくりと構えている暇はない。時間が経てば、取り返しが付かなくなってしまう。悪いなりに注目されているこの状況で逆転しなければ、大量失点のみ残すことになる。逆にあざやかに逆転すれば、こちらの得点にもなり得るだろうが…。タイムリミットは、当初予算がでる三月定例会までだな。そこでなんらかの形を出せなければ、期を逸するだろう」
 選挙で百戦錬磨の議長の嗅覚だろう。
 この指摘は大きい。早めの対処があれば逆転の余地がある。しかし、時間を浪費すれば、浮き上がる目はない。
「あと、2ヶ月か…」
「待って下さい!もう、来年度予算の枠組みはほぼ固まっています。いまさら予算の大幅な変更はできませんよ?」副市長があわてた。
「わかっている。予算の大幅な増減はなしだ。予算を変えずに、内容を変えることで対処するしかない」
 議長も十分にわかっている。
 天童の当初予算は一般会計で二百数十億。それを、人件費、総務費、商工観光、建設、農業、福祉、あらゆる分野に分配して予算組みをする。その作業は、前年の7月には市役所内で始まり、9月には各部署からの予算要求。市長がその要求に対して許可不許可の判断を下し、あるいは新規事業を加え、12月末までには概算ができる。1月では微調整しかできない。
 それほど予算の構築は複雑で、時間がかかる。行政の動きが遅いと言われる要因の一つが、ここにある。
「内容を変えるといっても、今うちの職員はほとんど機能してません。マスコミ対応や市民からの苦情への対処で、半分マヒ状態です。この状態で、事業の立案は難しいと思います!」
 副市長が嘆くように、今、市役所は大混乱だ。
 市役所職員は400人ほどいるが、もちろんそれぞれの部署の仕事がある。行政改革の波で、職員の数も大幅に減っている。その中でこの電話の嵐では、すぐに業務がパンクしてしまう。
 数人を集めて外部との折衝を遮断し、この事業の特別チームを作ることはできるだろう。しかし、役所の職員は本質的にじっくりと事業をつくりあげるものだ。実務的なことをこのチームに命じるとしても、大枠の内容は誰かが即断しなくてはならない。
 誰が決めるのか。
 それは一人しかいないだろう。
 自ずと我々3人の目は、彼女に集中した。

 今こそ、あの言葉を聞きたい。
 どんなに私が苦労することになってもいい。
 さすがに今回だけは、あの言葉が聞きたい。
 この危機を乗り切る、魔法のようなアイディア。
 詭弁でも、黒魔術でも、詐欺でもいい。
 「いい事業(こと)」思いついてくれ!

 必死のまなざしで見つめる先で、市長は可憐に笑った。
 いよいよ出るか、名台詞!と思ったが、市長は無言だった。
 舌をちょっと出して、首をかしげ、肩をすくめてみせる。
 その仕草は、タイキックばりの衝撃的なかわいさだったが、このシチュエーションではがっかりくることこの上ない。
 我々3人は、深く深く深く、ため息をついた。

vol.24に続く ※このお話はフィクションです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?