しおり市長の市政報告書 vol.13

   1年10ヶ月前2月5日午前10時13分

 二日後、月曜日。
 私は市役所の建設課に顔を出していた。
 私の携帯には、朝からもう数本の電話が入っていた。曰く、「うちの前の道路の除雪がなっていない」「除雪に来るのが遅い」。だいたいは地元の田鶴町周辺からの電話だ。要は、市議会議員なんだから、市役所に口利きしてうちの地域を優先させろ、ということである。
 だが、同じような電話は、二十二人いる各地の市議会議員全員にかかってきているのだ。つまりは、全地域からうちの地域を優先させろの要望が来ていることになる。
 市議会議員のつらいところは、すぐに他地区の市議会議員と比べられるところだ。別に議員は地域の代表ではなくて、選挙は全市を選挙区とするのだが、やはり各地区の代弁者のような形で当選してくる市議が多い。とすれば、地元の票というものが議員にとっては最重要であり、例に漏れず私も、田鶴町周辺の地元に根ざした議員ということになり、ここからの要望(あるいは命令)には弱い。
 こういう中で市民は、「あの地域の除雪は早い。地元の市議会議員が力があるからだ」などということを言うことになる。これを言われると議員はつらい。
 だが実際は、市議会議員のごり押しによって特定の地域の除雪が優先されるなどということはない(本当に偉いベテラン議員がごり押ししているかは知らないが)。大体職員としてもそんな気を遣っていたらきりがないし、各地域は、除雪する建設業者が決まっているので、越境して業者が他地域を優先するなどはあり得ない。
 ただまあ、昔はそんなこともあったのかも。数代前の市長宅前の道路は、市内で一番早く除雪されていたそうだ。私の知らない時代の話だが、数十年たってもこの件に恨み言を言う市民がいる。除雪を優先させるのも、政治家の評判にとっては善し悪しだ。
 現在となっては、時代も違うし、交通事情も大きく異なる。
 天童市の市道の総延長は、約470㎞だ。マラソンの十倍以上の距離。これを数社の受注会社が除雪していく。当然、自分たちの除雪対象地域を最も効率よく除雪できるルートをとる。その中で、たまたま除雪の早い遅いが出てくるのだ。
 しかも、道路には県道もあれば国道もある。天童市における県道の総延長は約85㎞、国道は15㎞。距離自体も市道に比べて非常に短い上に、予算ももっているから、これらの道路では積雪5㎝で除雪業者が出動する。市道は10㎝だ。つまりは、県道国道の方が早く、きれいに除雪されることになる。しかし市民には県道と市道の差などはわからないから、なんであっちの道路が早く除雪されて、うちの前の通りは素通りなんだ、というような不満が噴出する。(これに農道が加わるからややこしい。農道は冬の農作業まで後回しになることが多い。まあ、この農道に関する事情は、農家の方は詳しいから、それほどの不満は出ないが)
 そうした事情の中で、これだけの大雪ともなると除雪した先から雪が積もっていく。深夜から除雪した場所などは、出勤時間にはもう積もっている、などということもあるのだ。
 限られた除雪車輌で、総延長470㎞の市道を一斉に、早い遅いなく除雪するなど不可能だ。だからこその「うちの地域を優先してくれ」の要望。しかし、それが無理難題であることは、議員なら承知している。
 承知の上で、地元から言われれば市役所に頼まなければならない。それが議員という市民の使いっ走り(いや下僕?)の使命だ。
「なんとか、通学路だけでもうちの地域の除雪、頼めませんか?」
「しかしそう言われましても…。順番にやっていますから、なんとかお待ち下さい」
 建設課の若い市役所職員の迷惑そうな答え。
 先ほどから市役所の電話は、除雪の要望と苦情でひっきりなしに鳴っている。その受け答えだけでも大変なのに、議員への窓口対応などは迷惑なだけだろう。先ほどは生活環境課にも行ってみたが、同じような対応だった。
 市内で地震が発生したような混乱と騒乱。まさに雪は災害だ。
「田鶴町周辺の担当は、最上建設さんです。そちらにお電話してみてはいかがでしょう?」
「はあ…先ほど電話してみたんですけどね」
 対応した女性の返答は同じようなものだった。迷惑そうな口調ではなかったが、疲れきっている声だった。
 後に河川敷パークゴルフ場に協力してくれる最上建設の社長なれば、地域のためにフル稼動で動いてくれているだろう。もちろん、最上建設だけではなく、地域の建設業者とは、地域に根ざし、いざ災害となれば全力で対応してくれる。全力で対応しているが、これで精一杯なのだということは重々承知だ。
 最上社長が以前言っていた。大雪のときは、事務職員を数名、要望苦情対応の電話応対のために貼り付けなければならない、それだけで社員が疲弊してしまう、と。自分もその疲弊の一助となったことを思えば、申し訳ない気持ちだ。
 建設業者というのは、つらいと思う。
 昔は、公共事業というのは儲かったのだろう。しかし、いまや公共事業が儲かるなどというのは幻想だ。なのに、いまだに政治家と建設業者が組んで金を儲けているというイメージがある(東京なんかの大都市のことは知りません)。そのイメージは、明らかにマスコミによってつくられている。だから、行政はマスコミから批判されないように、入札制度で建設業者を締め上げる。
 「コンクリートから人へ」などと言って、建設業者を追い込んでおきながら、いざ災害が起こると頼るのは建設業者だ。しかも苦情こそ言われ、感謝されることはない。
 除雪作業も一緒だ。
 雪はいつ降るかわからない。まして災害クラスの大雪は、数年に一回。建設業者としては、除雪車輌などへの設備投資を無制限にするわけにはいかない。雪も降らないのに、つまりは仕事にならないのに、高級外車よりも高い除雪車輌を購入するわけにはいかないのだ。購入費用を行政が負担してくれるわけでもない。
 さらには、人材不足というのも大きい。今、建設業界は極端に人材が払底している。人そのものも足りないが、経験豊富なベテランも少なくなってきたため、新人が多くて経験が足りない。同時に、車輌と同じで除雪のためだけに過度な雇用をするわけにもいかない。人も経験も足りないから、大雪の際に手が回らないのだ。
 かといって、大雪が降ったから業者が大儲け、というわけでもない。建設業者は地域毎に区分された除雪の仕事を落札するが、あくまで入札だから、ギリギリの値段で落札する。当たるかどうかわからない、リターンの少ないギャンブルのようなものだ。
 それで、大雪が降れば苦情の嵐、ではやっていられないだろう。
 もう一つ、天童ならではの事情がある。
 天童は「除雪が下手だ」と言われる。
 天童は山形内陸部でも最も雪が少ない地域だ。それなのに豪雪地帯の最上地域や置賜地域よりも、天童は道路に雪が残って、道幅が狭くなっていることが多い。
 雪が多い場所の建設会社よりも技術的に劣るのかもしれない。新人のオペレーターは特に、下手な部分もあるだろう。
 しかし大きいのは、「排雪」をしないことが原因だ。「除排雪」と一言で言うが、除雪とは道路に積もった雪を道の脇に「除ける」こと、排雪とはたまった雪をトラックなどに積んで他の場所に「排除する」ことだ。
 天童では、車両が通行できるように除雪を行うが、道の脇にたまった雪を排雪することは極力おこなわない。排雪しなければならないほど、雪が降らないからだ。逆に豪雪地帯では、排雪を行わないで除雪しただけでは、早晩道路が雪で埋め尽くされてしまう。だから小まめに排雪を行うのだ。結果、雪の少ない天童では脇に除けた雪に圧迫されて道幅が狭くなり、豪雪地帯の道路は雪がきれいに取り払われる、というような皮肉な結果を生むのだ。
 それでも天童が排雪を行わない理由は、ひとえに予算の問題だ。
 天童の除雪費は一回の出動で、約2千万円かかる。これの回数が増えれば増えるほど予算がかかっていく。雪が一番少ない冬で、1億5千万円ほどの除雪費用だ。
 ところが排雪をしようとすると、この金額が跳ね上がる。
 ユンボでトラックに雪を積み、それを川原などの排雪場まで運んで棄てるのだ。土砂を運ぶ土木事業を市内全域で行うようなものだ。予算がかかるのも当然だろう。
 天童で排雪事業を行わなければならないほどの大雪のときは、4億円以上の予算がかかってしまう。少ない時と比べて3億円ほどの差があるのだ。短い市道なら一本新設できるほどの予算だ。
 雪などは春になれば消えるのだ。思えばこれほど無駄な予算はない。
 ある大工さんが言っていた。大雪のときに雪下ろしを頼まれたときは、代金をその場で請求しなければならないのだそうだ。そのときは困っているから感謝されて快く払ってくれるが、春になって取りに行っても、のど元過ぎればなんとやら、もう消えてしまったものにお金を出すのが惜しくなってしまうという。
 ならば排雪を我慢して、除排雪予算を減らそうと思うのは当然。
 天童の一般会計予算は年間240億円ほど。除排雪費用の割合は、雪が少ないとして0,6%ほど、大雪の年で2%ほどの金額となる。聞けばある豪雪地帯の市では、一般会計130億のところに、平均して7億もの除排雪予算だという。実に5%以上もの予算が、「無駄に」消えていくのだ。
 「地方創生をしろ」などと、政府は簡単に言ってくれる。が、雪国のこういった事情を鑑みて、各地域の制度に差をつけてくれなければ、雪国のインフラはどんどん置いていかれるだけだ。
 天童市民の皆さん、こういった事情があるので、ある程度「天童の除雪が下手」だと思っても我慢して下さい。すべては、地元の発展の為なのです。
 しかし、今年は我慢というわけにはいかないだろう。
 建設業者もつらいが、市民もつらいのだ。

 建設課の窓口で、たいした成果も得られなかった私は、とぼとぼと市役所の階段を下った。
 すると、商工観光課の前で騒ぎが起きていた。
「観光客が転んで怪我してんだず(してるんだよ)!駅から温泉までぐらい、優先して掃ぐべぎだべ!」
 商工観光課の職員に怒鳴っているのは、上杉浩平温泉組合長だった。
「雪さ慣れでる人ど違って、東京からの客なんか雪の上歩き慣れでねえんだがらよ。転ぶのあだりまえだべした(当たり前だろ)。転んで怪我なしてみろ(なんかしてみろよ)?天童さな来てけねじぇあ(天童になんか来てくれなくなるぞ)!」
 どうやら観光客の歩行に支障を来しているようだ。それはそうだろう。たった数センチの雪が降っただけでパニックになって転倒骨折が続出するのが都会だ。東京などから来た観光客が、地元の人間でも難儀する大雪に遭えば、往生するに決まっている。
「とにかぐ、天童のイメージのためにも、温泉地域ば(を)優先して除雪してけろず(くれよ)!」
 まあ、言いたいことは十分にわかるが、なかなが難しい要請だ。
 私は上杉組合長に見つからないように通り過ぎようとしたが、
「ああ、おい、羽柴!お前がらも頼んでけろず!」
 と、めっかっちゃった。
 ため息混じりに近づくと、上杉組合長が切羽詰まった表情で、商工観光課長が困り果てた表情で、私を迎えた。私も課長と同じような表情をしているのだろう。
「組合長、話は聞いてましたけど、なかなか厳しいっすよ。どこでも同じような状況なんですから」
「んだげどよ。観光業さ(に)、大打撃だずは(慨嘆)」(ちなみに、山形弁の「は」は非常に使い勝手がいい。TPOによって、これ一文字で「した」という過去形、「してしまった」という完了形に、詠嘆・慨嘆などのニュアンスも表す)
「それもそうでしょうが、私の地域からも除雪してくれって矢のような催促です。ですが、今も建設課や生活環境課にお願いにまわって断られました。市内全域、今は災害時と一緒です」
「それはわがってるんだげんともよお(わかってるんだけどもさ)。俺も今、建設課にもいって断られだがらよ。でもなあ、観光客からの苦情、すごいのよ」
 建設課がダメなら、観光を掌理する商工観光課、ということでこちらで怒鳴っていたのだろう。上杉組合長はため息をつきながら肩を落とした。
 上杉組合長は、40代半ばで、市内有数の温泉ホテルの社長だ。上杉さんで三代目となるが(天童温泉は開湯100数年の比較的新しい温泉地)、先代社長から若くして社業を引き継ぎ、さらに若くして10社ほどある天童温泉の組合長にも就任した。「若くして」といっても私から見れば大先輩。温泉の若手経営者のリーダー的存在で、私もよく飲みに連れて行ってもらっている。
「なんとが、市長さお願いしてもらわんねべが(お願いしてもらえないだろうか)?」
 そう、すがるように頭を下げられた。お世話になっている大先輩に言われるとつらい。
 私は農家でもないので、選挙の時それほど農業票は期待できなかった。特定の職業や労働組合などの後押しがあったわけでもないので、地元はともかく、私を応援してくれた組織票はほとんどない。
 そんな中で、上杉組合長は「若手のやる気がある奴が出馬するなら」と応援してくれた方だ。
 本来、観光業は票にならない。バブル時代にはそれぞれの旅館ホテルは勢いがあって、行政の助けなど必要ともしていなかったし、選挙で特定の議員を応援すると、他の議員からの反発で商売に影響することを恐れてしまうからだ。
 しかし、上杉組合長は、
「これからは、行政と組んで景観づくりをしなければ観光は立ちゆかなくなる。まずは天童温泉に来る客の分母を増やすことだ。それぞれの旅館ホテルが分子を取り合うのは、分母が大きくなければできない」
 というのが持論で、積極的に政治行政に関わってくれる。
 そんな組合長の頼みだ。むげに断るわけにもいかない。
 それに、こんな苦労を私だけで背負い込むのは理不尽だ。ここは一つ、行政のトップたる市長に矢面に立ってもらうべきだろう。
 責任転嫁、バンザイ。
 私と組合長は、商工観光課のある2階から、市長室のある3階へ向かった。
 秘書係の山内さんに市長への面会を頼むと、「市長は不在で…」という答えだった。
「羽柴が、一本杉の揚げまんじゅうを持ってきたと伝えて下さい」
 私がそう言うと、山内さんは市長室に入っていき戻ってくると、「どうぞお入り下さい」と私たちを招じ入れた。
 わかってるぞ、コラ。どうせ雪関係の陳情だと思って雲隠れしようって腹だろう。豪雪対策緊急本部が立ち上がったのに、市長が不在なんてあるか!いなけりゃ問題になるだろ?居留守なんか使いやがって。相変わらず都合の悪いときには逃げ腰だな。案の定、食いもんにつられやがった。外はかりかり、中はほわほわ、ほどよい甘さの天童名物、一本杉の揚げまんじゅう。嗚呼…。って我慢できないんだろ?騙されやがって!
「失礼します」
 市長室に入ると、しおり市長は私の他に上杉組合長の姿を認め、私の手にまんじゅうがないことを確認すると、私を一瞬にらみつけたが、
「あら上杉組合長、いらっしゃいませ。今日はなんのご用ですの?」
 とすぐに笑顔を取り繕った。
 ふん、ざまあみろ。昨日の箸置きのお返しだ。大方、俺が入ってきたらストレス解消に俺をひっぱたくつもりだったんだろ?当てが外れたな?
「市長、実はよっす(実はですね)…」
 上杉組合長は、駅前通りの雪の状況を説明しはじめた。
 天童温泉は、山奥にではなく、天童駅から徒歩五分の所に位置する温泉街だ。街中にあるので飲み屋街にも近く、交通の便がいい天童という立地の良さから、県内でも人気の高い温泉地である。(ちなみに山形県は35市町村すべてに温泉が湧く温泉県だ。県外の皆さん、ぜひお越し下さい)
 だからこそ、温泉客は駅まで電車で来て旅館ホテルに向かう人も多い。
 そんな中、歩道にも車道にも雪がせり出して、歩行に支障を来している。転倒するお客さんも多く、苦情が出ているという。
「苦情って…。雪国に来たんですから、雪があることに苦情を言われても…」
「そりゃそうなんだげどよ。そりゃあ、ハイヒールどが裏がツルツルの革靴で歩く方がワれ(悪い)、山形県民なら転ばねぞ、って言ってやりだいのは山々なんだげど。そだなごど(そんなこと))、言えるわげもないしなあ」
「それはそうですわね。ですが、雪のない国の人なんかは、むしろ雪を見に日本に来るんですよね。雪を楽しんじゃえばいいのに。私なんか雪、好きですけど」
「そりゃ市長、たまに見っからよお。実際住んでれば、雪なんかないほうがいいに決まってるべした」
 上杉組合長は、しおり市長がまだ天童に住んでいないような言い方をした。
 織田しおり市長が誕生してまだ二ヶ月。天童市民の中では、いまだにしおり市長を東京の人間だという認識が根強い。しょっちゅう天童に帰ってきていたとはいえ、本拠は東京だったのだから、こう思われるのはある程度仕方ないとしても。
 だけど、上杉さん、市長は雪かきなんかも好んでするんですよ。スキー・ボード、カマクラづくり、雪合戦、雪遊びも大好きなんですよねえ。そうは思ったが黙っていた。
「除雪が大変なのはどうしようもないですが…。そうですわね。せめて駅前だけでも、雪を楽しめれば…」
 唇に人差し指をあて、小首をかしげるしおり市長。
 相変わらずその仕草が可憐だ。
 しかし、私はその仕草に背筋が寒くなる。次の瞬間、その悪い予感は的中する。

「いい事業(こと)、思いついだっきゃ(思いついちゃった)」

 しおり市長は、私を振り向いて笑った。
 おいおい、やめてくれ。余計なこと思いついたのか?
 こういうときは俺が苦労する!
「羽柴議員、すぐに米沢に向かってくれません?」
「よ、米沢ですか?急になんですか?天童でこれだから、米沢なんかもっと大雪ですよ?だいたい私は地元の雪の対応で…」
 と言った瞬間、パピシーン!と私の後頭部が音を立てた。
 見事に上杉さんに見えない角度で、私の頭を平手打ちする市長。
 眼を回す私と奇妙な音に、きょとんとする上杉さん。
「嘘ついでまで私にやっかいごと持ち込んだのは、ケーちゃんだべ?黙って言うとおりにしろ。ついでに明日、一本杉の揚げまんじゅう、買ってくるごど」
 しおり市長は、花びらのような唇を私の耳に近づけて囁く。
 まったく、そんなシチュエーションで囁かれるのは、愛の睦言であってほしいものだ。
「上杉さん、温泉組合もぜひ協力して下さいね?」
 市長の意図を把握できない上杉さんは、黙って頷いていた。

vol.14に続く ※このお話はフィクションです

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