しおり市長の市政報告書 vol.15
11ヶ月前11月2日午前11時23分
しおり市長の危機から、11ヶ月前。
しおり市長が当選して、ようやく1年がたとうという秋。
11月のその日は、天童高原で新そばの賞味会があった。
またも天童高原。この年は雪でひどい目に遭った。さすがに11月にはまだ雪はなく、秋の紅葉が眼に鮮やかだ。今シーズンこそ、大雪でないことを願う。
天童高原では、そばの栽培を行っている。「でわかおり」という品種で、非常に香りと甘みゆたかなそばだ。そばというのは花粉が飛びやすいので、近在にそば畑があると品種交配が簡単におきてしまう。その点、天童高原はちょっとした高地なので、ここまで他のそばの花粉が飛んでこない。天童高原は、純粋な「でわかおり」のそばが楽しめる、実はそばの名所なのだ。
だから毎年、新そばができると、市長以下市役所職員や我々市議会議員、地元の方々や関係来賓を呼んで、新そばの賞味会を行う。
私は楽しみに山を登っていった。
そもそも山形県民は、すさまじい麺好きだ。そうめんもうどんも、ラーメンもそばも、ものすごく食べる。
納豆をタレにしてひきあげうどんにするひっぱりうどんは絶品で、冬はひっぱり、夏はそうめんというのが山形内陸部の昼の定番だ。ラーメンに関しては、一人あたりのラーメン消費量日本一だったという記録もある。そもそも店で出すラーメンの量が、東京の倍はある。味にも非常にこだわるから、ラーメン店はちょっとやそっとの味では生き残れない。そのかわり、生き残っているラーメン屋はすごく流行る。山形は「冷たいラーメン」発祥の地であるが、暑い夏でもラーメンを食べたいという情熱がこの発明を生んだ。まあ、山形県民は夏でも熱いラーメンを食べるが。天童では、昼間に来客があると出前のラーメンで客をもてなすという奇妙なならわしもある。
しかし、そんな中でも県民誇りの麺といえば、そばである。
やれ江戸のそばだ、信州そばだ、と言っても山形県民は鼻で笑う(東京・長野の皆様、ごめんなさい)。絶対に山形のそばの方がうまい、という誇りがあるのだ。かく言う私も、これに関しては確信がある。田舎そばだけではない。更級でも二八でも、山形のそばはつゆも含めて大胆かつ繊細な味なのだ。
そして、その山形県民の私にして、ちょっと他では味わえないと思うのが、天童高原でわかおりの新そばだ。
数年前に新しく建った天童高原のロッジで、百人ほどの客にそばがふるまわれた。
天童高原を指定管理者で運営しているNPO法人の会長自ら、その場で打ってゆでた麺。少し甘めのつゆですすると、香りと甘みが口に広がって…
天童高原でとれた山菜の天ぷらも最高だ。
しおり市長を見ると、すでにおかわりしている。おいおい、今日は五百円会費でおかわりなしのはずだぞ。まあ、笑顔満面で幸せそうなしおり市長のおねだりを断れる男などいないだろうが。
「いやあ、ホントに美味しいですねえ」
隣の席から話しかけられた。厳つい制服に身を包んだ、精悍なお方。
陸上自衛隊第六師団の幹部の方だった。
お隣東根市の神町に駐屯地をもつ、第六師団と第二十連隊の自衛隊員は、ここ天童市にも多く住んでいる。だけではなく、この天童高原は自衛隊の冬季訓練、雪中訓練、スキー訓練などの訓練場として使われている。
その縁で、スノーパークフェスタの際にはカマクラづくりをしてもらっているし、この新そば賞味会にも来賓として招いている。
「いや、天童市さんにはいつもお世話になっていますよ」
「いえこちらこそ。私も隊友会の皆様とは親しくさせてもらっていますし」
隊友会とは、自衛隊OBの会だ。県内・県外出身の自衛隊退官者で、天童や東根に定住する人は多い。
「そうですか。自衛隊出身者の再就職という意味では、天童市の企業さんは積極的に協力してくれています。ぜひ今後とも、お力添え下さい」
「もちろんです。自衛隊のOBの方はいろんな技能と資格をお持ちですからねえ。人材としては引っ張りだこでしょう」
「いやいや、なかなか五十を過ぎてからの就職は、実際には厳しいものですよ。議員にも色々とご紹介してもらえるとありがたいです」
一般の自衛隊員の定年は、五十代半ばと若い。
体力勝負の自衛隊としては仕方ないが、その後は自衛隊の予備役隊員として一般就職し、第二の人生を歩むこととなる。天童にはそうした人材を積極的に受け入れる企業もあるが、確かに五十代半ばからの再就職には苦労もあるのだろう。
そんな話をしながら、そばを楽しみ尽くし、帰ろうとすると、
「東京の娘さ(に)、何がわがるんだがよ(何かわかるというのか)!」
という声が響いた。
見るとしおり市長と60がらみの男性がにらみ合っていた。
あれは、農協理事の一人だ。確か毛利という名前だったと思う。1年前の市長選挙では、伊達を応援していた人だ。選挙が終わってからも、市長を敵対視し、ことあるごとに市長の悪口を言い、市長がいるときでも聞こえる声で文句を言ったりする。しおり市長も随分と(私の前では)ひどい悪口を言っていた。
どうやらついに激突したらしい。
あわてて農協の組合長と副市長が割って入り、なだめようとしている。
それでも毛利はおさまらないようで、「ひとまず別室に」とか言って副市長が二人を隔離しようとしていた。そりゃ来賓がたくさんいる中での口論はまずいだろう。
くわばらくわばら。
巻き込まれないように帰ろ、と逃げようとしたが、その瞬間、しおり市長から睨まれ、アゴで「こっちゃ(こっちに)来い」と呼ばれた。なんでいつも俺をやっかいごとに巻き込む?
私は肩を落として市長についていった。
賞味会の客がみな帰る中、別室に入る。
どうやら毛利農協理事が、農業問題について市長に問いただしたらしい。
あとで聞くとそれはどうやら難癖だったようだ(あくまでしおり市長談)。
曰く「農業の現状を、天童市はどう解決するつもりなのか」「農家でもないくせに、農業のことがわかるのか」。
それに対して、しおり市長もそれなりに真摯な回答をしていたらしいが、それに対していちいち「農業の現場がわかっていない」とか「そんな簡単に農業を考えてもらっては困る」とか、終始否定してまともな議論をしようとしなかったらしい。
要は市長選挙に負けた仕返しに、若い市長を凹ませてやろうという魂胆だったのだろう。これではしおり市長が難癖だというのもわかる(これは森副市長にも顛末を確認したから、市長の一方的な主張ではない)。
さんざん頭ごなしに否定したあと、毛利理事が、
「農業わがるのは伊達ぐらいしかいねな。やっぱり伊達が市長になればいがった(よかった)んだ」
と言ったところで、しおり市長がキレた。
「あら、伊達議員はながらく市会議員をされていたんですよね?その間に、伊達議員に頼んで農業問題をすべて解決していてくれれば、私も助かったのに」
とのたまわったのだ。
これで、「東京の娘さ、何がわがるんだがよ!」と毛利理事が怒鳴ることになったというわけである。しおり市長は、痛すぎる部分をつきすぎた。
伊達の実家は農家だから、農家の代弁者、農家の味方、ということで選挙を戦う。だったら、農政がうまくいかないときは伊達が批判されてもらいたい。
だが、ここで大人げなく反撃してしまうのが、しーちゃんのしーちゃんたる所以だ。政治家は絶対に農家を敵に回してはいけない。攻撃はうまくかわせばいいのに。だがまあ、そうやって政治家はサンドバッグになるしかないと思っているからこそ、毛利理事のように一方的な非難を展開する者が出るのかもしれないが。
いずれにしても、森副市長と農協組合長が間に入ってくれてよかった。
農協の松平克彦組合長は、前回の選挙では中立の立場だった。でも織田ケンイチ代議士とは長いつきあいだし、農協は保守系との関係が深いから、どちらかというとしおり市長側の方だと言っていい。
その松平組合長が、毛利理事をとがめた。
「毛利君よぁ(さ)、あんな言い方ないべぁ(だろ)。東京の娘はなにもわがらねべ(わからないだろう)、あて(なんて)言ってだら、誰も天童さ移住してきてけねぐなっじゃあ(くれなくなっちゃうぞ)」
「んだげどもよ。こいづ、あんまり農業のごど、わがらねがらよ」
「農業のごど、農家以外にはわがらねってが(わからないって言うのか)?ほだな(そんな)ごど言ってだら、誰がらも農業ばな(をなんか)理解してもらわんねぐなっぞ(もらえなくなっちゃうぞ)」
静かながら、どっしりと言い聞かせる松平組合長。
そんなに饒舌な方ではないし、声を張り上げることもない方だが、言うべきことは有耶無耶にしないし、しっかりと意見も言う人だ。もちろん農業の造詣が深く、天童の農業の明日を本気で考えている。偏った考えではなく、農業以外の社会とのバランスもしっかりととれる思考の持ち主だ。
日に焼けた肌に、少し薄くなった頭。細い眼は優しげだが、人を説得する力がある。
毛利理事は、市長選に負けた腹いせだったのかもしれないが、それにしても、「農業のことがわからない」などと切り捨てられては、農家以外の人が政治行政を司れなくなってしまう。たいがいの人は、農家ではないのだ。
松平組合長の言葉は、同じ農家の立場なのに、非常に理性的な指摘だった。
「いや、われっけず(悪かったよ)。んでもよ、ながなが国の方でも、農業政策さだまらねべ(定まらないだろう)?なんか農協改革だの(とか)言ってるしよぉ。その辺ば市長、どういう風に考えでんのが(ているのか)聞いでみっだぐってよ(聞いてみたくてさ)」
「なんだ、ほいづば言いだいっけのが(それを言いたかったのか)?最初からほゆふに(そういう風に)言ったらいいっけべぁ(よかっただろ)?」
「いや、んだんだげんとも(そうなんだけれど)、なんか選挙ば(を)戦った相手だがらよ」
そう言ってうつむく毛利理事。
私は少し、笑ってしまった。どうやら国の玉虫色農政や農協改革についての不安を、市長と討論したかったらしい。それなのに、選挙で戦ってきて、これまでも敵対意識をあらわにしてきたものだから、素直に話せなかったようだ。売り言葉に買い言葉、ケンカにはなったが、この人も、農業の明日を憂う、まっすぐな天童の農家さんだ。
うつむく毛利さんを、私は少し可愛く思えてしまった(だいぶ年上だけど)。
しおり市長も、怒っていた顔をとまどわせて、
「そういう話なら、いつでも一生懸命話しましたのに。私も勉強不足ですが、農業は天童の基幹産業ですし、色々教えてもらいたいと思っていますから」
と申し訳なさそうに毛利さんに話しかけた。
ばつが悪そうな毛利理事の代わりに、松平組合長が答えた。
「いや、そういう話なら、俺も不安だぜぁ(だぜ)、市長。一口で農協って言っても、都市部の農協ど地方の農協違うんだがらよ。確かに農協は色んな事業やってるがら、本来の農業支援に力入れろってのはわがるげど。んでも関東あだりの農協ど違って、まだまだ俺ら、しっかり農業のごどやってるし、販路にしたってまだまだ農協ば(を)頼らんなね(頼らなければならない)農家、いっぱいあるんだがらよ」
「それはその通りですわ。大規模農家や若い農家の人は、独自の販路をもっていたり、ネット販売したり、海外輸出すらしてますけど、現実にこれができる農家の方は一部ですしね。農協の役割は、天童ではまだまだ大きいと思いますわ」
「んだのよね。儲がってる農家は儲がってるんだげど。独自の販路っていってもみんなできるわけじゃねえし。ちっちゃな農家は、農協通して売るしかねえべ。まあ、そごでちゃんと手数料はらっても割に合うように、農家が儲がるようにするには、俺ら農協、もっと頑張らんなねげども(頑張らなきゃならないんだけどもさ)」
「ええ、今は農業の過渡期なんだと思います。農家の高齢化がいくところまでいって、たくさんの兼業農家と小規模農家が、後継者がいなくて農業を放棄するでしょう。そうしたときに、農業は法人化したり会社が経営に乗り出したり、大規模化したり、という風に大きく変化するんでしょうけど。今はそこまでじゃないですし、農地の集積化といっても、稲作はともかく果樹は難しいですからね」
「んだがら(だから)、地方ど都市部いっしょくたにして農協改革、っていわれでも、俺ら納得でぎねわげよ(できないわけさ)」
松平組合長も、しおり市長としゃべる時は少しなまりがなくなる。にしても組合長が山形弁でしゃべってるんだから、市長も私としゃべる時みたいに怪しげな山形弁でしゃべればいいのに。
まあ、それはそれとして、農協と農業のことについて話し合う二人の会話を、毛利さんも頷きながら真剣に聞いていた。農家の方にとってはそれほど深い議論ではないかもしれないが、しおり市長も農業に対しての知識がないわけではない。もともと山形の農産物大好き食いしん坊バンザイなのだ。農業には興味もあるし心配もしている。
ここで、農協や農業のこと、あまり詳しくないですよ、という市民の皆様のために、説明を少々。(私もそれほど詳しいわけではありませんが)
農協とはもちろん農業協同組合。大体、行政区に一つあって、県組織、全国組織まで繋がる、一大勢力だ。
認定農家を中心とした組合員で組織されている。(その他に準組合員ってのがいて、これは一般の人でも組合員になれるものだから、これは組合の概念からしておかしいのでは?というのが農協改革では議論されてます。ってか、米の国から指摘されました。この辺は金融あたりの面倒な話なので割愛)
もともとは農家の方々の互助組織として、農業技術の普及指導や農産物の販売などが主の業務であったが、いまや生命保健・共済、不動産業務、旅行業務、自動車販売整備、ガソリン・ガス販売、葬儀場経営まで、幅広く業務を行っている。この辺が、本来の目的から離れているのでは、と言われることにも繋がるが、農家としては、ゆりかごから墓場まで面倒を見てくれるという点でありがたいという側面もある。
当然、農協関係で働いている職員は非常に多い。とくに地方では農協は巨大な組織だ。
そして、松平組合長はその天童農協の巨大組織のトップである。
組合長は、農協理事の中から選挙で選ばれる。理事は、職員枠や女性枠もあるが、基本的に各地区の農家から選ばれてきた、いわば農業の代表者だ。各地域での信頼も厚く、大規模農家であることが多い。その中からさらに選挙で選ばれた組合長は、天童農業の顔である。
市議会でいえば議長だろう。実際、昔は農村部に行くと、市議になるか農協理事になるかといったぐらい、名誉と権威のある立場なのだ。(いまや市議会の方がなり手がいなくて地位が下がっているが。もはや名声欲だけで議員になる時代は終わった)
他にも、農業委員会とか実行組合理事とか土地改良区理事とか、農業にまつわる役職というのはたくさんあり、それぞれに重要であり、地域の名士だ。全部説明するのはやめるが、農業には色んな組織があって、さらに農協内部にも色んな部会もあり、しかもそれらの立場に地域の有力者達が就いていくのだから、横の連携が非常に強い。農協理事は、いわばそうした農業組織の最重要役職といえるだろう。
こうした事情から、選挙ではこの巨大組織を敵に回せないのだ。
さて、こうした農協だが、本来の仕事は農業の技術指導と農産物の販路確保である。
当然のことながら、農産物をつくっても売らなければ金にならない。この資本主義社会、激流のような物流にどうやって農産物を乗せ、卸し小売りまでつなげて売るか、ということが大きな問題となる。それを個別の農家が単独で行うのは非常に困難だった。そこで、つくった農産物を農協に納め、農協がある程度のロットを確保した上で、卸売市場などに販売する、というのが通常の農産物の販売形態だった。農協は売れた金額からわずかの手数料を引いて農家に納金する。農協職員の給料は、この手数料から出ている(あくまで農業の業務の部分では。当然その手数料だけでは巨大組織の運営はできないから、他事業を展開することになる)。
しかし、問題となるのはこの手数料だ。そりゃあ、中間の手数料がない方が各々の農家の実入りはいい。
もう一つは、自分のつくった作物に、自分で値段をつけられないこと。値段は農協と市場などの交渉で決まるからだ。また、どんなに他人よりすばらしい農産物を作っても、他の人たちがつくったものと一緒になってしまって、一人一人の農家さんの顔が見えない、ということもある。
そんなこんなで、直売所が各地にできて、自分たちのつくった作物を、市場を通さず直接、しかも自分で値段をつけて売るスタイルが確立した。また、ある程度のロットを確保できる農家では、卸しを通さずに直接小売りに販売したり、契約栽培を行う農家も増えてきた。
さらに、通信販売、ネット販売が一般化してからは、農協を通さない販売により拍車がかかった。
しかし、こうした直接販売ができるのは、大規模農家や若い農家だ。
小規模農家や兼業農家、または高齢化して新たな販路拡大に消極的な農家は、まだまだ農協に納めて売ってもらうしかない。というよりも、長いつきあいの農協を使うという意識の方が強いだろう。実際、直接の販路をもっている農家でも、一定量は農協とのつきあいをするというのが普通だ。
だから、まだまだ農協が取り扱う農産物の量というのは絶大だ。実際、当たり前のようにスーパーに農産物が大量にならぶのには、このシステムがなければ実現しないだろう。
だが、現在の農業従事者の高齢化は深刻だ。
いずれ、たくさんの高齢化した方が農業を放棄し、法人化した大規模農家などがその土地を引き受けていく、という流れが加速するだろう。現在も、農地を集積し、多角的に農業を行っている農家は、しっかりと儲かっている。そして、そういう農家ではちゃんと後継者がいることが多い。収入がある職には、ちゃんと次世代が続いてくれる。
こうした大規模農家と小規模農家、専業農家と兼業農家。商店にデパートと小さな八百屋があるように、一口に農業といっても大小様々だし、産物も手広く扱う農家と単一の作物に集中する農家、これも様々だ。これを国の政策ではいっしょくたに扱ってしまうから問題が起きる、と個人的には思っている。(大体、二毛作ができるような暖かい地域と、雪に悩まされる北国とが同じ政策でくくれるかね?)
それはともかくとして、いずれそうした農地集積がすすむしても、田んぼと果樹畑では事情が異なる。
かなり機械化された農業において、稲作は一人でかなりの面積を耕作することができる。稲作農家ならば、耕作を諦めた田んぼを借りたり買ったりして、面積を広げることが可能だ。しかし、果樹はそうはいかない。どうしても手作業が多くなる果樹は、一人でそんなに多くの面積を引き受けられないのだ。だから、農地の集積を進めるにしても、稲作はともかく果樹はむずかしい、ということになる。
以上、さきほどの市長と組合長の会話の解説でした。市民の皆様、長くて拙い説明、お聞き頂きありがとうございました。
一方、市長と組合長の農業に関する話は続いていた。
「まあ、農協改革はともかぐ、中山間地の果樹畑、放棄地が多くて困ったのよは(詠嘆)。その土地引き受げる人もいねしよ。その問題だげでも、市の力借りらんねべが(借りられないだろうか)?」
「そうですね…。そんなに簡単な解決法はないと思いますけど…」
「わがってるげどよ。今のうちなんとがしておがねど(おかないと)、山の方は、ますます荒れでしまうだげだじゃあ(だけだぞ)」
天童の地形は、典型的な扇状地だ。
北部を走る乱川と南部を走る立谷川、中央を走る倉津川などが、東側の山地から支流を集めて西進し、やがて天童最西端を南北に走る最上川へと流れ込む。だから、天童の東側は、奥羽山脈に繋がる山岳地帯、西側は平坦な土地、ということになる。
東側山岳地に近い集落や耕作地を中山間地域と言うが、ここは自然、斜面が多くなる。さらに扇状地の上流は水はけがいい。つまり、稲作にはむかず(田麦野の美しい棚田もあるが)、果樹地帯となる。
このことが先程来の問題とあいまって、耕作放棄地を増やす要因になっている。
「わかりました。自信はありませんが、里山の整備は私も思い入れがあることです。少し、考えてみます」
「頼むちゃあ、市長」
珍しく誠実に、しかも自信なさげに言う市長に、組合長は握手した。
そのあと、毛利さんが進み出て、躊躇しながら握手を求めた。そしてぼそりと、
「さっきはわれっけな(悪かったな)。市長が農業のごど、考えでけでんの(考えてくれていること)、わがったがら」
と目を合わさずに呟いた。
なんとも不器用なことだ、と私は微笑んだ。この毛利さんが、後に市長の大ファンになってくれるのだから、人間関係というのはわからないものだ。
vol.16に続く ※このお話はフィクションです
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