しおり市長の市政報告書 vol.2

   天童市概論

 山形県天童市。
 人口6万2千人ほど。面積は113㎢。
 山形県の内陸部にあり、県都山形市のすぐ北隣に位置する。位置的には便利な場所であって、交通の要衝と言っていい。
 その位置を活かして、山形市のベッドタウンとして住宅を増やし、また、会社や工場の集積をはかって、戦後着実に人口を増やしてきた。昭和30年代には3万人台だった人口が、平成6年には6万人に達した。
 とは言え、大都市とはとても言いがたく、田舎の小都市以上ではない。
 中心からちょっと離れれば、のどかな田園地帯が広がり、東部は奥羽山脈がせまって高原地帯の風景も間近だ。
 市街地の発展と周囲の自然が調和している、と私は前向きにとらえている。
 名産といえばなんと言っても将棋の駒で、全国の製造のシェア90%を超える。温泉も有名で、農産物もさくらんぼやラ・フランスを中心としたフルーツをはじめとして米作も充実しており、木工や酒造などのものづくりも誇れるところだ。
 よく言えば、ある程度なんでもそろっている。
 悪く言えば、そろってはいてもどれも中途半端。
 人口を増やし続けていたころは、「青年都市天童」と謳って、どの分野も発展し、燃えるようなパワーで上昇できた。
 しかし、少子化の波は天童にも例外なく襲いかかり、守勢の時期に入ると、どれかの分野に集中することができないためにパワーが分散し、「なんでもあるけど、これ!ってものがない天童市」という評価を、市民から下されている。
 人口も平成17年の6万3千人余をピークに微減している。
 めでたく数年前、日本創生会議から消滅可能性都市の一つに数えられた。
 しかしながら、もちろんまちづくりに熱い人は多いし、着実な発展はしている。天童市の財政指標もたいへん良好だ。
 私としては、まだまだ地方創生できる力をもった市だと確信している。
 事実、ある機関の調査で「住みやすいまち」のランキングは常に上位をキープしている。
 しかしながら、どこにでもある地方都市。
 それが天童市だ。
 その天童市で、全国最年少の市長として織田しおり市長が誕生したのだった。


   12月8日午後3時35分

 すぱきーん!
 という乾いた音が、私の頭で鳴った。
 市長室に足を踏み入れた瞬間だった。
 炸裂音のあとに、じんわりとした痛みが襲ってきた。
 しおり市長が持っていた書類で私の頭をはたいたのだと気づいたのは、頭を抱えてうずくまったあとだった。
「むかつくー!むかつくー!まったくむかつくず!」
 ぷんぷんと怒りながら、書類を振りまわしている。その様子が可愛らしい。あまり使い慣れない山形弁も、しおり市長クラスが言うと可愛い。
 いやいや、そういうことじゃない。
「市長!いつもいつも私の頭を叩かないで下さいよ!」
 すぱきーん!
 再び頭の上で破裂音。
「いいべした(いいじゃん)!ケーちゃんの頭くらい好きに叩かせてよ」
 再びうずくまりながら、私はため息をついた。
「市長。市役所ではケーちゃんはやめて下さい。公私混同です」
 立ち上がりながら、私はせめてもの抵抗をすべく抗議した。
 小さい頃ならともかく、この年で「ケーちゃん」などと呼ばれると、周りから妙な誤解を受けそうだ。
「まったぐ、むかつくど思わね?あの伊達の野郎」
 私の抗議を無視しておいて、しおり市長はまだぷんぷんと怒っている。
 議会終了後、しおり市長から目で合図された。市長室に来いという意味だと理解した私は、議員たちがおおむね帰宅し、マスコミがひけるのを見計らって、市長室に訪れたのだった。
 そこでいきなり頭をはたかれる。
 どうやら、単なるストレス解消とグチを言う対象が欲しかっただけだったらしい。
「本っ当にネチネチくどくど。嫌みったらしくて、マジむかつく。しかもあのヘアジェル。うー、思い出しただけで気持ぢわれず(気持ち悪いわ)!」
 微妙にアクセントが違う山形弁。
 国会議員の娘だった関係上、東京の生活とこっちの生活が半々だったしおり市長は、基本的に標準語である。生活のベースは東京だったし、学校も東京の学校に通っていたからだ。
 しかし、ケンイチ代議士の地元天童にもしょっちゅう来ていたため、山形弁は理解できる。理解はできるが、使い切れるかというとまた違う。だから、微妙にたどたどしいなまった山形弁(?)になってしまうのだ。
 これを、しおり市長は私の前では好んで使う。
 私以外には使わない。どうせなら天童市民に接するときには、山形弁でしゃべればいいのに。標準語でしゃべると、「気取っている」ととられて、政治家としてはあまり評判がよろしくないのだ。
 私も東京の大学に通っていたから、帰ってきて標準語でしゃべったら、「なんだがお高くとまってるんねが(じゃないか)?」と批判された。だから、市議会議員として立候補してからこのかた、なるべく市民とは山形弁で接するようにしている。
 しかし、しおり市長は逆だ。私にしか山形弁でしゃべらない。
 私個人は、このなまった山形弁(?)は可愛いと思うのだが。
 しおり市長は、相変わらず妙な山形弁で伊達の文句を言い続けている。演技っぽいのがむかつく、声もむかつく、議論の内容がむかつく、今日の靴下の色がむかつく。
「しかし市長、今日のはまずかったですよ。あとが大変…」
 くらいまで言った瞬間に、すぱきーん!と私の頭で音がした。
 ああ、この痛み、快っ感…。
 いやいや、違うだろ?
「市長!だからいちいち叩かないで下さいよ!」
「ケーちゃんもむかついたでしょ?あれぐらいは当然だず!ケーちゃんだって、実はスカッとしたくせに!」
 確かに、スカッとして気持ちよかった。
 頭の痛みが、ではない。決して。間違っても。
「まあ、伊達のやり方は頭にも来ましたし、反撃したのは致し方ないとも思いましたが…。ただ、議会としてはそれだけでは済まないでしょう?」
 私は、「ケーちゃん」のモードから、「羽柴ケイスケ市議会議員」のモードへと口調を変えて、ソファに腰を下ろした。
「伊達の態度いかんの問題ではなく、市民の負託を受けた議員は尊重されるべきだということ、市長はその議員に対して誠実に接するべきだということ、議会において質問と答弁はどうあるべきで、どういうことが許されるのかということ。そうした市長と議員の関係や立場、議会運営のあり方といったことに関わる問題です。議会としては、なんらかのリアクションを起こさないわけにはいかないと思います。でなければ、議会軽視にもつながりかねない案件ですから」
 私に合わせて、ソファの対面に座ったしおり市長は、今度こそおとなしく私の言葉を聞いた。
 一応、ことの重大さは理解しているらしい。
 話の途中で、秘書係の女性(確か山内さんといった)がお茶を持ってきてくれたので、お茶が机に置かれるまで市長室はしばし沈黙に包まれた。
 市長室はそんなに広くない。10畳ほどのスペースに、ロの字型に置かれた応接ソファと机、市長の執務用のデスク、資料が並べられた本棚が配されている。壁には、天童の全体を撮した航空写真と、天童が生んだ今野忠一画伯の絵、友好都市である中国瓦房店市から贈られた書などが飾られ、ソファの隣の棚には、天童の名産「王将駒」や各自治体からもらった名産品などが展示されている。
 家具は天童が全国に誇る「天童木工」の家具だが、絨毯や壁紙などの内装はそれほど豪華というほどでもなく、天童規模の市長室にふさわしいだろう。
 執務用のデスクは、相変わらず書類が山積みになっている。
 各部署からあがってきた報告書や資料、決済を求める書類などが積み重なって、乱雑きわまりない。
「少しは書類整理したらどうですか?」
 山内さんが退室すると、沈黙を破るべく私はそう指摘した。
 しおり市長は、
「だってめんどくさいんだもん」
 と口をとがらせた。子どもか?まったく。
 この市長は本当に昔から極端なめんどくさがりである。
 片付けられないのではない。市長の自宅の部屋が、きちんと整頓されているのを私は知っている。整理整頓に限らず、自分が重要と思わないことに関しては、徹底的にものぐさだ、というだけだ。逆に、自分が熱中するものは、とことんやる。
 血液型判定はあまり好きではないが、B型の典型というやつだろう。
 書類整理にしてみても、やっていないわけではない。
 普通の市長室なら(あまり他の市の市長室を見たことはないが)、未決済と決済といった箱が置いてあって、書類が分別されていくだろう。天童市も昔はそうなっていた。しかし、しおり市長は独自にこの箱の名前を変えてしまい、「重要」と「それ以外」にしてしまった。
 あがってくる大量の書類を一応は目を通し、重要だと思うものだけ選別しているようなのだ。
 しかし、「重要」(あくまで市長判断による)な書類はごくわずかで、ほとんどの書類が「それ以外」の箱にぶち込まれていく。結果、すぐに「それ以外」の箱は溢れてしまい、デスクの上は「重要」じゃない(あくまでも市長判断)書類に、ほとんどの領土を侵食されてしまうのだ。
 そして、「めんどくさいんだもん」の結果を見かねた優秀な副市長が、定期的にこの「それ以外」の箱を整理し、決済のハンコを押すことになった。
「市長、議会への対応は、めんどくさいでは済みませんよ」
 私が意地悪く話をもどすと、しおり市長は「わがってっず(わかってるわよ)」と、また妙なアクセントの山形弁でつぶやいて、口をとがらせたままそっぽを向いた。
 子どもか?ほんとに。
 まあ、これ以上いじめるのもかわいそうだろう。伊達の言動がひどすぎたのも、事実。私も、市民の代表たる市長が反撃したのは当然だと思ったのも、事実。ここは一つ議会と市長の間で、なんらかの手打ちを模索すべきだろう。
 さて、議会へどう渡りをつけていくか(私も議員の一員なのだが)、本格的に話し合おうと思ったときだった。
 秘書係とつながるドアにノックの音がした。
 秘書係は市長室のすぐ隣にデスクとパソコンを置いて、市長への面会窓口と業務を兼ねているような状態である。
 今までのやり取り(頭をたたく音や「ケーちゃん」のくだりも含めて)を聞かれていたかな、とヒヤリとしたが、先ほどの秘書係の山内さんの言葉を聞いて、さらなる冷や水をぶちかけられた。
「丹羽議長がお見えですが、お通ししてよろしいですか?」
 うわ、丹羽議長?
 議会の重鎮中の重鎮にして、私が頭が上がらない大先輩。
 今まさに、議会対策を考えようとしていたときに、そのトップたる丹羽議長当人が来てしまった。
 私がここにいるのを見られるのも気まずい。
 逃げようか、と思ったとき、
「どうぞお入り下さいと、お伝えになって」
 さっきとは打って変わって令嬢然とした口調で、しおり市長が言った。
 逃げ腰で退室しようとドアに向かった私だったが、時すでに遅し。
 丹羽議長の渋い痩身の姿が、ドアの前に立ちはだかった。

Vol.3に続く ※このお話はフィクションです


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