しおり市長の市政報告書 vol.18

   1年半前8月11日午前9時55分

 しおり市長の危機から、1年4ヶ月前。
 その夏は、大変暑かった。8月のその日も、うだるような暑さだった。
 山形盆地の夏は暑い。観測史上最高気温の記録は、ながらく山形がもっていたくらいだ。昭和8年7月25日で40.8℃の暑さを記録したときは、嘘か真か、木から蝉がぼとぼとと落ちてきたという。都市化が進む前の話だから、自然にそこまで気温が上がったというのは、まさに山形の地形がなすところだろう。
 冬は大雪、夏は大暑。山形内陸部は、日本で最も四季がはっきりしているのでは、と思う。
 その日私は、市役所でしおり市長に面会の予約をいれていた。
 この冬に駒型雪像でお世話になった上杉温泉組合長が、市長に要望があるということで仲介したのだ。
 約束の時間、秘書係に声をかけて、私は上杉さんとともに市長室のドアをノックした。
 ドアを開けると、乱雑な机に向かって(相変わらず書類があふれている)、しおり市長がなにやら熱心に読んでいた。顔には非常に楽しそうな笑顔が満開だ。ときおり、
「これ、使える…」
 などと呟きつつ、うふふ、と女の子っぽい笑い声を上げている。
 覗くと、それは「Dファイル」という冊子だった。
 Dファイルは、面白い取り組みをしている自治体の記事や、地方行政に役立ちそうな記事を、全国紙と地方紙、あらゆる新聞の記事をピックアップして冊子にした、政治行政にたずさわる者向けの情報誌だ。つまり、自治体関連記事の新聞切り抜きを集めた雑誌、である。
 しおり市長は、このDファイルから色んな取り組みを知り、そこから発想を得たり、真似したりしているのだ。
「いいことは、どんどん真似すればいいべした。別に特許があるわけでもなし」
 というのがしおり市長の口癖だ。
 もちろん、天童で有効にするアレンジは不可欠だが。
 かくして、しおり市長は、このDファイルや全国の好事例をあつかった情報誌を、「勉強」と称して愛読している。だが、私に言わせれば、それは「政策オタク」の趣味に過ぎない。 大体、ファッション誌ならともかく、そんな情報誌を見て花のように笑えるのは、奇特を通り越して気持ちが悪い。
「市長、上杉さんがお見えですよ」
 私は、咳払いとともに市長の注意を喚起した。
 どうやら上杉さんは、市長の読んでいるものが何かまで気にならなかったらしい。うら若い女性が、詩集でも読んでいるとでも思ったかもしれない。
「あら、上杉さん、いらっしゃいませ。今日はなんのご用ですの?」
 そう言って市長は、悪びれもせず(まあ、別にDファイルを読むことが悪いわけではないが、なんとか自分の異常性、理解できないのかなあ?)、上杉さんと私に応接ソファを勧めた。
「今年の冬は、ずいぶんお世話になっては(なってしまって)。なんだて(なんとも)、ありがど様でした(ありがとうございました)」
「いえ、私も楽しませていただきましたわ。皆さんにご協力いただいて、新たな天童の風物詩ができましたわね」
「んだね。これがらも頑張っから、一づ市の支援、お願いします。そんで、今日相談きたのは…」
 上杉さんの相談は、廃業した旅館跡地の活用についてだった。
 天童温泉には、以前、農協が経営する保養所兼旅館の施設があった。しかし、老朽化と経営難もあり、農協としても保養所をそなえる時代でもなくなったことから、廃業して十数年経っている。温泉地の中に、広大な土地が放置されているのは、景観上も治安上もよくないし、なによりもったいない。
 天童温泉全体の発展を重視する上杉組合長としては、看過できないのだった。
 だが、この保養所を経営していたのは、農協といっても天童市農協ではなく、全農だから、跡地をどうするかは全農が決めることであり、地元としてはどうしようもない。全農としてもこの土地を持て余していて、天童市農協に寄附したいと言っているらしいが、天童市農協としてはそんな土地を預けられても、固定資産税ばかりかかって、活用しようが思いつかない。そんな事情で、跡地が宙ぶらりんになっているのだ。
「でもそれは、民間のことですし、農協さんにお任せするしか…」
「いや、んだんだげんとも(そうなんだけれども)、農協もなにしていいのかわがらない状態みだいで。市の方で活用してもらわんねがど(もらえないかと)思いまして。市営共同浴場みだいなもの、でぎねべがねっす(できないでしょうかね)?」
「市営の共同浴場は、『ゆぴあ』があるでしょう?それに温泉街に市営の浴場なんかつくったら、皆さんの旅館業を圧迫しません?」
「これからの時代は共存共栄。お客さんに天童温泉いっぱい歩いてもらって、湯めぐりしてもらうくらいの度量なくちゃ。天童温泉全体が盛り上がるのが、大事なんだがら、俺ら温泉組合はそう思ってんのよ」
 天童市の西部寺津地区に、天童市が経営する(正確には天童市が指定管理者に経営させている)「ゆぴあ」という温泉施設があり、これが入浴料が安価なこともあって、大人気の浴場だ。その「ゆぴあ」以外にもう一つ天童市が温泉施設を経営するのは無理がある。
「まあ、これは頭にいれででもらって。何か機会あったら、いい智恵かしてください、市長。それど、もう一づ、こっちが本題なんだけど…」
 もう一つの相談は、源泉の維持の問題だった。
 天童温泉は、開湯百数年の比較的新しい温泉である。明治44年に、井戸掘りをしていたら温泉が湧き出した。天童中心部の平地の温泉ということで、すぐにそのお湯を利用して旅館業を営む者が現れた。それが上杉さん達の数代前のことである。もともと田んぼだったところに、温泉街が誕生し、周辺には歓楽街ができて、今の天童温泉へとつながっている。
 しかし、天童温泉の湯量は、決して豊富ではない。
 際限なく使えば、源泉が枯渇してしまう。そのことを危惧した上杉さんの先々代が、温泉組合による源泉の一括管理を提案した。温泉の権利を各旅館が買って、決められた湯量を平等に分割したのだ。源泉を守るとともに、温泉の権利を限定して既得権益を確保する。
 今となっては普通に聞こえるが、これは画期的なことだった。実は、この源泉一括管理方式は、天童が全国に先駆けて行ったことである。
 そうやって維持してきた源泉だが、これが危機を迎えているという。
「どうやら源泉付近の道管から、温泉が漏れでるようでして。それど、温泉のお湯を平等に分配してるんですげど、これだどどうしても無駄が出るんですよ」
 天童温泉には大小様々な規模のホテル旅館がある。宿泊できるキャパも違えば、浴場の大きさも全然違う。
 となれば、温泉のお湯を大量に使うところもあれば、それほどお湯を使わないところもある。大規模なホテルでは、決められた湯量をタンクに貯めるなどして最大稼働時に備えるが、小規模旅館では、湯量の一部を利用してあとの温泉は棄ててしまう。この方式は魚骨方式というらしく(魚の骨のように中央の管から分配するイメージ)、これでは温泉を無駄にする。
 これに対し、各旅館を円状にパイプラインでつなぎ、今まで棄てていた湯量を還元する循環方式にすれば、源泉への負担をかなり減らせる、というのだ。
「いずれにしても老朽化した管を直さねどダメだし、この際、循環方式のパイプラインにすっだいのよっす(したいんですよ)。結構な工事費かかるんで、入湯税がらぜひ、補助してもらわんねがど(もらえないかと)思ってよっす(ちなみに山形弁では最後に「す」をつければ、敬語になる)」
「それは、なんとかしたいのは山々ですが。かなりの予算がかかるでしょう?国の補助金なんかはありませんの、羽柴議員?」
「はい、調べたんですが、どうも該当するような適当な補助金がないんです。環境維持というのにも今イチしっくりきませんし、再生可能エネルギー導入という方向なら有利なものがあるんですが…。源泉の維持というと観光関係の設備投資ということになるんですが、観光のハード面の補助金は、今ほとんどなくて…」
「んだがら、ぜひ普段から入湯税はらってる市に、協力してもらいだくって来たのよっす」
 入湯税というのは、旅館ホテルに宿泊したり宴会したりするときにお客さんから徴収している税金だ。天童の場合一人一泊150円、日帰り70円をもらっており、旅館ホテルが支払時にあずかって、天童市に納付する。
 温泉の維持や観光振興への目的税として使うべきかもしれないが、天童市ではこれは一般会計に入れて、特に温泉のためだけに使っているわけではない。
 だが、入湯税で納めてるんだから、温泉の維持に使ってくれていいじゃないか。しかも長年納めてるんだから、かなりの額、協力してくれてもいいだろう?というのが、上杉組合長の理屈だ。まあ、温泉組合が納めているというよりは、お客さんから徴収しているのであって、しかも入湯税を温泉のためだけに使わなければならない法律もないのではあるが、上杉さんの主張も頷けなくはない。
「…金額も大きなことなので、庁内で検討させてください」
 しおり市長は、沈思の後にそう返答した。
 しおり市長が躊躇するのも、「検討させてください」と言うのも珍しい。「検討させてください」とは、行政用語で「重要なことだとは思っていますが、予算もないので、考えはするけど、実現は難しいでしょうねえ」という言葉に等しい(ことが多い)。
 しおり市長も小悪魔ではあるが、魔法使いではない。
 なにもないところに予算を生み出せはしないのだ。入湯税は、もちろん年々貯めているわけではなく、他のことにもう使ってしまっている。
 私は、市長に宿題を押しつけて、市長室から退席した。
 ドアを閉めるときに、しおり市長が私を睨んでいたようだから、後日災難に見舞われるかもしれないが、今日に限っては市長からの折檻をうけなかったことに感謝しよう。

vol.19に続く ※このお話はフィクションです

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