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しおり市長の市政報告書 vol.3

   市長経歴概説

 さてここで、市民の皆様に、私羽柴ケイスケと織田しおり市長の生い立ちと関係性について報告します。
 市長室で二人きり、「ケーちゃん」などという呼ばれ方、ということで、妙な誤解を招かないとも限らないので。
 別に意味深なことはなにもない。
 単なる子どもの頃からの知り合い。いわゆる幼なじみだ、というだけだ。
 私、羽柴ケイスケは、天童市の田鶴町という地域で生まれた。
 田鶴町は歴史が古い地域で、昔から学校の先生を多く輩出している。私の父も、ご多分に漏れず高校の歴史の教師をしていて、そろそろ定年が見えてきた。母は、福祉関係の仕事をしている。要するに天童の下町(下町などと言えるほどたいそうな町ではないが)で、平凡な公務員の両親のもとで、平凡な家庭で生まれ育ったということだ。
 私も平凡な家の出らしく、地元の小中学校に進む平凡な子ども時代を送ってきた。
 田鶴町は古い地域で、教師を多く輩出したと言ったが、これにはわけがある。
 天童は、織田信長の直系の子孫が治めた。幕末の時代、信長の次男信雄の子孫が、「天童織田藩」として統治していて明治をむかえたのだ。信長直系の織田藩が幕末まで統治したのは、天童と兵庫県丹波市の柏原藩しかない。
 「あの信長」の子孫が天童を治めたのだから、もっとこれを観光や発信に使えばいいのに、と思う。しかし、「そんな有名人の子孫がこんな田舎に来たはずがない」というような妙な田舎気質が働いてか、市民ですら意外とこの事実を信じない、あるいは知らない。
 その織田家が、天童を統治した際に、陣屋としたのが田鶴町なのだ。
 小規模ながら天童城の跡地なわけであり、周辺には織田藩に仕えた武士の子孫が多くいて、織田藩の歴史も息づいている。その歴史の中に、織田藩の藩校である「養正館」の伝統も残っていて、元来学問が盛んで、ゆえに学校の先生が多く出ているのだ。
 そんなこんなで、歴史の影響のなせる業の、歴史教師の息子が生まれたわけだ。そして、その親の影響のなせる業(そうは認めたくないけれど)で、私もたいそう歴史好きの子どもになってしまった。
 だから、私の遊び場はもっぱら近くの三宝寺であった。
 なぜならここに、織田信長以来の織田家の祖先をまつった御廟所があるからだ。だけでなく、境内は広いし、池には生き物がたくさんいて、遊び場として最高だったのだ。なにより、住職から織田の歴史の逸話を聞くのが楽しみだった。住職からは、池のザリガニを勝手に釣り上げてよく怒られてもいたが。
 そこで、私は織田しおりと出会ったのだ。

 小学校も低学年の頃だったと思う。
 その日も私は、住職の目を盗んで、近くの駄菓子屋で買った「よっちゃんいか」をエサにして、一人で「ザリガニしぇめ(捕り)」に夢中だった。友達がいないというわけでもなかったが、友達の多くはゲームの方が好きで、寺で遊んで歴史の話を聞く、などというマニアは私ぐらいしかいなかった。
 寺庭の池淵で、エサをつけたたこ糸を垂らし、じっと下を眺める。
 池を囲う石組みの隙間から、ザリガニが見え隠れしていた。ザリガニがエサをはさんだら、一気に引き上げる。その瞬間を、息を潜めて待っていた。
「そのザリガニ、美味しいかな?」
 いきなり、後ろから声をかけられた。
 びっくりして振り返った私は、声の主を見てさらに驚いた。
 白いワンピースを着た、服以上に透き通るような白い肌の少女がそこにいた。髪はいわゆるパッツンヘア。頬と唇の淡い赤みが可憐だ。
 陳腐な言い方で恐縮だが、まさにお人形さんのような少女だった。
 私がこれまで拝見したことのない種類の少女。
 呆然とする私に、その少女は大きな黒い瞳をキラキラさせて、また言った。
「ねえ、そのザリガニ、美味しい?」
 ザリガニは飼うために「しぇめる(捕まえる)」のであって、食べてみたことはない。というより、食べるという発想がそもそもなかった。美味しいかどうかなどと考えたこともない。こんな天使のような(ふたたび陳腐な表現だが)少女が、私にとっては愛玩の対象であるザリガニを、捕食する対象として見ていることに、ものすごい違和感を覚えた。
「しゃねず(知らないよ)。食べだごどないがら」
 私の山形弁に、少女は首をかしげた。あ、都会の子なのか、と私は思ったが、少女はなんとなくニュアンスで理解したのか、「つまんないの」と言いながら、私の隣に腰をおろした。
「じゃあ、いっぱい捕って、食べてみようよ。ロブスターは美味しいんだから、きっと美味しいよ!」
 ロブスターなる食べ物を当時は知らなかったが、私も急に味を知りたくなった。
 それから二人で、ザリガニ捕食作戦に夢中になった。
「私、織田しおりっていうの」
 私も自己紹介したあと、「織田」という名字に私は反応した。
 もしかして織田の末裔か?歴史マニアの私の心はトキめいた。
「うーん、知らない。たぶん違うと思うよ」
 少女の答えはこうだった。
 後に知ったことだが、天童の織田藩の殿様は、明治に入って東京に移住しており、天童織田藩の末裔ではないのは確実だ。だが、この織田の里のことだから、「織田の末裔なのだろう」という話は、この少女が市長になっても言われ続けることになる。本人は「知らない」を貫いているが。
 織田の末裔じゃなくても、こんなかわいい女の子とザリガニしぇめをするなんて、夢のようだった。
 おもしろかったのは、少女が次々と捕獲のアイディアを出すことだ。
 わずか20分くらいの間で、エサの位置やエサにつけたたこ糸を工夫した。そしてたどり着いた方法が、逃げ道ふさぎ作戦だった。
 ザリガニは、池のふちの石組みの間に住んでいる。その石組みのすきまに見え隠れするザリガニの前に、「よっちゃんいか」を糸につけて垂らし、ザリガニがハサミでつかんだ瞬間、釣り上げるのだ。これがこれまで私がやっていた方法だった。
 失敗すれば、ザリガニはさっと後ろに飛び去って、石組みの隙間に隠れてしまう。
 少女は、ここに注目した。
 糸を垂らして釣れなければ失敗、ではなく、ザリガニが全身を現した瞬間に、彼女が持っていた下敷きで退路をふさいでしまうのだ。
 するとザリガニはあせって水の中を隣の隙間まで移動しようとする。そこを私が持っていた網で捕獲するのだ。
 この方法が当たった。
 いつもは1日頑張って1匹釣れるかどうかなのに、2匹3匹とザリガニが捕れた。
 私には、釣り糸とエサを使うことで何回もトライすることしか考えがなかった。下敷きという他の道具を使うことは思いつかなかった。いやそれ以外の方法を考えるという発想がなかったのだ。
 一つ問題があって、下敷きで退路を断つとき、ザリガニのしっぽを傷つけるケースがあることだった。飼うために捕まえるならば大きな問題だった。
 しかし少女は、「でもいっぱい捕れることの方が大事でしょ?」と言う。
 どんな方法も完璧なものはない。利点と欠点を比べて、利益が大きいならば、少しのデメリットはあっても目をつぶる。少年の当時にそこまで理論的に考えたわけではないが、子どもながらにそういった類いの理解をした。
「だいたい食べるんだから、たいした問題じゃないでしょ?」
 というのも残酷な気がしたが、確かに食べるのに残酷もなにもないだろう。
 私は妙に少女の言動に感心した。
 そういったザリガニ捕獲の作戦を進行しながら、私たちは自分の話をした。
 少女の家は天童にあるらしいが、東京にもあること。学校は東京の学校(しかも私立の!田舎ではありえない!)に通っていること。ときどき天童にくるが、友達があまりいないこと。東京育ちだから、田舎の遊びがしたいのに、つまらないこと。
 そんなことを話した。
「ねえ、友達になってよ!」
 彼女がそう言ったのは、私が4匹目のザリガニを釣り上げたときだった。
 そのとき、私の頭にゲンコツが落ちた。
「コラ、ケイスケ!ザリガニ捕ったらダメだっつったべな(ダメだって言っただろ)!」
 住職が仁王立ちしていた。姿形もまるきり仁王さんだ。
 この住職には体罰なんていう概念がない。悪いことをしたら痛い目に遭う。何度も私はそのことを住職にたたき込まれ、このときも身をもって頭の痛みとともにこれを教わった。
「一人で4匹もしぇめだのが?そだいしぇめで(そんなに捕まえて)、なにするつもりだっけのや?」
 一人でつかまえたわけじゃないし。しかも、食べるつもりだったなんて言えないし。
 言い訳しようと思ったが、言い出せなかった。「友達になってよ」と言ってくれた少女を、巻き込みたくなかったからだ。
 しかし、その共犯者の少女(むしろ首謀者と言ってもいい)といえば…
 …いつのまにか傍観者のような立場にいる。「あ、ずる!」と思ったが、まさかこんな天使のような少女が、そんなずる賢くはないだろう。
 今にも泣きそうに潤んだ目を見れば、仁王さんのような住職の迫力に気圧されたに違いない、とも思われる。恐ろしくて自分もやったんだと言い出せないんだろう、と私は善意に解釈した。
 まあ、この善意の解釈は、後にまったく間違いだったことがわかるのだが。
 その後いくども、二人の悪だくみは、私一人が怒られて終幕ということになる。
 しかし、このときは私に救世主が現れた。
「しおり。お前もやったんだろう?謝りなさい」
 住職と一緒に登場した男性が、穏やかに言った。
 白髪交じりの髪と深いしわが刻まれた顔。それなのに若々しく、鋭気にあふれている。背は高くないが、均整のとれた体格をもった人物だった。
 その鋭いながらも優しい目で見つめられた少女は、「お父さん…」とつぶやいた。
 彼女は一瞬とまどった後、観念したように「ごめんなさい」と、素直に自分もやったことを告白し、住職に謝った。食べるつもりだった、というのは、彼女も私も結局言わなかったが。
 どうやらこの少女の父親である人物は、住職と懇意であるらしい。住職となにかの話をしに来て、娘をともなってきた、ということなのだろう。
 物静かなのに、威厳と迫力がある。すごく立派な人物に思えた。
 住職から平等に怒られた後、その人物が私に言った。
「羽柴先生のところの息子さんだって?娘と仲良くしてやってくれよ」
 こんな俳優さんのような人物が、自分の父親のことを知っているのは意外だった。誰だかはわからなかったが、すごくそれが誇らしかった。
 すでに私は、この立派な男性と可憐な少女に心を奪われていた。
 今では幸運だったのか不運だったのか真剣に悩むが、私は、この男性の願いに応え、「黒髪の小悪魔」と仲良くする魔界の契約をしてしまったのだった。
 その男性が偉い国会議員さんだということは、家に帰ってから知った。
 その娘さんと友達になったと聞いて、母は目を丸くした。

v o l 4に続く ※このお話はフィクションです

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